第4話 ギルドの洗礼は、嘲笑味
翌朝。俺が目を覚ましたのは、ふかふかの綿の上ではなく、フィーアの肩の上だった。どうやら俺が寝ている間に、彼女は俺を「定位置」に移動させたらしい。もはや俺にプライバシーはない。
「おはよう、カマ太郎! 今日は冒険者として、あなたの輝かしいデビュー戦よ!」
フィーアはウキウキした様子で、壁にかけてあった革鎧を丁寧に布で磨いている。ポーションをポーチに詰め、短剣の手入れも怠らない。その姿は、初めての遠足に心躍らせる小学生のようだった。
一方、俺は彼女の肩の上で、朝露に濡れたカマを抱え、ただただ憂鬱な気分に浸っていた。
(ついに来てしまった……。魔物が出るっていう湿地帯に行かねばならんのか……)
昨夜、ハエを捕食した勢いで「もうどうにでもなれ」と達観したはずの俺だったが、一夜明けてみれば、やはり怖いものは怖い。俺は戦士じゃない。ただのカマキリなのだ。できれば、日当たりの良い葉っぱの上で、一日中のんびりしていたい。
「よし、準備万端! まずはギルドに行って、依頼を正式に受注してきましょう!」
フィーアは元気いっぱいにそう言うと、俺を肩に乗せたまま家を飛び出した。
向かった先は、街の中央広場に面した、ひときでも大きな建物だった。入り口には『冒険者ギルド・エストリア支部』と書かれた立派な看板が掲げられている。
建物の中に一歩足を踏み入れると、むわっとした熱気と、酒と汗の匂い、そして男たちの野太い声が俺たちを出迎えた。
屈強な鎧に身を包んだ戦士、ローブ姿の妖艶な魔法使い、小柄で素早そうな盗賊。様々な種族の冒険者たちが、掲示板の前で依頼を選んだり、酒場で情報交換をしたりしている。まさに、ファンタジーの世界そのものの光景だ。
……だが、そんな感動に浸れたのも束の間。
冒険者たちの視線が、フィーアの肩に乗っている俺に突き刺さるのを感じた。
「おい、見ろよ。赤毛のフィーアのやつ、また変なもん連れてるぜ」
「なんだありゃ? カマキリか? 弱そー」
「ペットの散歩がてらギルドに来たのか? 新米はこれだから困る」
ひそひそと、しかし明らかにこちらに聞こえるように交わされる嘲笑の数々。
俺はカマキリだが、耳はいい。前世で鍛えた、上司の悪口を聞き取るヒアリング能力は健在なのだ。
(やめてくれ……。俺のせいでフィーアが悪く言われるのは、なんだか申し訳ない……)
フィーアはそんな声など気にも留めず、まっすぐに受付カウンターへと向かった。
カウンターの向こう側にいたのは、ゴブリンを少し人間っぽくしたような、緑色の肌で耳の尖った受付員だった。
「フィーアさん、おはようございます。本日のご用件は?」
「おはよう、ゴードンさん! この『安らぎ草の採取依頼』を正式に受注したいわ!」
フィーアが依頼票を差し出すと、受付員のゴードンは、チラリと俺に嫌悪の視線を向けた。
「……フィーアさん。何度も言いますが、ペットをギルドに連れ込むのは感心しませんな。ここは冒険者の神聖な職場ですぞ」
「だから、ペットじゃないって言ってるでしょ! この子は私の最高のパートナー、カマ太郎よ!」
フィーアがぷんすかと頬を膨らませて反論する。
そのやり取りを聞いていた周りの冒険者たちから、ドッと笑い声が上がった。
「最高のパートナーがカマキリだってよ!」
「傑作だな! あの嬢ちゃん、頭まで赤毛なのか?」
(あああああ! 恥ずかしい! 穴があったら入りたい! いや、俺は虫だから、そのへんの壁の隙間とかでいい!)
俺はフィーアの肩の上で、羞恥心のあまりカマで顔を覆った。
「気にしないで、カマ太郎」
ギルドを出て、湿地帯へ向かう道すがら、フィーアが俺に優しく話しかけてきた。
「あいつらは、あなたの本当のすごさを知らないだけよ。今日の依頼を完璧にこなして、みんなを見返してやりましょう!」
(だから、見返すとかそういう話じゃないんだって……)
俺は心の中で泣きながら、もはやこの勘違い特急列車を止める術がないことを悟った。
街から歩くこと一時間。
やがて、じめじめとした、陰鬱な空気が漂う湿地帯に到着した。足元はぬかるみ、そこかしこにある沼からは、不気味な色の泡がプクプクと湧き上がっている。
「あった! あれが安らぎ草ね!」
フィーアが、沼のほとりに群生している、青白く光る植物を指さした。
彼女が慎重にぬかるみを進み、安らぎ草に手を伸ばした、その瞬間。
ピュッ!という鋭い音と共に、緑色の粘液の塊が、彼女の顔のすぐ横を通り過ぎていった。
「危ないっ!」
フィーアが素早く後ろに飛びのくと、彼女がさっきまでいた場所の地面が、ジュウッと音を立てて溶けていく。強酸性の粘液だ。
ザバッ! ザバッ!
静かだった沼の水面が騒がしくなり、そこから半透明のゼリー状の魔物が、次々と姿を現した。全部で五体。そのゼリーの中心には、濁った赤い目玉が一つずつ、不気味に浮かんでいる。
依頼書にあった魔物、『スライムベッグ』だ。
スライムたちは、じりじりと距離を詰め、俺たちを完全に取り囲んだ。
フィーアは臆することなく剣を構え、その瞳に闘志を宿す。そして、肩の上の俺に向かって、最高に輝く笑顔で言った。
「カマ太郎、いよいよあなたの初陣よ! あのグレートボアを倒した実力、この私に、ううん、世界に見せつけてやりなさい!」
(いやいやいやいや、無理無理無理!)
俺は内心で、前世でも出したことのないボリュームで絶叫した。
(相手はスライムだぞ!? 物理攻撃が効きにくい相手の代表格じゃないか! 俺のカマ、斬れるのかアレ!? むしろカマが溶かされるんじゃないのか!?)
絶体絶命。四面楚歌。前門のスライム、後門のスライム。
勘違いから始まった俺の異世界ライフは、早くも最大のピンチを迎えていた。
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