婚約破棄されたので、もう恋はこりごりです! 辺境の谷でハーブを育てていたら、堅物騎士団長と謎多き大商人に、なぜかものすごく溺愛されています
境界セン
第1話 婚約破棄と、一杯のハーブティー
「アリア・フォン・リンドバーグ! この僕と君との婚約を、今この時をもって破棄させてもらう!」
きらびやかなシャンデリアが輝く王宮のホールに、甲高い声が響き渡った。声の主は、この国の第一王子であるエドワード様。私の、ついさっきまで婚約者だった人だ。
彼の隣には、か細い体を震わせる男爵令嬢のリナさんが、潤んだ瞳でエドワード様の腕にすがりついている。
「エドワード様…私のために…」
「ああ、リナ。僕が君を守る。もう誰も君をいじめたりはさせない」
周囲の貴族たちが、ヒソヒソと私に非難の視線を向けるのが分かった。私がリナさんをいじめた? そんな事実はどこにもないのに。彼らが信じるのは、王子の言葉と、涙を流す可憐な少女の姿だけ。
ああ、もう、ばかばかしい。
恋愛なんて、本当にくだらない。
私はずっと、エドワード様の婚約者として恥ずかしからぬよう、作法を学び、歴史を学び、妃教育にすべてを捧げてきた。彼に好かれようと、いつも笑顔を心がけてきた。でも、その結果がこれだ。
胸の中にあった何かが、すぅっと冷えていくのを感じた。
「……承知いたしました、エドワード王子」
私は静かに頭を下げた。涙は見せない。ここで泣きすがったりしたら、それこそ彼らの思うつぼだ。
「ですが、一つだけ。私がリナ様をいじめたという証拠はどこにあるのでしょうか?」
「ぐっ…それは、リナがそう言っている! 彼女の涙が何よりの証拠だ!」
「そうですか。承知いたしました」
ああ、もうダメだ。話が通じない。
私は、こんな人のために、自分の人生を無駄にしていたんだ。
ふと、頭の中に前世の記憶がよみがえる。
日本の、農業高校に通っていた記憶。泥だらけになりながら、仲間たちと野菜やハーブを育てて笑いあった日々。そうだ、私、あんなふうに生きたかったんだ。誰かのためじゃなく、自分のために。
「つきましては、王家からの慰謝料などは一切いただきません。ただ一つ、お願いがございます」
「なんだ?」
「国内にある、誰も欲しがらないような土地を一つ、私にいただけないでしょうか。王都から離れた場所で、静かに暮らしたいのです」
私の意外な申し出に、エドワード様も周りの貴族たちも目を丸くした。
「ほう? ちょうどいい。北の果てにある『忘れられた谷』と呼ばれる土地がある。痩せていて作物もろくに育たん不毛の地だ。罪人のお前にくれてやろう!」
エドワード様は、勝ち誇ったようにそう言い放った。
それを聞いて、私は心の中でガッツポーズをした。
(やった! 不毛の地、最高!)
痩せた土地なら、前世の知識が活かせる。土壌改良から始めて、私だけのハーブ園を作るんだ。
こうして私は、その日のうちに王都を追われるようにして、『忘れられた谷』へと向かうことになった。
◇
ガタガタと揺れる馬車の中。
私についてきてくれたのは、昔から仕えてくれている侍女のアンナだけだった。
「アリアお嬢様…。本当に、よろしかったのですか? あんな土地へ行くなんて…」
「いいのよ、アンナ。私はね、これからは自分のために生きるって決めたの」
「お嬢様…」
持参した荷物の中から小さな包みを取り出した。中には、乾燥させたカモミールとミントの葉が入っている。王都の屋敷の庭で、私がこっそり育てていたものだ。
「まずは、美味しいハーブティーを飲んで一息つきましょう」
幸い、馬車にはお湯を沸かすための小さな魔導コンロが積まれていた。コポコポとお湯が沸く音と、ハーブの優しい香りが狭い車内に広がる。
「まあ、なんて良い香り…」
アンナがうっとりと目を細める。
私はカップに黄金色のお茶を注ぎ、一つを彼女に手渡した。
「さあ、飲んでみて。これから始まる新しい生活の、お祝いよ」
二人でカップを傾ける。
カモミールの優しい甘さと、ミントのすっきりとした後味が、旅の疲れをじんわりと癒やしてくれた。
そうだ、これでいいんだ。
私には、この手で人を癒やすことができる力が、知識がある。
王子様なんていらない。豪華なドレスもいらない。
これからは、この力で、私と、私の大切な人たちのために生きていこう。
馬車の窓の外には、荒涼とした景色が広がっていたけれど、私の心は不思議なくらい、晴れやかだった。
数日後、ようやくたどり着いた『忘れられた谷』。
私を迎えてくれたのは、年老いた執事のセバスさんと、数人の使用人だけだった。領主の館はボロボロで、畑は石ころだらけ。噂通りの、見捨てられた土地。
でも、私は少しもがっかりしなかった。
地面の土をひとつかみして、その匂いを嗅ぐ。
(大丈夫。この土は、生き返る)
私の胸は、希望でいっぱいに膨らんでいた。
そんな時、館の門の前に、一人の騎士が馬に乗って現れた。陽光を反射する銀色の鎧。腰に下げた長剣。そして、すべてを見透かすような、鋭い氷色の瞳。
「本日付で、この地の警備責任者として着任した、ライル・アシュフォードだ。…あなたが、新しい領主のアリア様か」
低く、感情の読めない声。
彼が、王家から送られてきた『監視役』であることに、私はまだ気づいていなかった。
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