男女の無い世界

ノソン

第1話 転生とペニス

 物心がついたとき、僕はもう気づいていた。


 ――前の世界の記憶がある。


 前の世界では、僕たちが住んでいた星の名前が「地球」だった。土の玉――とでも訳せばいいのだろう。球形の星の上に、海があり、大地があり、大気がある。僕らはその表面にへばりつくようにして生きていた。


 こちらの世界でも、どうやら星は大きな球体らしい。天文の授業では、太陽の運行や季節の変化、月の満ち欠けといった「球体の上にいる前提」の現象がきちんと教えられている。ただし、「私たちの星は球体である!」なんて、あらためて名前にしたり、力説したりする人はいない。当然すぎて、それを名前にする発想自体が無かったのだろう。


 前世の世界では、そういう当たり前のことを、わざわざ名前にしていた。

 


 僕のこの世界での両親は、前世と同じように、いってみれば「普通の人」だった。特別に頭が良いわけでもなければ、極端に無関心でもない。父は物流の会社で自動車の整備士をしていて、母は市立の診療所で事務をしていた。共働きで忙しかったから、僕はわりと放任されていた。放任というより、いい意味で干渉されなかった。


 これが、実に都合がよかった。


 ひとりで図鑑を読んだり、メモ帳に思いついたことを書きためたり、近所の公園で虫や小動物を観察したり。誰にも咎められず、飽きるまで没頭できたのは、親が適度に構わなかったからだ。


 とはいえ、休日には家族で出かけることもあった。動物園、水族館、昆虫館。今でもはっきり覚えている。水族館で見た水中の哺乳類――こちらの世界にも、イルカのように泳ぎ回る生き物がいた。川にダムを築くビーバーのような動物もいたし、巨大なモグラのように地面を掘り進む種もいた。


 驚いたのは、どの動物にも共通して、外見上の性差がないということだった。

 


 地球のイルカは、よく見ればオスかメスかの区別がついた。興奮時にペニスが出てくるとか、腹部の構造が違うとか細かい違いがある。ビーバーだって、専門家が見れば判断できる程度の差はあったはずだ。


 でも、こちらの世界の動物は違った。


 ペニスは完全に体内に収まっていて、外から見えることはない。外見での区別がまったく存在しないのだ。


 動物だけじゃない。この世界の人間もそうだった。


 身体に性差がない。声の高さも、筋肉のつき方も、骨格の違いも、個体差はあるとしてそれが男女差としてなのかわからなかった。少なくとも服を着て立っている限り、誰が雄で誰が雌か、まったく見当もつかなかった。


 服装に性別的な決まりはない。髪型も、名前も、話し方も、性に由来する「カテゴリ分け」がそもそも存在していなかった。


 「男らしさ」も「女らしさ」も、この世界には無かった。

 というか、そういう言葉自体が存在しなかった。



 僕は、そんな世界に転生してしまったのだ。


 ジェンダーという概念のない、男女の別すらない世界。


 不便? いや、最初はかなり混乱したけど、不便かというとそうでもなかった。周囲の人たちはそれを「当然のこと」として生きていたし、恋愛や結婚、家庭生活もごく自然に営まれていた。


 ただし――

 この世界には、ある「静かな問題」が横たわっていた。


 子どもが、生まれない夫婦が、一定数いるのだ。


 それが、たまたまなのか、あるいは――。


 

 それを知ったのは、もう少し後のことだった。

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