第12話 エマニュエル再び
「……エマニュエル、どうしたのです?」
「エリゼ……先生、魔術とはどう向かい合えば良いのでしょうか?」
憔悴しきっているのに、手にはまだ『魔術への鉄槌』がしっかり握られている。
「自分の家は魔法使いに破滅させられたも同然だ。なのに、教会は魔法学校と共闘しようという意見で占められている。これが自分の信念の証だ!」
エマニュエルは突然服をめくりあげた。知らない男の裸に私はギュッと目を閉じた。
「先日の暴動を扇動した罰としてムチで打たれた」
「これは……痛いでしょう。嫌かもしれませんが治癒魔法をかけますよ」
暖かい光が私にも届き、その後、服を下ろす気配にこわごわ目を開ける。エマニュエルの表情が少し柔らかくなっていた。
「これを治して欲しかったわけじゃない……」
「ごめんなさい、エマニュエル、今、オーリィと話しているところで……」
「もう待てない!」
「そうですか」
「先生、私なら大丈夫です。先生との約束、頑張ります」
エリゼ先生は良いことを思いついたと言わんばかりに私の顔を見た。
「エマニュエル、では、オーリィも一緒という条件で聞きましょうか」
先生は椅子を勧める。
エマニュエルの血走った目が私を見て、彼は寝てないのかもしれないと私は思った。
「あ、あの時の生徒……」
「そうです。彼女はモランジュ元帥のお嬢さんでもあります。どう?」
「良いことだ。街の噂では、モランジュ元帥は前線を北に押し上げるのに成功したらしい。そこで兵士たちが目にしたのは、魔族どもの残忍な行為のあと……」
エリゼ先生は小さくため息をついた。
「避難が間に合わなかった被害者たちですね」
「ごめんなさい、父の力が足りなくて……」
「いや」
「取り返した地域に、生きる屍が出なければ良いのですが……」
エリゼ先生は、水差しからコップに水を汲んでエマニュエルに勧めた。
彼の水を飲み干す勢いに、この人は水もろくに飲んでなかったのではないかと胸が痛む。
「ご用の向きをゆっくりうかがいましょう」
「以前の魔族の奇襲……被害は少なかった。これを魔族が人間との和睦を結びたがっている証と考える人たちが教会にたくさんいる」
「融和派ですね」
エマニュエルはうなずいた。
「……魔族と人間は融和できると先生はお考えですか?」
あの晩の恐怖が蘇る。魔王ダリオンの真っ赤な目に黒く光る翼、あっさり魔力抑制をかけられて、ホウキのフェニックスから転落するときに目に写った路地の敷石……。
「そうですね、魔法学校はミリエル・デュランの『敵と融和せよ』を校訓にして……」
ダンッとエマニュエルは空のコップを机に叩きつけた。
「校長のような理想主義の言葉を聞きに来たんじゃない!」
私は思わず飛び上がる。
「火トカゲを火炎魔法で圧倒したほどの魔力の使い手、二十年前の魔族討伐パーティの生き残りとしてのエリゼ・フローレルに話を聞きに来たんだ!」
ひく……と先生の頬が動いた。
「オーリィ、ここに居なさい」
逃げ出そうとしていた私は動けなくなる。
「あれは、単に私たちの恐怖を煽っただけですね。下僕となってひざまずけ、さもないと殺すという」
エマニュエルは息を吸い込み、先生は少し笑った。
「でも魔族もあの距離を一気に飛ぶのが限界で、王都を攻撃するまではできなかった……そう考えています」
「では、王都絶対防衛線は無意味ではないんですね?」
私は身を乗り出す。
「信頼度は少し下がりましたが、悲観論者の言うように無意味ではありませんよ。エマニュエル、それに前線には魔法使いもたくさんいて、魔族を食い止めるのに役立っています」
そこでエリゼ先生はエマニュエルの持つ本に視線を落とした。
「魔族と魔法使いを同じようなものと考えるその本は、考えが浅いと判断しました」
「先生も読んだんですか?」
「もちろん」
エマニュエルは本を放り出した。
「分からない……もう何を信じたら良いか分からない。先生は、魔族との共存は可能だと本当に思いますか?」
先生は射すくめすような視線を、エマニュエルに放った。
「良いでしょう。ここからは私個人の意見です」
思わず居住まいを正す私とエマニュエル。
「許すことはできません。憎んでいます。全ての魔族が死に絶えても、この気持ちを捨てることはできません」
「先生……」
「討伐パーティの仲間、一人、また一人と斃れ、生き残ったのは私ともう一人だけ……仲の良いパーティでした」
先生の手がピクピク動いている。私は思わずその手を取った。
「過酷な戦い……それでも、私たちは魔王城にたどり着くことさえできなかった。第七層が限界でした。その悔しさと仲間の生命を背負って、魔法史を研究しているのです」
第七層……お父様から、魔王城を取り囲むダンジョンは九層になっていると聞いたことがある。エリゼ先生たちの七層の記録は破られていない。
「エリゼさん、いやエリゼ先生、そんな過去を持つあなたが、どうして『敵との融和』を説く魔法学校で教えているんです?」
先生は何処か寂しそうな表情を浮かべた。
「言ったでしょう。敵に勝つにはまず知らねばならないと」
待って、魔王ダリオンは「今度会うときは敵味方でなければ良いがな」って言ってなかった?
もしかしたら、魔族の中にも人間との共存を考えている人が居て……。
でも、これを話すと魔族にオーロールという名前を教えたことも話さなきゃならないし……。
「先生、だから私にも今回の魔王討伐パーティに参加して戦ってみろと……」
「オーリィ、戦う力はあるのに諍いを避けるあなたの性格は知っています。魔族との融和がかなうのか、私はあなたにかけてみたいのです」
魔王ダリオン……一瞬の出会いの記憶しかない。
回想は切羽詰まったエマニュエルの声で破られた。
「先生、自分を弟子にしてくれ! 必死で学ぶ!」
「いいえ、私は弟子は取りません」
激しいノックの音がしたと思うと、魔法学校の警備員が三人、準備室に飛び込んできた。
「先生、ご無事で?」
「問題ありません」
「こら! 誰の許可を得て校内に入っている!」
「この間は入れてくれたじゃないか!」
「あれは校長先生の許可があったからだ!」
エマニュエルは腕を取られてうめき声をあげた。
「エリゼ先生……」
「エマニュエル、私から入校許可証を申請しておきます。いつでも話しにいらっしゃい」
「ありがたい……」
すがるような目を残し、彼は引き立てられていった。
「忘れて行っちゃたわね」
エリゼ先生は『魔法への鉄槌』を拾い上げた。
「先生は、そんな魔法への悪意のこもった本も読むんですか?」
「もちろんです。何回言わせるの? 敵に勝つにはまず知らねばならない、と」
そのとき、カランコロンと昼休憩後の終わりを告げる鐘が鳴った。
「オーリィ、こっちだ。講堂へ全員集合。全校集会だ」
教室に戻ろうとするとジャンが教えてくれた。
「何も持たなくって良いってさ、え、なにそれ、サンドイッチ?」
私は赤くなって食べそこねたお弁当をポケットの奥にねじ込んだ。
全校生徒の目が注がれる中、校長先生が演台に登った。相変わらずのフカフカの白いヒゲ。
「皆、勉学に励んでいるかの? いや、返事はせんでよろしい」
生徒の間にクスクス笑いが起きた
「ところで、今回の紅白戦の発表で、皆、浮き足立っているようじゃの。昨日までに校舎への不法侵入が二件もあった。これまでには無かったことじゃ」
校長先生は片眼鏡をなおした。
「これを重くみて、二週間後の紅白戦当日まで本校は休校とし、閉鎖される。各自自習を怠らないように」
そこで、校長先生はニッコリ笑った。
「紅白戦の翌日は卒業式、成績優秀者の発表や『ミリエル・デュランの誓』からの解放が行われる。そして、皆の楽しみにしている卒業パーティーも例年通りじゃ。うんとおめかししてご馳走を食べにおいで」
わあっと皆の発する歓声に私は包まれた。
紅白戦、王子殿下ご臨席というのにぶっつけ本番なのね。
エリゼ先生の出した弟子入りの条件を、馬車で登下校させるほど過保護なメイドや執事、そしてお父様になんて言おう。
私は頭を抱えた。
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