Part.2
楽屋に飛び込んだ美羽は、大きな声で叫んだ。
「すみません!この人、お姉ちゃんの代わりに出させてもらえませんか!?」
出演を控えた数人のメンバーと、スタッフたちが一斉に振り向く。
目を丸くして、美羽と、その隣で気まずそうに立つ綾を見つめた。
「……いきなり言われても困るよ、天野さん。時間もないし……。」
「そもそも、その子、ダンスできるの?」
スタッフの一人が戸惑い気味に尋ねると、美羽は力強く一歩前に出た。
「体育祭のダンス、一番に覚えてました! だから一回だけ踊らせてみてください! ダメだったら諦めます!」
どんどん自分のハードルが上がっていくのを、綾はじわじわと感じながら冷や汗をかいていた。
「……曲はわかってるの?」
振り付けコーチが苦笑まじりに尋ねると、美羽はハッとしたあと、急にしゅんと肩を落とし、綾の方を見てから小さな声で答えた。
「……『Twinkle Drop』の……『シュガーレス☆ステップ』……」
その名を聞いた瞬間、綾の顔色が変わった。
――あれは、葵とカラオケに行ったとき。理由は今でもわからない。
誰にも見せないつもりだった“ノリノリの本気ダンス”を、葵の前だけで披露した、思い入れのある曲だった。
「……いける……かも」
その言葉に、楽屋の空気が一瞬静まる。
「……じゃあ、リハ室で一度、踊ってみてもらってもいいかな?」
コーチの指示で一同は移動し、リハ室の中央に、綾はひとり立たされた。
曲のイントロが流れ始める。
はじめの一拍。
綾の背筋が、すうっと伸びていく。
そして、閉じていた目をパッと開いた瞬間――空気が変わった。
美羽は思わず息を止めた。
数人のメンバーたちも、リハのざわめきを忘れたように綾に目を向ける。
音に合わせて動き出した綾の体は、指先からつま先まで、すべてがリズムと一体になっていた。
無理のない、でも無駄もない動き。軽やかさと鋭さの両方を兼ね備えたステップ。
途中、鏡に映る自分にふっと笑顔を向ける――
その仕草に、美羽は胸の奥をぎゅっと掴まれた。
それは、美羽が知っている“ちょっと不器用な綾”ではなかった。
堂々としていて、眩しくて、まるで本当のアイドルだった。
目を細め、目を閉じ、目を見開き――音に合わせて、綾の表情は驚くほど多彩な変化を見せていた。
その表情ひとつひとつが、音楽の世界を生きているようで、観る者の心を奪う。
メンバーのひとりが、小さく息を呑む。
「……やば……」
誰かがぽつりと呟いたその声に、他のスタッフたちも静かにうなずいていた。
そして、華麗なターン。
――ダンッ!
床を踏み鳴らす音と同時に、綾は正面をビシッと向いて、ぴたりと静止した。
リハ室の空気が、わずかに震えた。
コーチは目を見張った。
あれほど他の子たちに苦労して教えた振りを、綾はたった一度で、正確に、しかも表情まで含めてやってのけた。
“完成形”がそこにいた。
音楽が止まる。
静寂。
……その一拍後、拍手がいっせいに広がった。
「すご……」
「完璧じゃん……」
尊敬と驚きの混じった視線が、綾に注がれていた。
美羽は、思わず目元を拭った。
泣いてるつもりなんてなかったのに――自然と、涙が滲んでいた。
コーチが腕時計を見て、唸るように言った。
「あと1時間弱……行けるな。あの動きなら大丈夫だ」
そしてスタッフに向き直って、はっきり言い切った。
「よしみんな、段取り全部前倒しで行こう!」
一斉に動き出すスタッフたち。
周囲がにわかに慌ただしくなる。
(うわ~……なんかヤバいことになってきたぁ……)
目の前の現実に完全に置いていかれた綾は、呆然と立ち尽くしていた。
すると、美羽が涙を拭いながら綾に近づいてきた。
「ありがとう……綾ちゃん……。わがまま言ってごめんね……」
綾は一瞬驚くと、少しだけ照れながら、その頭をくしゃっと撫でた。
「……かわいい美羽のために、一肌脱ぎますか!」
その言葉に美羽にぱぁっと笑顔が戻った。
(つづく)
※次回は2025年9月1日(月)19時50分に公開予定
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