療養スローライフで、幼馴染の妹が僕の担当看護師になり、療養どころではないのだが。

仁水

第1話ー療養スローライフからの景色

 療養スローライフ。

 これまでの人生でいくつものスローライフ系のアニメやラノベを消化し、数々のスローライフを妄想の中で、シミュレーションしてきた俺だが、これほどまでに起伏の無い生活は、殊、高校生の年齢では、そうそう経験できるものではない。

 休むから療養、療養とは休むものである。

 そんな簡単なタスクをこなすだけの毎日を過ごすだけで良かったのだ。

 しかし、自分自身がモブキャラであるということを失念していた俺は、一つ下の学年で一個下の後輩である担当ナースの城崎あかり、という存在に恋をするという愚行に走ってしまった。

 そんな俺に用意されていたルートというものは、王道のラブコメ主人公的路線でも失恋というほろ苦いバッドエンド路線でもない。

 単に、悶々とした毎日を過ごすだけのモブキャラ的ルートのみだった。

 そんな経験を半年も続けている俺だからこそ、これは真理として語ることができるのだが、看護師と療養者の間柄は、赤の他人以上にドライな関係であり、恋相手としてはこの世で最高ランクの攻略難易度を持つ。

 もしもこれが二次元の世界であれば、病人と看病人という特別な関係性を利用して、平気な顔を装い、持病を恋愛の転機として利用して、紆余曲折を生ませて恋愛を成就させることができるだろう。

 そんな創作物の内容を現実に実装しようと動こうにも、現実にある看護者と療養者の中で起きる一日のイベントは、数度とない。

 例えば早朝、朝の病院食を食べ終えてベッド上でテレビを見ながら寝転がっている俺と病室のドアを開けながらカートと一緒に顔を見せてくる看護師との間に起きるイベントが次の通りだ。

「おはようございます。奏汰さん、今日の検温に来ました」

「あ、はい。宜しくお願いします」

「じゃあ。こちらが体温計です。腕を出してくださいね。はい。体温36.8度、血圧は116/62mmHg、他の数字も異常ないですね!体調はお変わりないですか?」

「あ。はい。大丈夫です」

「それはよかったです!じゃあ、また伺いますねーえ」

「あ、はい。お願いします」

 これにてイベント終了である。

 そして、驚くなかれ。

 この会話こそが一日の数少ないイベントの中で最大級のビッグチャンスなのだ。

 そこには『治ったら、一緒にカフェに行きましょうね♪』などという天使の誘いがあるわけでも無く、女神のような包容力を持った『頑張ってるから、今日はご褒美あげるね♡』というような色欲の誘惑も無い。

 しかし、医療のプロフェッショナルとして真に病を治すために尽力している彼女のその清廉潔白な行為が正しいのであって、そこで田夫野人的な心で彼女に期待する俺が方が、単に下劣なだけなのだ。

 十六年間生きてきて、身内にも関わらず程よい距離感で生きてきた従姉妹の姉か妹に恋していると言ったほうがよっぽど、自然的で健康的な反応だろう。

 しかし毎日、窓の外で自分の同類が繰り広げる不毛な立ち合いを見て、安心してしまっている自分がいるのだからより達たちが悪い。

 俺の病室の窓の向こうで並木通りを通った先にそびえ立つ白い居城、それが私立大隣(おおりん)学院だ。

 俺とその彼女が通うその高校は、百年以上の歴史を持ち、あらゆる分野で随一の実績を誇る生徒の学び舎なのだ。

 そんな誇りと格式のある学園に通う生徒は、誰の目から見ても気品のあるオーラで満ち溢れている。

 しかし、どんなに立派な実績を持ってようと、どんなに優れた華族の出身であったとしても所詮、ほとんどがその皮を脱げば、どこにでもいる普通の高校生なのだ。

 そんな気高い君主達たちのベールを剥ぎ、 素の人間に戻してしまうほどの圧倒的な一人の天使が姿を現す。

「うわあ。やっぱり美人だなあ。城崎さん」「すっごい。制服の上に看護部のジャケットを着てるんだ。かわいいなあー私も看護部に入ったらあんな可愛くなれるかな?」「バカ。あれは、城崎さんが特別なだけよ」「だよねー。いるんだね、本当に住む世界が違う人って」

 大麟学院の部活でも入部することが、看護部のユニフォームであるの純白のジャケットを愛くるしく羽織り、桃色の長袖のカーディガンから覗く透き通るような白い肌を正統派の制服で包み込んでいる。

 それは、各々の部活が採用しているスポンサー企業が提供しているウインドブレーカーやジャージとは違い、そのジャケットを着ることのできる人間は早々お目にかかれまいない。

 それが、高校一年生ともなれば、彼女がどれほど特別な存在かということは言うまでもないだろう。

 おまけに、高校一年生らしいそのあどけなさの残った小さくて愛くるしい容姿に加えて、出るところはそれなりの大きさを持ち合わせているという、世の男性が理想とする女性像を体現したかのようなそのスタイル。

 そんな華奢で繊細な指先と清らかな朝日の光が魅せる、かきあげられた柔和で繊細なピンク髪は、煌びやかな後光を表している。

「おい、あれ! 城崎さんじゃね?」

「え? うぉ! まじか! すげえ!」

「なぁ、お前。今日の朝練で足をすりむいたんだろ? 治療頼んで来いよ」

「はあ?! なに言ってやがんだよ。無理に決まってんだろ。恐れ多すぎるわ!」「おいおい、サッカー部随一のチャラ男がなにビビってんだよ! たかだか、まだ高校生になりたての子相手に」

「なら、お前行って来いよ。昨日、お腹の調子悪いつってただろ」

「ぐっ……! なあ、ここは、お互いのためということで休戦協定と行こうじゃないか」

「だな、あの子だけはちょっと、レベルが違うわ」

 男女問わず周囲から向けられる羨望の眼差し。

 この学校に通う有名雑誌の表紙を飾るモデルや有名アイドルグループでセンターを務めるアイドルの子でさえも、ここまでの注目を集めない。

 そこに、一1人の男子生徒が姿を表す。

 毎朝の恒例行事の始まりだ。

 しかし、この毎日の行事に周りの生徒は、息をひそめながらざわつき始める。

 そう言って、手をズボンのポケットに入れ若干猫背になりながらも爽やかな表情を見せる男子生徒を見が城崎に声をかける。

「やあ、おはよう、あかりちゃん。今日も部活終わりかい?」

 あかりは少し足を止めてチラリと見遣るとネクタイの色が高校三年生の色であることを確認して、笑顔をふりまきながら軽い会釈をした。

「おはようございます。西条先輩」

「うん、おはよう。あれ、僕の名前知ってくれてたの? うれしいなあ。君に認知してもらってるなんて」

「もちろんです! 西条先輩のお噂はかねがねお伺っておりますから!」

「そうかそうか! 君の耳にも届いてたなんて光栄だなあ。まあ、俺は一応この学校でも名が知れているからな」

「ふふふっ。確か、この前もテレビで活躍されてましたものね」

 正直に言えば、この大麟学院高等部に通う男子生徒でさえも彼女に話しかける程の生徒は僅かに限られる。

 実際に、西条と名乗る男子生徒は、どの部活のユニフォームを着ることも無く、完全に我流を突き通すその芯の強さと俳優業として残してきた実績で、確固たる地位を築き上げてきた実力者の一人だ。

 しかし、そんな生徒が大成する時代はラノベやアニメの世界でさえも当の昔に終焉を迎えてしまっている。

 さて、今日の酷い勘違いを起こしてしまった哀れなこの生き物は、どのようにして玉砕されるのだろうか。

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