天使の羽音 ~消えたアンコール~

カゲウラシンジ

第1話 笑顔

 10月上旬の土曜日、東京の臨海副都心に広がるショッピングモールは、家族連れや外国人観光客でごった返している。女性誌記者の北條智子ほうじょう・ともこはまだ日が高い午後3時すぎ、巨大な建物の脇に伸びる細長い通路を歩いていた。

 通路の突き当たりには大型アリーナ「臨海ワールドシアター」の楽屋口があり、レコード会社と芸能事務所の関係者受付、その隣には「メディア関係者」と貼り紙された机が置いてある。


「おはようございます!」

「あ、智子さん、今日もありがとうございます!」

 すっかり顔なじみとなった美玖みくが、にっこりとほほ笑む。智子は、マネージャーと広報を兼務する美玖の笑顔が大好きだ。ムスっとした顔つきの芸能マネージャーも少なくないなか、PR代理店から転職してきた美玖は、同じ女性から見ても愛想笑いではない心からの笑顔で出迎えてくれる。


「私はこの現場に歓迎されているんだ」

 そう思わせる魅力が、美玖の笑顔には漂っている。そんなところも智子が、このグループに入れ込んでいる理由の一つかもしれない。


 以前は読み物ページ担当だった智子は2年前、芸能ページに担当替え。

 様々なアイドルを取材するなか、いまの最推しが24人組の女性アイドルグループ『24 Colours』(トゥエンティーフォー・カラーズ)、略称『ニジいろ』である。


「次に来る女性アイドルグループ」の代表的な存在としてTikTokなどのSNSでも話題の24カラーズはこの日、大型アリーナの臨海ワールドシアターにて昼と夜の2回公演を開催。合計でキャパ1万人という大規模なライブだ。


「券売はどうですか?」

「おかげさまで前売り券は完売しました! 昼夜100枚ずつ当日券を用意したんですけど、それも瞬殺でしたよ♪」

 嬉しさを抑えきれない美玖に、こっちまで笑顔になってくる。

 今日はどんなステージで魅せてくれるのか、早くもワクワクが止まらない。


 それ以上に楽しみなのは、大型ライブの舞台裏がどんな風になっているのかを間近で見られること。智子はこの日、次号での特集企画に備えて、現場密着レポートという名目で楽屋エリアに入れてもらえることになっていた。

 これまでにもLINE CUBE SHIBUYAや、Shibuya O-Eastといった1000人規模の会場では何度も、24カラーズのライブを観ている。終演後の関係者挨拶で楽屋エリアに入ることもあり、そのたびに智子のミーハー心がくすぐられてきた。


 今回のライブは24カラーズ史上でも最大規模。楽屋エリアの雰囲気もこれまでとは大違いだろう。普段なら通路の長机にお弁当や飲み物が無造作に積み重ねられ、差し入れのスイーツがその横に並べられる。

『月刊フィーユ 北條様からいただきました』と手書きされた紙が添えられているのを見ると、自分も業界人の端くれなんだと思わずニヤけてしまう。


 だが今回は美玖から事前に「差し入れはご遠慮します」と伝えられていた。公演の規模が大きくて差し入れに対応していられないのかな。そう思っていたが、いざ楽屋エリアに足を踏み入れた瞬間、その理由が目に飛び込んできた。


 そこはまるで台湾の夜市か、はたまた企業の創立記念パーティーか。

 十種類以上のホットミールがホテルの朝食バイキングさながらに並んでおり、スイーツを載せたワゴンはまるで千葉の人気テーマパーク。ファミレスのようなドリンクバーの機械まで置いてある。メンバーや現場スタッフはもちろん、ゲスト来場者が食べてもいいそうだ。


「ぜひ智子さんもお好きなもの、食べてってください!」

「え~、いただいちゃってもいいんですか?」

「むしろ、食べ物や飲み物はここにしかないから、全然大丈夫です!」

 そう言いながら美玖は、ふたつきのタピオカミルクティーを手に取り、例のぶっといストローをブスっとしてみせる。斜めに持ってもこぼれないので、広報仕事で動き回る彼女にはうってつけだという。


 じゃあ私はスイーツでも、もらおうかな。

「何がありますか?」

「韓国風チュロスはいかがですか? オススメですよ!」

 愛想の良い笑顔で、ケータリング業者の若い女性が手渡してくれた。

 表面はカリカリ、中はしっとり。なにより温かいのが美味しい。

「今日は、花道はなみちさんと同じケータリング業者にお願いしているんですよ」

 美玖が嬉しそうに説明する。


『花道 -Hanamichi-』とはドームツアーが即完売するほどの人気を誇る、アイドル業界を代表する人気女性グループ。ケータリングの豪華さはテレビ番組で紹介されたことがあり、智子もバラエティ番組で見かけた記憶がある。


 24カラーズもいまや、メンバーの人数で花道と肩を並べる規模になったこともあり、これほどにも豪勢なケータリングを用意することもできるということか。

「ほら、神﨑かんざき社長ってもともと、花道の事務所だったじゃないですか」

「そっか。だからこの手の業者にもお詳しいんですね」


 広いようで狭い芸能界。業界関係者の多くは、いろんなところで繋がっていたりする。

 出入りの業者に関してはケータリングはもちろん、音響や照明、舞台設営や会場整理、さらには配信からチケット券売など様々な業種が関わっており、横のつながりも強い。ライバルグループ同士が同じ業者を使っているのも珍しい話ではない。


 しかも今日は、24カラーズにとって初のアリーナ公演。ふだんのライブとは動いている人数が桁違いに多く、ぴりぴりした空気感も相まって楽屋エリアはまさに戦争だ。

 これが本物のエンターテイメントというものか。取材を通じて芸能界には慣れているつもりの智子だったが、今日ばかりは大人しくしていたほうがよさそうな気がする。


「あぁ、智子さん、来てくれたんですね♪」


 完璧な笑顔で声を掛けてきたのは24カラーズのキャプテンこと陽南海彩みなみ・みさだ。昼公演が終わって間もないはずだが、練習着姿の海彩はふだんと変わらぬテンションで気さくに話しかけてくる。“太陽の申し子”が見せる笑顔はいつもまぶしい。


「今日はみんなの邪魔にならないよう、静かに見学させてもらいますね」

「私ならいつでも取材してもらって大丈夫ですよ。なんなら、いまコメントします?」


 肝が据わっているとはこのことか。とても22歳とは思えない落ち着きと貫禄。

 社会人1年目の私なんてまだひよっこで、おどおどしながら仕事していたものだが、この違いはなんなのだろうか。


「いまはまだ大丈夫。夜の部が終わったら感想を訊きたいので、考えておいてね」

「アイアイサー! ではまた後ほど!」

 海彩は自衛隊員さながらのキレイな敬礼を披露し、踵を返して去っていく。っていうか、24カラーズって海軍式なのか。まあ『海彩みさ』っていうくらいだし。


 そんなことを思っていたら、通路の奥からショートボブの美少女がこっちを見ていることに気が付いた。“孤高のカリスマ”こと、エースの秋月天音あきづき・あまねだ。


 凛とした切れ長の目。生まれた時から矯正していたのかと思うほどにキレイな歯並び。口元にはささやかながら存在感のあるほくろ。

 どんな髪形でもその美しさは際立つが、肩まで伸ばしていた髪をライブの2日前にいきなりショートにしたと聞いたときには驚いた。しかも事務所には無断だったという。


 海彩と話しているところを見ていた天音は、目が合うと少しだけ会釈し、楽屋のほうに消えていった。美しすぎる幽霊を見たかのように、少しぞくっとしてしまう。


 ダーン、ダダッ♪


 ライブ本編の最後を飾る楽曲が終わるとまばゆい照明がステージ全体を包み込み、メンバーたちの表情を照らしだす。汗にまみれながら最後のポーズを決め、観客に笑顔を振りまく。

 心のなかで「10・9・8」とカウントダウンしながら同じ姿勢をキープし続けるメンバーたち。そのあいだにマスコミのカメラマンが、ウェブニュースを飾る決めカットを撮影するのが、いわば約束ごととなっている。


 心で数えていたカウントがゼロに達すると、メンバーたちはステージの中央付近に集まり、本編ラストの挨拶に備える。だが一人、秋月天音だけは下手しもて側の舞台袖に向かってまっすぐと歩みだしていった。

 客席には目もくれず、急ぐでもなく、ゆっくりと余韻を味わうのでもなく、リハーサルのときと変わらぬ足取りで楽屋へと戻る。


 決して格好つけているわけではない。天音はただ、曲が終わるとともに自分の役目も終わったと思っているだけ。笑わぬエースの彼女が一人で舞台を去りゆくのはいつもの光景だ。


「あまね~っ!」

「こっち向いて~!」

 女性人気の高い天音に黄色い嬌声が飛び交うも、彼女は振り向くことなく舞台袖に消えていった。他のメンバーたちはステージの中央付近に集まり、キャプテンの陽南海彩が「24カラーズでした。本日はありがとうございました!」と、本編終了の挨拶で締める。


 メンバーたちはわちゃわちゃしながら、左右の舞台袖へと消えていく。全員がハケたのを確認した海彩が最後、ステージの端っこで深々とお辞儀をするのもまた、いつもの光景だ。

 これが部活動だったとしたら、部長は海彩に違いない。そう思うのは、バルコニー席からライブを観ていた智子だけではないだろう。


 夜の部のライブ中、智子は楽屋エリアで取材に熱中。曲が替わるごとにメンバーが次の衣装に早着替えしたり、MCの最中に舞台装飾を素早く転換する様子などを自分の眼で確かめながら、大型ライブの裏側がどうなっているのかをメモしていく。


 ライブの序盤と終盤には全メンバーが登場する一方で、中盤ではユニット曲を披露したり、ソロ歌唱のコーナーやダンスバトルがあったりと、メンバーの出入りは激しい。

 その最中にケータリングコーナーでスイーツをつまんだり、なかには肉料理を口に運ぶ猛者の姿も。元気な子は良く食べて良く寝るというが、やはりアイドルは体力が資本なのだと実感させられる。


 本編があと2曲で終了というタイミングで、智子は楽屋エリアから客席側に抜ける通路を移動。途中の階段で、バルコニー席の関係者エリアまで駆け登る。

 舞台裏の取材がメインとはいえ、24カラーズに入れ込んでいるからこそ、やはりラストの曲やアンコールくらいは自分の眼で観ておきたかった。


 関係者エリアでは、所属事務所スタークラフトの神﨑かんざき社長が真剣なまなざしでステージを見つめている。その周りには業界関係者なのか、若いアーティスト系から、スーツ姿の老人まで、様々な人の姿が。各方面から24カラーズが注目されている証拠だろう。


 ライブ本編が終わっても、客電はまだ消えたまま。ステージ背後の電飾が「ライブはまだ続いている」と言わんばかりに輝き続けている。

 客席では色とりどりのペンライトが集魚灯のように揺らめき、バルコニー席から見下ろすアリーナはまるで、月夜に輝く海のようにも見える。


 しばしザワザワが続いたのち、自然発生するアンコールの声。アイドルライブではおなじみの様式美ながら、ファンはみな、この段取りを心から楽しんでいるのだ。


「アンコール! アンコール!」

 ステージ裏手の楽屋にまでアンコールの絶叫が響いてくるなか、メンバーたちは汗をぬぐい、メイクを直し、ツアーTシャツに早着替え。


 その時間を稼ぐため、ステージの大型スクリーンには今回の全国縦断ツアーを振り返るダイジェスト映像が流れ始める。途端にアンコールの声が小さくなり、ファンも着席。

 今日のアンコールは2曲。その前にMCタイムがあり、大型スクリーンに『緊急告知』を映し出すのもまたお約束の流れだ。


 メンバーたちはMCタイムに何らかの発表があることは知っているものの、その内容を知っているのはMC担当の海彩だけ。


 札幌・新潟・仙台・宇都宮・横浜・名古屋・大阪・広島・高松、そして福岡と日本列島を縦断してきたツアーは、全会場がソールドアウトの大成功。なによりファンの過半数が女子という理想的な流れで、今日の東京ファイナル公演を迎えていた。

 この後の緊急告知も、多くのファンが期待するサプライズであることは確実だろう。


「おそらく日本中のアイドルが目標とする、あの会場でのライブを発表するんだろうな」

 そんな智子の予想は当たるのだろうか。


 キャプテンの海彩には専用の楽屋が割り当てられており、チーフマネージャーや舞台監督と共に、緊急告知の内容を最終確認。

 ライブのエンディングを飾る大事な告知ゆえ、進行台本を見ながら海彩が内容を音読していると、マネージャーの美玖が息せき切って飛び込んできた。


「あまねが、あまねがいません!」


【おい、またか……】

 チーフマネージャーの時成ときなりがため息をつく。ライブの途中で天音が行方不明になるのはこれが初めてではない。気分屋の天音が誰にも告げることなくトイレに行ったり、ケータリングをつまみにいくのはいつものことだ。

 狭いところが落ち着くという天音はお弁当が置かれている長机の下で体育座りしていたり、楽屋に置かれているソファーの裏に挟まっていたこともある。


 今日は過去最大級のライブゆえ、楽屋エリアには事務所スタッフも初めて見る機材や舞台セットがたくさん置かれている。どうせ、大道具の裏あたりに隠れているんだろう。


 どのみちアンコールで天音が登場するのはラストの1曲だけ。海彩がMCを務める緊急告知に加えて、アンコール1曲目(E1)には海彩のセンター曲『キラメキ燦SHINEサン・シャイン』をドロップすることになっており、天音を探す時間はそれなりにある。

 緊急告知をゆっくりめにやれば、10分は稼げるだろう。


 念のため現在時刻を確認する時成。ライブではいつも腕時計を着けており、19時40分を指している。本編の終了から5分が経っていた。


 美玖があたふたする様子を見ていた海彩は【いつものことじゃん】と言わんばかりの表情で台本に目線を移し、自分が話すべき内容を暗唱。


 だが、いつもと同じ状況だったのは、ここからほんの数分間だけだった。

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