第9話

「――貴様は、アウレリウス学園長の判断に、異を唱えるというのか?」


カインの放った言葉が、張り詰めた空気の中で、重く、重く響き渡る。

風紀委員長のグレイ・ランスターは、まるで時が止まったかのように、凍りついていた。

その整った顔から、いつもの傲慢な笑みは消え失せ、信じられないものを見るかのような、驚愕と、屈辱が浮かんでいる。


「……くっ」


グレイは、何かを言い返そうと唇を震わせるが、言葉にならない。

学園長の名前。

それは、この学園において、絶対的な権威。

たとえ、どれだけ純血主義を掲げようと、その判断に公然と逆らうことは、グレイの立場ですら、許されない。


「……いいだろう、カイン」


やがて、グレイは、絞り出すように言った。

その声は、怒りを無理やり押し殺したせいで、奇妙に震えている。


「学園長のご判断とあらば、今は、引いてやる。だがな、ヴァルザー家の者として、己の誇りに泥を塗るような真似だけは、するんじゃないぞ」


それは、捨て台詞だった。

グレイは、俺を憎悪の目で一瞥すると、取り巻きを引き連れ、足早に訓練場を去っていった。

まるで、嵐が過ぎ去ったかのような、静寂が訪れる。


残されたのは、俺と、カインの二人だけ。

気まずい沈黙が、流れた。


「……」


「……」


先に口を開いたのは、カインだった。

彼は、俺の肩を掴んでいた手を、バツが悪そうに、さっと離す。


「か、勘違いするなよ! 俺は、ただ、あのグレイの偉そうな態度が、気に食わなかっただけだ! 貴様のためじゃない! 断じてだ!」


早口で、まくし立てる。

その姿は、なんだか、必死に何かを取り繕っているようで、少しだけ、滑稽に見えた。


「……ああ、分かってる」


俺は、ただ、短く答えた。


「取引は、まだ有効か?」


「……っ! 当たり前だ! 貴様は、俺の道具だと言っただろうが!」


カインは、ふい、と顔を背ける。

その耳が、少しだけ、赤くなっているのを、俺は見逃さなかった。


俺たちは、再び、訓練場の中心へと戻った。

空気は、まだ、どこかぎこちない。

だが、先ほどまでの、刺々しいだけの雰囲気とは、明らかに、何かが違っていた。


「……いくぞ」


カインが、短く呟く。

その声には、先ほどまでの怒りや焦りはなく、研ぎ澄まされた、集中力が宿っていた。

彼は、レイピアを構える。

その切っ先が、寸分のブレもなく、的である水晶を捉える。


「俺は、俺の全力を出す。……貴様は、死んでもそれに合わせろ。いいな」


「ああ」


俺は、再び、足元の石を拾い上げた。

今度の石は、少しだけ、歪な形をしていた。

だが、問題ない。


目を閉じる。

カインの、魔力の流れ、呼吸、筋肉の微細な動き、その全てを、俺の五感が、いや、六感が捉える。

『ゼロ』だった頃の、体に染み付いた感覚。

世界の、全ての理を読み解く、あの感覚だ。


「――燃え上がれ、我が魂! ヴァルザーの誇りにかけて! 〈グロリアス・フレイム〉!」


放たれたのは、もはや、炎の矢などという、生易しいものではなかった。

渦を巻く、極光のような、眩い炎の槍。

カイン・ヴァルザーが放てる、最大にして、最高の魔術。


その魔術が、レイピアの切っ先を離れる、0.01秒前。

俺は、動いた。

腰を落とし、全身のバネを使って、腕をしならせる。

指先から放たれた石は、ただの石礫ではない。

回転と、空気抵抗の全てを計算し尽くされた、必殺の弾丸だ。


炎の槍と、ただの石。

光と、影。

二つの軌跡が、訓練場の空間を、まるで寄り添うように、飛んでいく。


そして――


キィィィィン―――――……


二つの弾丸は、巨大な水晶の、全く同じ一点に、寸分の狂いもなく、同時に着弾した。

水晶は、砕け散らない。

ただ、まるで、教会の鐘のように、どこまでも澄み切った、清らかな音を、辺り一面に響かせた。

共鳴。

異なる二つの力が、完全に調和した時にのみ起こる、奇跡の現象。


「……な……」


カインが、自分の放った結果を信じられない、という顔で、呆然と立ち尽くしている。

俺も、息を吐いた。

少し、やりすぎたかもしれない。


「――見事だ」


不意に、背後から声がした。

いつの間に、そこにいたのか。

ルナ・アークライトが、腕を組んで、静かに立っていた。

どうやら、最初から、俺たちのやり取りを、全て見ていたらしい。


彼女は、カインには目もくれず、真っ直ぐに、俺の元へと歩いてくる。

そして、共鳴の余韻で、微かに震える水晶を一瞥すると、その蒼い瞳で、俺を射抜いた。

その声は、他の誰にも聞こえないほど、低く、鋭かった。


「高速で飛翔する魔術に、後から放った投擲物の軌道と速度を、完全に同調させる……。必要な運動エネルギー計算と、身体制御能力は、もはや人間の領域を、遥かに超えている」


「……」


「教えろ、リオ・バートレット」


ルナの顔が、俺の目の前に迫る。

その瞳は、獲物を追い詰めた、肉食獣のそれだった。


「――貴様は、一体、何者だ?」

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