第3話 2節 喋らない方が伝わることもある

「うんうん、似合ってる。さすが私が懇意にしているブランドなだけあって、どんな芋っ子でもこなれた感じに仕立ててくれる──けど、なんか物足りないというか……あ、あなたの姿勢の問題か。ほら、そんな辛気くさいえへえへした感じの猫背なんてやめて、しゃんと胸を張って」


 千知岩さんはさっそく、懇意にしているという服屋にわたしを連れてきて、新しい服を見繕ってくれた。桜色のカーディガンに暖かみのある赤いスカート。デザインは大人しいけど、色合いは派手だ。こんな目立つものを着たのは小学生ぶりで、なんだかむずむずして背筋を伸ばすどころではなかった。


 いろいろ何かを言いつつも、最終的には満足げな千知岩さんは、最後に思いついたようにその場から立ち去ると、ベレー帽を持ってきてわたしの頭にぽんと載せたので、肝が冷えた。


「ここ、こんなおしゃれグッズ! わわ、わたしにはとても……」

「いいえ、抜群に似合ってるから甘んじなさい! ま、どのみち、あなたの着てきた服はわたしが没収しているから、それを着て、街を往く選択肢しか残されていないけどね」

「え、没収したの? 窃盗じゃ?」

「人聞きの悪いことを手軽に言わないで。ドライバーに頼んで、あなたの家に向かわせてるだけ」

「それだけのために、あのセダンを……」


 というか別に、トランクかどっかに保管して、後で返してくれればいいのに。ガソリンが余ってしょうがないのか。親もびっくりするだろうな。高級車から出てきた人が、娘の抜け殻渡してくるんだから。110番しないことを祈る。


 それからお会計ということに相成り、どんな金額になるのか恐ろしくて、わたしはひたすら目を背けていたけど、レジのお姉さんが丁寧に万札の数を数え上げてくれたので、何の意味もなかった(現金派なんだね)。


 ◇ ◇ ◇ 


「こんな、受け取っちゃっていいの……」


 改めて街を出てからも、慣れない服の感触にそわそわしてしまう。なんだか通りすがりの人からの視線も増えたような気もして、落ち着かない。


 そんなわたしの様子に、千知岩さんはまったくもう、という風に首をすくめる。


「さっきも言ったけど、これは付き人をしてくれるお礼……というか報酬だから、受け取ってくれないと私の方が困るの。無賃金で働かせるなんて論外だし」

「付き人って言うけど、わたしほとんど何もしてないよ」

「何もしてないなんて、人間にはできないでしょ。舟田は私に付いてきてくれてる」

「誰だってできるから」

「そんなことない」


 わたしはびっくりして、思わず立ち止まった。

 千知岩さんが短く言い切るのは珍しい。それもいつものように陽気なお喋りとは違う、川面にそっと薄紙を流すような言い方だったから尚更だった。

 千知岩さんは歩みを止めなかった。わたしは慌てて後を追う。隣についたわたしに、千知岩さんは言う。


「いや、わからないけど。たしかに本当に誰にでもできることかも。そうかも知れない、わからない。だって、試したことないもん。でも、舟田は付いてきてくれてる。そのことに感謝を示すのはダメなこと?」

「……もったいなくない?」

「確かに、もったいないかも」

「そう言われると凹む」

「でも、それで私は良いと思ってるの」

「……なら、いいか」

「そう。いい」


 わたしは自分の着ている服を見下ろして、裾をつまんでみた。今まで着てきた服のどれよりもいい触り心地で、発色もかわいくて、なんだか心がほわほわしてくる。

 嬉しい、とわたしは今更のように思った。


 その様子を見てか、千知岩さんはまた揚々と話し始める。


「学校で過ごしている間、ずっとあなたがいるものだから、今まで通っていた学校でどう過ごしてきたのか忘れちゃった。いろいろと頭の中で思ったことがあって、喋ってみたいことがあって、それをすぐに伝えられる相手がいるってとても素敵なことだと思って、ひんっ」


 子犬みたいな声を出して、千知岩さんは静かになった。わたしが手をつないだからだった。


「……ちょ、ちょっと……」


 千知岩さんはあわわ、という顔でわたしを見る。その愛らしさにわたしの頬が緩んだ。


「あまり喋らない方が伝わることもある」

「どういう意味……」

「こういう意味」


 そう言ってから、きゅっと、千知岩さんの腕に抱きついてみる。快い温もりがお腹の辺りに、ふわっと広まった。


「……!」


 千知岩さんは息を詰まらせたような音を立てると、何かを堪えるようにうつむいてしまった。その拍子に揺れた髪の間から見えた首筋は、上気して桜色に染まっていた。


 わたしは至福を覚えた。


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