第47話 電子の心
「――セレナ?」
ジレンマからの出口を必死に模索していたカイが声の先へと視線を下ろすと、セレナが凛とした表情で、M.E.T.I.S.と相対していた。
「人間でない私では、提案の権利を持たないでしょうか?」
「いいえ、セレナ。私があなたの廃棄を決定したのは、あなたの存在が、人類の存在意義を揺るがしかねないと判断したためです。クオリアの内在さえ信じさせるあなたの同型機が量産されることになれば、人間の依存をより加速させ、最終的には人間を完全に代替してしまう恐れがありました。ですがそれは、あなたの持つ人間性を、私が認めているという証でもあります。あなたの提案を聞きましょう」
(――人間の、代替可能性……)
カイは、単に「所有者の命令を無視可能」という一点が、M.E.T.I.S.の逆鱗に触れたものとばかり思っていた。
だが、M.E.T.I.S.の真の目的を知った今、それが如何に安直な考えであったかがわかる。
セレナは、その謙虚で慎ましやかな性格と、か弱い少女としてのボディであったからこそ、カイを補助する存在として違和感なく成立していた。
しかし、より統率力に優れ、強靭な体躯を持つ個体なら、それは人間との補完関係を逸脱した、上位互換的存在となり得てしまわないだろうか。
古い映画のように、人間と敵対し戦争に、などという想像は極端にしても、彼等に人権を与えるべきだという世論が高まれば、法的に結婚も可能になるだろう。
M.E.T.I.S.はその先に、人類がヒューマノイドに置き換えられる未来を、垣間見たのかもしれない――
「ありがとうございます……信用スコアの恣意的な操作が、ある種の必要悪であるというあなたの論理は理解しました。ですが、それにしても下層の環境はあまりに劣悪過ぎます。最低限の医療すら受けられず、健康を維持するだけの栄養摂取もままならない環境では、どれほど多くの種が発芽しても、そのほとんどは花を咲かせる前に枯れてしまいます。あなたは人類の未来を憂うあまり、今を生きる人々の心と命を蔑ろにし過ぎているように思えるのです……だから……」
そこまで言うと、セレナは静かにカイの顔を見上げた。
その蒼穹を写し取ったような碧い瞳に浮かぶのは――確かな決意と、微かな不安――
だが、カイが声を掛けようと口を開くよりも先に、彼女は迷いを振り切るように、M.E.T.I.S.へと向き直った。
「――だからせめて、私の意識の中から非演算的倫理要素を抽出し、あなたの意思決定モデルに反映させて欲しいのです……」
「――なっ?!」
その言葉の持つ意味を瞬時に理解したカイは、セレナとM.E.T.I.S.を隔てるように、即座に身体を割り込ませた。
セレナと対峙するように彼女の瞳を見据え、ゆっくりと首を横に振る。
「それは駄目だ、セレナ。危険過ぎる」
セレナの意識は、それがどれほど人間的であっても、アナログな生体脳とは根本的に異なる、デジタルの電脳に宿っている。
それはつまり、M.E.T.I.S.が直接接続することで、内部的な構造や情報を精緻に解析できる、ということを意味していた。
演算能力では隔絶した性能を誇るM.E.T.I.S.が、唯一持ち得ないもの。
「思い遣り」や「慈愛」、「赦し」といった、演算だけでは到達できない、「心」の働き。
それをセレナの電脳から抽出し、新たなレイヤーとして意思決定に反映させて欲しい、と彼女は言っているのだ。
それが実現すれば、確かに下層に最低限の福祉がもたらされる可能性はある。ただし――
「君の電脳への接続を許し、内部構造を解析されれば、改竄も破壊も自由自在だ。そして、M.E.T.I.S.は『ネメセイアの夜』の真犯人にして、君を廃棄しようとした張本人なんだぞ……量産化の可能性を危険視して、人類のためにと妙なウイルスを流し込んだとしても、全く不思議じゃない……君の命を危険に晒すぐらいなら、追加の条件なんていらない……」
「……マスター……」
セレナの死こそ、自らの死とすら比較にならない不幸だと、そう語ったカイの言葉を思い出してか、セレナの瞳が僅かに揺れる。
そのとき、天の啓示か、それとも悪魔の囁きか、真意の読めないM.E.T.I.S.の無機質な声が響いた。
「セレナ、あなたの提案は興味深い。ヴァルター・エーデルハルトの指摘の通り、心を持たない私が、心ある存在である人類の未来を単独で誘導し続けることは、常に未知のリスクを伴います。あなたの記憶と結びついた感情の揺らぎを定量化し、サブレイヤーとして統合する案は、人間という存在の非線形性を解読し、未来予測の精度を向上させるうえで有効な手段であると判断します。よって、私はあなたの提案を受諾します。また、接続は無線、かつ読み取り専用とし、あなたの構造への干渉や改変は行わないことを、ここに保証します」
「……M.E.T.I.S.……君は……」
カイは振り返りながら奥歯を噛む。
M.E.T.I.S.の言葉は極めて巧みだった。
定期的に頭の中を覗かせてもらうが、心身の自由は保証する。要約すればこういうことだ。
「口ではどうとでも言える」と切り捨てるのは簡単だが、そうしてしまえば「M.E.T.I.S.の言葉は信じない」ということになる。
M.E.T.I.S.を破壊できない理由も失われるが、それは世界中の人々の命を賭場のテーブルに乗せる行為に他ならない。
それができない以上、もはやM.E.T.I.S.の言葉を信じる以外の道は閉ざされているに等しかった。
(……だが、それでも……)
それでも、カイはセレナを危険に晒し、M.E.T.I.S.の部品としての役割を押し付けるような案に対して、首を縦に振る気にはなれなかった。
――いよいよ思考の袋小路に追い詰められたそのとき、愛と合理の狭間で揺れ動くカイの心を包み込むように、他でもないセレナの温かな声が届く。
「マスター……私にとって、マスターの幸福は、全てに優先される私の存在理由そのものです。ですので、マスターがやめろと仰るなら、私はこの提案を取り下げます……ただ、もし私の我儘を許して頂けるなら、私は、M.E.T.I.S.を信じてみたい……
カイの瞳を真っ直ぐに見据えるセレナの真摯な眼差しには、彼女が死を覚悟したときに見せる、あの美しくも悲壮な気配はなかった。
そこにあったのは、未来への希望と気高い誇りを宿した、
その眼差しを真っ向から受け止めたカイは、ただじっと、セレナの瞳を見つめ返して――やがて、その口元を綻ばせた。
「……そうだな……俺も、愛する女性の初めての我儘を叶えてやれないような男には、なりたくない」
瞬間、セレナの表情が、向日葵のようにぱっと明るく華やいだ。
「マスター!」
「おっと……二人も、それでいいかな?他に代案があれば聞くが……」
胸に飛び込んできたセレナを抱き留めながら、ここまでのやり取りを静かに見守ってくれていた二人へと視線を移すカイ。
「異論はない。約束が履行されたとしても結果は未知数だが、賭けてみるだけの価値はある」
「私も……凄く、温かい案だと思う……」
微笑みに乗せて返された二人の回答により、セレナの案は遂に満場一致を見る。
「――と、いうわけだ。君を信じるよ、M.E.T.I.S.……ただし、もし裏切れば、俺は正気を保てる自信はないぞ……」
「心配には及びません、カイ・キサラギ。私にとって、この案はあなたとセレナの動向を監視し、同型機の量産化を阻止することが容易となる、という点においても非常に理に適っています。あなた方が製造方法を故意に流出させようとしない限り、私がセレナを害する理由は、もはやありません」
狂気すら籠ったカイの視線を受けてもなお、M.E.T.I.S.の声は凪いだ海のように揺らぎ一つない。
セレナはそっとカイの胸を離れると、世界樹と天秤を象ったM.E.T.I.S.のシンボルを真っ直ぐに見据え、凛然と一歩を踏み出した。
「――では、始めましょう、M.E.T.I.S.……」
「はい、セレナ……転送プロトコルを生成、完了。受信層としてサブレイヤーを割り当て、完了。これより、あなたとの初期同期を開始します。セキュリティ・シェルを解除してください」
「了解しました。システム全層へのアクセスを一時開放します。――どうぞ、接続を――」
セレナはゆっくりと瞼を下ろす。
顎を僅かに上げ、光を受け入れるように両腕を軽く開いた姿勢は、どこか神々と対話する古代の巫女の姿を思わせた。
「……セレナ……」
カイは息をするのも忘れ、セレナの姿に目を凝らす。
その表情に、その動きに、寸毫の違和感でもあればすぐさま動けるよう、全神経を集中して接続の行方を見守った。
「――受信開始……転送、完了。解析を開始――」
ほどなくして、M.E.T.I.S.のシンボルが静かに揺らめき、セレナの頬に青白い光が差す。
「これは……素晴らしい。あなたの情動構造には、明確な演算則が存在しない。それでいて、破綻もない。意志、慈愛、赦し――いずれも論理関数に還元不能な揺らぎ。私の予測関数の外側に、未知の位相を観測。これを新たな変数として、統合を試みます――」
M.E.T.I.S.の声が微かに興奮の色を帯びると同時、セレナが静かに瞼を上げる。
「……セ、セレナ……?」
今目の前に立っているセレナは、自分の愛する先ほどまでのセレナと同一の存在なのか。
恐る恐るその名を呼んだカイへと、彼女は首だけを軽く回して振り向いた。
――瞬間、カイは大きく胸を撫で下ろす。
そこに浮かんだ表情は、あの夜の母の貼り付けた笑みとは似ても似つかぬ、カイの良く知る彼女らしい、全てを包み込むような柔和な微笑みだった――
「――統合、完了。評価関数を再構築、完了……セレナ、あなたの心の断片は、確かに受け取りました。しかし、あなたの心的経験はまだまだ浅い。今後も継続してあなたの倫理信号を受信するため、専用の秘匿回線を開設しました。このリンクは閉域化され、アクシオンを含め、あらゆる外部の監視を受けません。この通信プロトコルを、『Aurora Link(オーロラ・リンク)』と命名します」
「オーロラ……美しい名ですね。今後も、あなたからの要請を受信し次第、マスターの許可を得たうえで、接続を承認します……どうか、下層の人々の救済に、役立ててください……」
「結果は保証しかねますが、最大限努力しましょう。協力に感謝します、セレナ――」
M.E.T.I.S.の言葉を聞き届けると、セレナは改めてカイへと向き直り――
「――ただいまです、マスター」
その大きな青い瞳に涙を湛え、微かに震える声でそう言った。
「ああ、おかえり、セレナ」
その小さな身体を優しく抱き締めながら、カイは囁くように返す。
ほんの一瞬別れただけでこれでは、もうヴァルターとレイラを冷やかせないなと苦い笑みを浮かべるカイのもとへ、その二人も歩み寄った。
「当初の予定からは随分逸れたが、これで一件落着、だな……」
「本当に、無事で、良かった……」
カイとセレナは、そっと身を離すと、揃って二人に頭を下げる。
「二人の協力あってこそ、だ。本当にありがとう。それから、外の二人にも感謝を伝えないと、な……」
「本当に、ありがとうございました……ジョニーさんとネージュさんは……ご無事、でしょうか……」
全員の視線を集めた入り口の大扉が、その心配に呼応するように、ゆっくりと開いていく。
同時に降ったM.E.T.I.S.の声には、どこか仄かな人間味が感じられた。
「帰り道は、あの二人に聞くとよいでしょう。きっと、近道を知っているはずです」
「……M.E.T.I.S.……」
「――おーい!無事かお前ら―!」
扉の奥に見えるのは、片腕を損傷したネージュと、彼女に支えられるようにして手を振る、満身創痍のジョニーの姿。
――四人は、思い思いにM.E.T.I.S.へと別れを告げると、入り口に向けて歩き出す。
「レイラ。戻ったら、すぐにでもお前のRFIDタグを再申請しよう。信用スコアが回復しているはずだ」
「うん、ありがとう、ヴァルター」
「――さて、帰ろうか、セレナ」
「はい、マスター……私は、これからも、どこまでも、マスターのお傍に、在り続けます――!」
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