第48話 それぞれの旅立ち

――カイ達とM.E.T.I.S.との交渉が成立し、アビス・ラインを通って全員で下層へと帰還したあの日から、一週間。

入り口に掲げられた「臨時休業」の張り紙が潮風に揺れる、ジョニーの拠点の最奥部。

自室のベッドから身を起こし、眼下のベッドテーブルへと置かれたその料理、いや、そのを、ジョニーは死んだ魚のような目で見つめていた。


「……シャルロット……」

「はい、ジョニー様」

「……これは?」


ベッドサイドの椅子に楚々として腰掛けるシャルロットは、よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに、その豊かな胸を張った。


「ジョニー様の一日も早いご快復を祈り、高い栄養価と免疫力増進を両立する発酵食品を主体に組み上げた私の自信作――名付けて、『発酵三重奏のコンポジション、乳酸の香りを添えて』――です」

「…………ほう?」


その瀟洒しょうしゃなネーミングと、その名に相応しい手の込んだ盛り付けは、彼女の努力と愛情を感じさせる。

問題は、純白の皿の上で圧倒的な存在感を放つそれが、キムチと味噌とヨーグルトの混合物としか形容しようがない、という点である。


「――地獄への道は、善意で舗装されている……か……」

「……?」


柄にもなく哲学的なことを口走ってしまったのは、これから自分の身になにが起きるのかを、無意識下で理解しているからなのかもしれない。

だが、どうして彼女を責められようか。

彼女の記憶と常識が錯乱しがちなのは、彼女の責任ではない。

それはアクシオンの非道な実験がもたらした脳障害よる不可抗力であり、彼女に悪意はないのだ。

その証拠に、ナイフとフォークを握ったまま固まるジョニーをじっと見つめる彼女のすまし顔には、少女のように無垢な期待を宿した瞳が煌めいている。

これまでも、似たようなことは何度もあった。

だが、ここまで殺人的な成果物が産み落とされたのは初めてだ。

敵討ちの折に受けたEMP弾の直撃が、彼女の脳の焼損を一段と悪化させたのかもしれない。

今一度医者に診せるべきなのかもしれないが、まずは今、彼女の精神的健康のためにも、男として目の前の手料理を平らげてみせなくてはならない。


(――南無三!!)


ジョニーはカッと目を見開くと、赤と白と茶が不穏に混ざり合うその一品を瞬時に切り分け、素早く己の口へと運んだ。

だが、仏に求めた救いは、元より神も仏も信じていない彼に、都合良く降り注ぐことなどなかった。


「――?!」


彼がそれを咀嚼そしゃくした瞬間、名状しがたい味が口内一杯に広がり、視界はサイケデリックに歪む。

しかし、ここで一瞬でも立ち止まってしまえば、もう二度と歩き出せないことを、彼は直感した。

手放しかけた意識を必死に手繰り寄せ、次々に切り分けた料理を口に放り込んでいく。

そして最後の一口を嚥下えんげしたとき――彼は、自分がやり切ったのだと悟った。


「……いかが、でしたか?」


今や遠いシャルロットの声は、期待と不安を半々に含んでいる。

ジョニーは震える左手をゆっくりと持ち上げ、握り拳から力強く親指を立てると同時、にやりと意味深に笑って――そのままぱたりと意識を失った。



「ジョニー様……眠って、しまわれたのですね……」


慈母のように温かな微笑みを湛え、シャルロットは修理を終えたばかりの左腕でジョニーの頭を支えながら、彼の身体をそっとベッドへと横たえる。


「……六年もの間、私のエゴで、この島に縛り付けてしまい、本当に申し訳ありませんでした……でも、これで、前に進めます……この島を出るにしろ、留まるにしろ、私は、あなたの隣にいます……これからも、ずっと……」


自分の頬が、紅潮しかけているのがわかる。

彼女はいつものように、心を凍て付かせ人形を装おうとして――もうその必要もないのだと気付いた瞬間、胸の奥が熱く火照る感覚に襲われた。


「…………」


――自分には、実の娘をした女と同じ血が流れている。

その厳然たる事実は、彼女に長い間、想い人に気持ちを伝えることを阻んできた。

だが、その己自身に嵌めた枷も、そろそろ外してもよい頃合いなのかもしれない――


「……あっ――」


よく見れば、ジョニーの寝顔が苦悶に歪んでいる。

もしかすると、悪夢を見ているのかもしれない。

いや、それとも寒いのだろうか。

いずれにせよ、ここは自分の体温を有効活用すべきではないだろうか。

そうだ。そうに違いない――


「し、失礼します……」


シャルロットはベッドテーブルを静かに脇に寄せると、するりとジョニーの掛け布団の内側へとその身を滑り込ませる。

そして、悪夢にうなされている様子のジョニーに寄り添うように、ぴたりと身体を密着させた。


「ジョニー様……あなたが目を覚ましたら、一つ、お伝えしたいことが、あります――」



「――レイラ、準備はできたか?」

「うん、これで、全部……」


ヴァルターの拠点の地下で、レイラはツールボードから最後の工具を外し、手元の大型のツールボックスへと移し替えると、その蓋を丁寧に閉めた。


「……なんだか、少し、寂しい……ここは、私の新しい人生が始まってから、ずっと住んでた、生家みたいな、場所だから……」


哀愁を帯びた表情で、レイラは拠点の内部をゆっくりと見渡す。

その手首では、先日改めて埋め込まれたばかりのRFIDタグが、淡い光を放っていた。

そしてそれは、彼女がアルカディア市民として認められた証であり、米国の準加盟国民として、海外への渡航が可能となることを意味していた。

――二人は今日、アルカディアを発つ。

ヴァルターの義体のオーバーホールと、古巣であるオブリビオンの内情を確認するため、という名目だが、彼にとっては、レイラに外の世界を見せることこそ主目的だった。


「新しい人生、か……本当によかったのか?……過去を、捨ててしまって……」


M.E.T.I.S.の計らいか、市民登録の際、レイラには二つの選択肢が与えられた。

一つは、M.E.T.I.S.が記録していた、彼女が監禁される前の、生来の国籍と名前を登録し直すこと。

そしてもう一つは、アルカディアで生を受けた孤児と同様に、ヴァルターを保護監督者として、まっさらな状態から再出発すること。

彼女は、唯一の家族であった父親が既に他界している事実だけ確認すると、己の本名を聞くことすらせず、その場でヴァルターの同意を得て、迷いなく後者を選択した――


「うん……今の私は、全部、ヴァルターに作ってもらったから……それに、この名前、凄く、気に入ってるから……み、苗字も、含めて……」

「……そ、そうか……」


恥じらうように顔を伏せたレイラの姿に、ヴァルターも思わず目を逸らして鼻先を掻く。

――「レイラ・エーデルハルト」――

それが、彼女に与えられた、新しい名前だった。

もっとも、それは法的な親子関係ではなく、あくまで彼女が社会的に自立するまでの保護監督、という位置付けであり、そこに婚姻の制限はない。

そのためか、ジョニーにザルクナゲルの修理を依頼するついでに渡航の計画を伝えた際、「新婚旅行か」とからかわれたのが数日前。

隣にいたレイラの顔が、一瞬にして茹蛸ゆでだこさながらの真っ赤に染まったことは言うまでもない――


「え、えっと……ここには、また、帰ってこられるんだよね……」


照れ隠しのためか、先立って話した内容について改めて確認してくるレイラに、ヴァルターはクスリと笑みを零した。


「ああ。中層に移り住む可能性はあるが、一度はこの拠点にも帰るつもりだ。ここまで深く関わってしまった以上、カイとセレナの決断がアルカディアをどう変えるのか、しばらくは見守っていきたい……それに、次の仕事も決まっているからな」


下層に戻ってすぐ、カイ達に渡航の計画を話した折、ヴァルターはカイからボディガードの依頼を持ちかけられていた。

セレナにはM.E.T.I.S.へのフィードバックのため、下層の現状をより詳しく見て回ってもらう必要があるが、カイ一人では彼女の安全を十分担保できない、と判断したらしい。

ヴァルター達が帰るまでの間は、件の元同僚に協力を仰ぐということだった――


「――さて、出港の時間も近い。そろそろ出るぞ」


ヴァルターは大型のバックパックを背負い直すと、レイラの纏めたツールボックスの取っ手を無言で掴み、片手に提げる。

ずしりとした金属の重みが、その掌に伝わった。


「わ、私が、持つよ……私の担当、だし……」

「いいんだ。ザルクナゲルがない分、少しは荷重がないと落ち着かなくてな。それに、これから先、お前にとっては何もかもが新鮮な初体験だ。少しでも身軽な方が、なにかと楽しめるだろう」


冗談めかした微笑と共に軽く肩を竦め、ヴァルターは入り口へと歩き始める。

――そんな彼の背中に、小さく、しかし確かな呼びかけが届いた。


「……ヴァルター……」

「ん?」


彼が肩越しに振り返ると、そこには両手を胸に重ね、瞼を伏せて微笑むレイラの姿があった。

聖母像を思わせるその美しさに一瞬息を呑んだのも束の間、彼女は勢いよく顔を上げ、瑞々しい笑みでヴァルターを見つめる。


「いつも、本当にありがとう……」


そして、弾けるような笑顔で言い放った。


「――大好き!」


――瞬間、ヴァルターの世界がその流れを止める。

無限に引き延ばされる一瞬の中で、彼の口から、無意識に零れた言葉があった。


「――Verweile doch, du bist so schön.(時よ止まれ、お前は美しい)」


彼の母国語で小さく呟かれたその一節は、彼女には意味を持つ言葉としては届かなかったらしい。

レイラは軽快な足取りでヴァルターの脇を駆け抜けると、黒く艶めくサイドポニーを靡かせ、軽やかに振り返った。


「行こう、ヴァルター!どこまでも、一緒に――!!」

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