第2話 転機


 ルシア・バルビゼには、いわゆる『前世の記憶』がある。


 陰陽師として呪いや怨念を祓い、天候や吉凶を占って生きていた。だが、「女は陰陽師にふさわしくない」とする旧態依然とした派閥では不遇。

 ついには強力な呪いを受け――命を落とした。


 その最期に心を痛めた神の加護を受け、ルシアは再び人の世に生まれ変わった。なんと、伯爵令嬢として。


 前世の記憶を持ったままとはいえ、子どものころは苦労の連続だった。


 朝日に向かって真言を唱えれば医者を呼ばれ、誰にも見えない『何か』に向かって九字を切ると――指を刀と見立て『臨兵闘者皆陣烈在前りんぴょうとうしゃかいじんれつざいせん』と唱えながら宙を横縦、横縦と切る仕草――母は真っ青になって気絶。


 正座をすればメイドたちに気味悪がられ、ついには中庭の隅にある『見えないモノ』に向かって「急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう!」と言いながら紙の札――読めない字のようなものが書いてある――を投げつける始末。

 

 変人ルシア。不思議の国の令嬢。夢の住人。


 自分に対する周囲の評価を耳にするたび、幼いルシアは当たり前に傷ついていたが、両親は見守ってくれた。


「ルシアは、ルシアらしく生きればいい」


 バルビゼ家は王国宰相の義兄という強固な後ろ盾を持ち、領地は王国随一の紙と木材の生産地。

 余裕のある家だからこそ、『ちょっと変わった娘』に目をつぶることができたのだろう、とルシア自身は理解している。

 

(普通の娘でないことが申し訳ないけれど。わたくしは、力を持って生まれ変わった――ならばそれを、世のため人のために使いたい。前世で報われなかった想いを、今度こそ果たしたい)


 風向きが変わったのは、ルシアのデビュー後。十八歳の時のことだった。


「殿下の様子がおかしいのだ。ルシアなら或いは何か……」


 王国宰相であるフラビオ・イグレシア侯爵がバルビゼ家の所有する王都のタウンハウスを訪れ、バルビゼ伯爵に相談を持ちかけた。

 王子が毎夜寝つけず、夢見も悪く、睡眠不足で食欲もない。どんな名医を呼んでも治らず、ついには寝台から起き上がれなくなったというのである。


「ううむ……殿下に会わせるのは良いが、ルシアのことはフラビオもよく知っているだろう? 特異な仕草や言動をしても、不敬を問わないと約束してくれないか」


 バルビゼ伯爵が身の安全を担保してから首を縦に振ったのは、ルシアにとって大変ありがたいことだった。

 それでは足りないとばかりに、バルビゼ伯爵はルシアに諭す。


「いいかい。私たちは、これまで家で起きた『目に見えない異変』をルシアが解決してきたことを知っているが、殿下はそうではない。決して、注意を怠らないように。いにしえの魔法使いなどと噂を立てられては、大変だ」

「魔法が失われて久しいというのに、魔法使いと名乗る者たちがいるなどと。巻き込まれたくはございませんので、肝に銘じますわ」

「うん。殿下の気分転換になればいいぐらいの気持ちで、行っておいで」


 ○●

 

 王宮にある王子の私室は、ベッドを囲むように近衛騎士や医師、身の回りの世話をする侍従やメイドがいて、張り詰めた空気である。

 部屋の中へ招かれたルシアは、ピタリと足を止め、眉根を寄せた。


「どろどろと怨嗟が渦巻いております。それも、視界が歪むほどの強い恨み。正直、入るのもためらわれますわ」


 荒唐無稽な物言いに近衛騎士たちが失笑する中、ルシアは動じることなく、左手を鞘に見立て、右手の二指を立てて抜刀のように構えた。そしてそれで空を斬るようにして、歩を進める。その歩き方は陰陽師独特の『反閇へんばい』と呼ばれる歩法で、悪しきものを踏みしめ封じる、という意味がある。


 そして寝台へ横たわる王子へ近づきながら、問いかける。


「殿下。色恋沙汰にまつわる強い恨みなどに、お心当たりはございませんか」

「……!」


 充血した目を見開き、言葉を失う王子に対し枕元に立ったルシアは、冷えた黒曜石のような眼差しで彼を見下ろす。


「原因がわからなければ、祓えませんわ」

「……はら、う……?」


 掠れた声でようやく呟く王子の唇は乾き、割れて血が滲んでいる。このまま放っておけば、正気も生気もさらに削り取られていくのは確実だろう。


「ええ。わたくし、バルビゼ伯爵家令嬢ルシアと申します。宰相閣下とは近しい間柄にございます。口の堅さは保証いたしますわ」


 沈黙の末、王子は観念したように告げた。


 ――先月の夜会で、婚約者である公爵令嬢に、一方的な婚約破棄を申し渡してしまった、と。


(やはり……)


 夜会を好まぬルシアの耳にも、破談の噂は届いていた。


 ○●


 王子の婚約者である公爵令嬢エディットは、高貴な血筋だけでなく、金髪碧眼の美貌に優れた知性で、王太子妃として非の打ち所のない人物である。

 ルシアとは別の意味で近寄りがたいエディットは、派閥に属さず孤高を保つルシアを気に入り、しばしば個人的なお茶会に誘っていた。


 そんな中、エディットの重たい口から放たれた愚痴は、聞き流すことができない『恨み』を孕んでいて、ルシアは危機感を募らせる。


「殿下が他の方と仲良くしてばかりで、悲しいわ」


 婚約者の浮気に心を痛めただけではない。

 これほどまで矜持きょうじの高く、幼い頃から婚約者となるべく邁進まいしんしてきた女性が裏切られると、その想いは呪いに転じる。

 ルシアは前世の経験から、そう学んでいた。


(後宮の姫君なら、鬼に成ってしまわれるほどのこと。ただの愚痴と甘く見積もってはいけないわね)


 後日、再びエディットの個人的なお茶会に参じたルシアは、柔らかな口調でとある小袋を差し出した。

 白いレースで縁取られた香袋のようなもので、予め焚き上げた香木が入っている。


「こちらをお持ちください。この中へ怨嗟を吐き出せば、お心を鎮める作用がございます」

「ルシア……?」


 エディットは目を丸くし、そして笑った。


「ありがとう。わたくしに魅力が足りないばかりに……情けないことね」


 公爵令嬢の手に渡った瞬間、香袋は伐採したての木のような香りを漂わせ、ルシアは少しだけ眉根を寄せた。


(早くも反応している……か)

 

「いえ、むしろエディット様に魅力がおありになるからこそ、殿下は焦っていらっしゃる。王族とはいえ、もう少し落ち着きが欲しいところですわね」

「……でも、子を残すのも責務だって、ちゃんとわかってるつもりなのよ?」

「そんな『責務』なんてゴミですわ。まずは王位を継ぐか立太子してからになさいませ、この蛆虫殿下が、です」

「ル、ルシア⁉︎ お口が悪すぎましてよ!」

「これは失礼、つい本音が」


 ルシアから見れば、王子の見目は、確かに良い。だがその所作は常に芝居がかっていて、言動も軽く、好きにはなれなかった。

 それでも幼い頃から一途に慕ってきたエディットにとっては、かけがえのない人なのだろうと理解している。

 そういった想いに寄り添うこともまた、ルシアのやりたいことであった。

 

「とにかく。お辛い時はお守りに語りかけてくださいませ。わたくしの祈りを込めてあります」

「ふふ。ありがとう、ルシア」


 その時からルシアは決めていた。


 ――何か起こったその時は、必ず自分が『後始末』をする、と。

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