第1話⑧

 テルウイングの中央に位置するこの「管理区」は、 この街における土地、人、物流、そして転移者までもを統括・監督する、いくつもの組織が並び立つ区域である。


 今回彼らが向かったのは、その中でも「封域」を管理する機関――律協会。

ヌールの2人にとって、決して気軽に踏み込める場所ではない。建物の前に立ったとき、和樹はネフェリに小声でつぶやいた。

「……やっぱり、ここに来ると妙に緊張しますね」

ネフェリは目を細めて応じる。

「そうね。いくら“折り合い”をつけてもらったとはいえ―― 私たちは律の外で、“送り”をしている立場だから。 正直、歓迎されてるとは思えないわね」

 二人はそうぼやきながら、律協会の正面に立ち止まる。

 その建物は、決して華美な装飾があるわけではない。 しかし、石造りの外壁と静謐に張り詰めた気配が、ここが「律」を保つ機関であることを雄弁に物語っていた。

 彼らが建物の扉を開き、中へと足を踏み入れる。

律を保つ機関――その名の通り、建物には華美な装飾ひとつなく、無機質で簡素な造りが広がっていた。

 ヌールの二人は、石造りの足場を進み、受付へと向かう。 受付の机の奥には一人の女性が座っており、彼らに気づくと軽く会釈を返した。

 先に口を開いたのは、ネフェリだった。

「今日はあなたが当番なのね」

続いて和樹が、どこか安堵したように声を添える。

受付に座っていたのは、エミリア――ヌールにも中立的な立場を貫く、数少ない律協会の職員だった。

「こんにちは、ネフェリさん、和樹さん。今日のご用件は?」

 エミリアは、彼女らしく快活な声で迎える。

和樹はカバンの中から、リュカより預かった一通の書類を取り出し、彼女に差し出した。

「死亡証明書です。封域の許可と、律馬車の手配をお願いできますか?」

 それに応じてネフェリが続ける。

「2日後の朝、出棺の手配は可能でしょうか?」

「少々お待ちください」とエミリア。手元の書類を確認した後、

「問題ありません。では、手続きを始めます。こちら、今日の番号……102番ですね」

 番号が書かれた紙片を受け取り、和樹とネフェリは受付の横に備え付けられた長椅子へと腰を下ろした。


 律協会――そこは、封域、すなわち火葬・埋葬を司る場所を管理する機関。

 死者を運ぶ馬車の配備、鎮魂を執り行う専門職である鎮魂師の教育、そして「生者を死者として変える」ための事務処理までも担う。

 受付ロビーには、今日は少なからず、人々が行き交っていた。

 鎮魂師、警備官(おそらくは引き取り手のない死者の手続きをしているのだろう)、そして、身内を亡くしたばかりの、沈んだ面差しをした者たち。

彼らもまた、律に従い、近しい誰かの“名”を記録から除かなければならないのだ。

 この街の住人は、律に従って、死が訪れたとき律協会へ赴き、封域と律馬車の手配を済ませる義務がある。

 やがて、協会の手配によって馬車が死者の元へと向かい、

棺に納められた故人は、そのまま封域へと搬送される――それだけだ。


遺族の同行は、許されない。

あまりにも、呆気ない別れだった。


 そのとき、不意にネフェリが立ち上がった。

彼女は座ったままの和樹を見下ろし、短く言った。

「考えごと? 番号、呼ばれたわよ」

 そう言い残し、さっさと受付へと歩いていく。

受付ではエミリアが待っていた。

「では、こちらが封域使用許可書と、律馬車の使用申請書の控えになります」

と、書類を手渡す。

和樹は小さな声で、遠慮がちに尋ねた。

「あのー……律馬車の運転手って、どなたですか?」

ネフェリは呆れたようにため息をつく。

「カズキ、あなた、それ毎回聞くのね」

エミリアは苦笑しながら、書類を確認した。

「ええっと、当番表によれば……おめでとうございます。ゲールさんですね」

 その名を聞いた瞬間、和樹の喉から「うぐ」と妙な声が漏れた。

――律馬車の運転手、ゲール。

かつて自分が律協会で補助をしていた頃から、何かと小言を言ってくる筋肉自慢の頑固者。

いい思い出など、ひとつもない。

(よりによってあの筋肉野郎か……)

「さ、必要な書類は揃ったわ。次に行きましょう」

ネフェリは早足で受付を離れていく。

和樹はやや遅れて、慌ててその後を追い、律協会をあとにした。

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