東京CJ調査室 大学編01『幸せの形』

NOFKI&NOFU

第01話 怪異の兆し

「ねえメイ。今のニュース、

 もう一回巻き戻してみてよ」


リモコンを握ったナナミは、夕焼けに染まるリビングで、画面に映る『原因不明の集団意識喪失事件』の文字を睨みつけていた。彼女の目は、好奇心と、それを上回る獰猛どうもうなまでの確信に満ちている。


「いいけど……。ねえ、ナナミ。 何度見ても『原因不明』は変わらないよ。 むしろ、変に深掘りしない方がいいって、 私たちで決めたはず」


湯呑みを置く私の指先は、わずかに冷たい。ニュースの文字を見るだけで、私の胸の奥が冷たく締め付けられる。 私は鮎川メイ。オカルト研究会のメンバーだが、ナナミほどには、この手の「異変」に前のめりになれない。子どもの頃から柊アヤ先輩の隣で「非日常」に触れてきたけれど、私の根っこにあるのは、あくまで現実と日常だ。だからこそ、この日常が壊れることに、人一倍の強い恐怖を感じていた。


「深掘りじゃないわよ、確認よ、確認!」


ナナミは立ち上がり、テレビに顔を近づけた。彼女は、目の前の現象を絶対に『普通の出来事』で終わらせたくない、生粋のオカルトジャンキーだ。


「『調査中』や『捜査中』じゃなく、わざわざ『原因不明』。あの表現、 普通は使わないでしょ? まるで現実のロジックから引き剥がされたみたいで」


「うん。でもそれは、彼らが『くだんの奴ら』を、認めたってことじゃないよ。単に、手の打ちようがないって表明してるだけ」


「チッチッ」ナナミは人差し指を振った。


「違うわ。これは『私たちへのメッセージ』よ。この世界には、常識の外側でうごめく、 人智を超えた存在がいる。『件の奴ら』、 そう私たちがこっそり使う隠語スラングよ」


ナナミの瞳には、既に深海のような冷たい光が宿っている。


「政府や専門家は、パニックを避けるために……『グレイゾーン』に閉じ込めてる。でも、無視はしてない。大学や研究所、企業まで協力して隠蔽しつつ、研究してる。そういう噂があるでしょ?」


私は静かに頷いた。ナナミが楽しそうに話すたび、背筋に嫌な汗が伝うのを感じる。 ナナミの、恐怖を前にしても一歩踏み込む、突き抜けた好奇心と行動力は、いつも私を驚かせる。私の慎重さとは対極にある。


「そうね。この『くだんの奴ら』に関する情報……この情報を私たちの大学や専門家、隠された研究といった要素に、オカ研の活動として、情報を提供できたら、最高なんだけどね」


ナナミはニヤリと笑った。

「いいわね、それ。私たちが、

 秘密の真実を掴む最前線になるってこと」


テレビの音はもう止んでいるのに、部屋の空気はまだざわめいていた。この世界は、静かに、確実に、外なる何かの影響下に変わりつつある。




「結局、私たちがここまでこの手のニュースに……

 敏感になったのは、アヤ先輩のせいだよね」


ナナミがふっと笑みを浮かべた。


「柊アヤ。東響大学主席、四年生。オカ研の創設者」

私は口に出しただけで、背筋が伸びるような気がした。彼女は、私たちにとって『真実』への扉を開いた狂気の先達せんだつだ。彼女の異様な存在感は、他の学生たちを常に凡庸ぼんように見せていた。


「私ね、あの『伝説の講義』を生で聞いたんだ」ナナミは身を乗り出す。


「最初は普通の統計学の補講だったのが、途中からいきなり『神話と社会構造の相関』の話になってさ。最後の言葉、覚えてる?」


「もちろん。『人間の恐怖と信仰は、必ずどこかに収束する。その収束点を、私たちは科学的に検証する必要がある』って」


「そう! あの時、教室の空気が変わった。全員が、深淵を覗き込んだような顔になってた。彼女は、普通という名の皮を、一枚、引き剥がしたんだ」


私は静かに頷く。アヤ先輩が選んだ言葉は、無関心という防壁を打ち破り、私たちの心に深く突き刺さった。あの時、教室にいた大半の学生はただ怯えるだけだったが、私とナナミは違った。


「それで、オカ研を立ち上げたわけだ。

 あのサトル先輩と、カイト先輩を誘ってね」


「さらに、アヤ先輩の幼馴染だった私が呼ばれて……。断れるわけないじゃない。子どもの頃から、隣は非日常への特等席だったんだから」


私はそう言うが、正直、アヤ先輩から『新しい世界』への招待を受けたとき、恐怖よりも、ほんの少しだけ、歓喜があったことを知っている。それは、日常という退屈な檻から、自分だけが秘密の通路を見つけたような、背徳的な優越感。私は、普通のレールの上を歩く自分を、心のどこかでつまらないと感じていたのだ。




「まあ、でも普通じゃないからこそ面白いんだよ」


ナナミはそう言ってソファから立ち上がり、机の上の資料——『横浜湾で発見された、正体不明の海洋生物の皮膚片の学術論文(改ざん済み)』のコピーをぱらぱらとめくった。


その瞬間、部屋の窓が「カタリ」と、まるで誰かが『薄いガラスの皮膚』を爪先で弾いたように、小さく、不自然に揺れた。


「……今、揺れたよね?」ナナミが眉をひそめ、辺りを見回した。


「地震、じゃない」


私は耳を澄ませた。地の底を響かせるような低い、重たい唸り声(グルーミング)が、一瞬だけ、確かに遠くから聞こえたような気がした。心臓が、恐怖で一瞬止まった。


揺れは続かなかったが、部屋の温度が急激に二、三度下がったような気がした。


これは自然の現象じゃない。胸の奥に広がる、冷たい水が広がるような不気味な『予感』。それは、異形の存在の影が、確実に私たちの日常に接触したことを示していた。


「ナナミ……聞こえた? あの『音』」


「……うん。低い、声みたいな……いや、

 海底から響くような、重たい『軋み』」


私たちは顔を見合わせ、言葉を失った。


日常の中に、何かが、侵入してきた。それは、私たちが『くだんの奴ら』と呼ぶ、巨大な影の、微かな『呼吸』だったのかもしれない。私の恐怖心はピークに達していたが、それと同時に、この真実を知りたいという、抑えがたい『歓喜』もまた脈打っていた。


この後の出来事が、その微かな『呼吸』の、最初の余波にすぎないことを、このときの私たちはまだ知らなかった。


次回 第02話「通学中の幻影」

――オカルト研究部発足以前の話、アヤ先輩との邂逅をメイは決める。




※ 『件の奴ら』…クトゥルフ神話関係、神話生物のことを指す隠語。

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