04

「弥歌、コンビニ寄って帰ろーよ。わたし、肉まん食べたくてさー」

 放課後、そう誘ってくれた成花へと、私は曖昧な微笑みを返した。

「……ごめん。今日、用事あってさ」

「え、そーなの? マジかー残念! そしたらまた今度絶対行こ」

 成花の笑顔は、「昨日」とは違う眩しさだった。それもそのはずだろう。結局私は「今日」、成花にループのことを伝えていないから。

 成花は気にせずにまた相談してほしいと言っていたけれど。その勇気は出なかった。

 ……それに、相談できそうな人の当てが、できたから。

「それじゃーまた明日ね、弥歌」

 腕いっぱいを動かしたバイバイをしながら、成花は教室から去っていく。

 私はふうと息をついて、席から立ち上がると空き教室を目指すことにした。

 窓の方は、見ないようにしながら。


 *


(別館三階の、旧一年四組の教室……)

 渡り廊下を進んで別館の二階に到着した私は、急ぎ足で階段を昇っていた。

 別館は、この高校が最初に使っていた校舎だ。ちょうど私が入学する頃に、生徒数の増加などを背景に新しい校舎が建てられ、古い校舎となった方に「別館」という名前が付けられたのだ。古い校舎といっても、今年で設立十周年だから全然新しいし、何なら本館よりも広い。今は本館にクラスの教室や職員室が設けられており、別館には特別教室や部活動の際に使われる教室が位置している。

 階段を昇り終えると、すぐに旧一年一組の教室が見えてきた。私は息を整えながら、最も奥に位置しているであろう旧一年四組の教室を目指す。

(そもそも瑞陽先輩は、信用できる存在なのだろうか)

(まあ……そうでなくても、明日になれば、話したことは全部リセットされるはず)

(極端な話をすれば、害になる人間は殺しても、殺した事実すら消えてしまうはず)

(……だめ。変なことを考えるな、私)

(せめて私だけは、正常でいよう。正常でいよう。正常でいよう)

 気付けば目の前に、旧一年四組の教室のドアがあった。

 私は取手に手を掛けて、がらりと音を立ててドアを開く。


 開かれた窓を覆っている透明なカーテンが、春風によってはためいて。

 教室の中心部の席に、瑞陽先輩が脚を組みながら腰掛けていた。


 瑞陽先輩の綺麗さも相まって、まるで美術館に展示されている絵画のように美しい光景だと思った。私は少しの間、開いたドアの前で立ち尽くしていた。

 瑞陽先輩は私に気が付くと、柔らかく微笑いながらこちらに手を振ってくれた。

 私もゆっくりと、彼女へと手を振り返す。

 歩き出して教室の中へと踏み入れると、不思議な香りがしたような気がした。まるで、私までもが「絵画」の一部となってしまったかのような……普段とは異なる感覚を覚えながら、私は瑞陽先輩の目の前で立ち止まる。

「……弥歌ちゃん。来てくれて、嬉しい」

「こちらこそ、ありがとうございます」

「隣の席、座って。オカルト研究会へ、ようこそ」

 私は頷いて、瑞陽先輩の右隣の席に座った。

 それから、きょろきょろと教室を見回す。

「何か、気になるものでもあった?」

「あ、というよりは、オカルト研究会という名前の割には普通の部室だなと……」

「まあ、非公認だからね。教室も勝手に借りてるし」

 そう言って、瑞陽先輩はちろりと桃色の舌を出した。その桃色までもが、完成されている色彩のような気がした。

 こんなに綺麗な人がどうして、ファッションやメイクではなくオカルトを研究しようと思ったのだろうか――疑問に思った私は、尋ねてみることにする。

「ちなみに、どうしてオカルトに興味を持ったんですか?」

「どうしてか? そうだね……まあ、単純な興味かな。昔から、そういう概念に興味があって、その気持ちを今になっても捨てられてないだけ」

 瑞陽先輩は優しく笑いながら、言葉を紡ぐ。

 確かに小学生の頃を思い出すと、朝読の時間に児童向けのホラー小説を持っている人は、貸してほしいという声が掛かって大人気だった。正直私はそういうものは苦手だけれど、一定の層からの需要はあるのかもしれない。

 瑞陽先輩はふわりと微笑んだ。

「そうしたら、今度は私から質問。私に、弥歌ちゃんの悩み、教えてほしいな」

 そう問われ、私は少しばかり目を伏せた。

 相談したいという思いの中に、微かな「相談してもいいのだろうか」という気持ちが混ざり合っている。それは多分、私が瑞陽先輩のことをよく知らないからだ。

(でも、何かあっても、リセットされるから)

(殺しても大丈夫だよ)

(殺したらだめだよね)

(正常でいよう! 正常でいよう! 正常でいよう!)

 私は手のひらに爪を立てて、瑞陽先輩の真っ青な瞳と目を合わせた。

「…………繰り返して、いるんです」

 瑞陽先輩が真剣な眼差しを浮かべながら頷く。その反応に、私は少し安堵した。

「私以外の誰も、覚えていないみたいだけど……もう、四月十三日は、三回目なんです。おんなじ日を、三回も繰り返しているんです。だから私、ずっとこのまま四月十三日なんじゃないかなって、不安で……」

 平静を装っているはずなのに、終わりの方の言葉が震えてしまう。私はきゅっと唇を引き結んで、俯きながら瑞陽先輩の反応を待った。


 ――不思議な香りに、包まれる。


 ミントのような爽やかさと、冬の石のような冷たさ。私は呆然としながら、自分が瑞陽先輩に抱きしめられていることを知る。瑞陽先輩の身体は華奢で、私が少しでも力を加えればぼろぼろに壊れてしまいそうだった。

「……怖かったね」

 瑞陽先輩のささやき声が、耳元で聞こえた。私の低めでそこまでいけていない声質とは違って、彼女は声質までもが完成されていた。高く、澄んでいて、優しい。それでいて、ほんのりと砂糖のような甘さも溶け込んでいる。

 瑞陽先輩はゆっくりと、私の頭を撫でてくれる。その慈しむような手付きに、気付けば私の瞳からぽろぽろと涙が零れ落ちていた。

「大丈夫だよ……私が一緒に、解決策を考えるから。怖かったよね、大丈夫だよ……」

 春風が私たちの身体を撫でる。

 くっついているから、まるで瑞陽先輩と溶け合ってしまったかのように感じた。



 ひとしきり泣いてしまえば少しばかり感情は落ち着いて、私は瑞陽先輩にループに関する詳細な話をできうる限り伝えた。夢の中で出会った歯車の少女のことも、グロテスクな「何か」のことも。

「なるほど……」

 瑞陽先輩は、考え込むように顎に手を添える。

 少しの沈黙の後で、瑞陽先輩は私の目を真っ直ぐに見据えた。

「弥歌ちゃんが私と出会ったのは、今日――三回目の四月十三日が初めてなんだよね?」

「そうです。一回目も、二回目も、瑞陽先輩とは出会えませんでした」

「今回初めて私と出会えたのは、弥歌ちゃんが体育の授業中バスケットボールの試合で考え事をしてしまって、一回目にも二回目にもなかった怪我をしたから、だよね。ということは、さ」

 瑞陽先輩は真っ青な瞳に歪んだ私の姿を映し出しながら、微笑う。


「――弥歌ちゃんが異なる選択を取れば、未来も変わる。そうすれば、何かしらの行動が切っ掛けとなって、『四月十四日が平常に訪れる』という未来が得られるんじゃないかな?」


 瑞陽先輩の言葉を、私は脳内で反芻する。

 それから、ゆっくりと頷いた。

「……確かに、やってみる価値があるかもしれません」

「ふふ、そう言ってくれてありがとう。それと、歯車の女の子とか、『何か』とかも、何らかの形で関わっていそうだよね。弥歌ちゃんはその女の子と初対面のはずなのに、初対面ではないような気もするんだ」

「はい」

「そういう違和感は、大事にした方がいいと思う。『ループ』という明らかな歪みの真相に迫るには、小さな歪みを集めていくことが重要だろうから」

「そうですよね」

「うん。そうしたら取り敢えず、明日訪れるだろう四回目の四月十三日では、今までとは思いっきり異なる選択を取ってみてほしい。それが切っ掛けで、新しい何かしらの『歪み』に気付くことができるかもしれないし」

 瑞陽先輩はそう言って、私の右手を、ほっそりとした両手で包み込んだ。

 青い目は私の全てを見透かしているかのようだった。

 手の甲を優しく撫でられて、心臓が少しだけ跳ねたように感じた。

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