第8話
その日の放課後、俺はカイン・ヴァルザーを探していた。
あの地獄の訓練の後、あいつは一度も俺に話しかけることなく、教室から姿を消した。
このままでは、今週末の課題クリアなど夢のまた夢だ。そして、それは俺にとっても、あいつにとっても、最悪の結末を意味する。
(面倒くさいこと、この上ない……)
だが、やるしかない。
あの平穏を、リリィと笑い合える日常を、これ以上、踏み荒らされてたまるか。
そのためには、この茶番を、最短で終わらせる必要がある。
カインは、第三訓練場にいた。
一人、汗だくになりながら、何度も、何度も、〈フレイム・アロー〉を的に向かって放っている。
その魔術は、怒りと、焦燥に満ちて、まったく安定していなかった。
「……おい」
俺が声をかけると、カインは、びくりと肩を震わせた。
振り返ったその顔は、驚きと、それからすぐに、剥き出しの敵意に染まる。
「……何の用だ、ゴミが。見世物じゃないぞ」
「取引をしに来た」
「取引、だと?」
カインは、心底馬鹿にしたように、鼻で笑った。
「貴様のような無能に、俺と取引できる価値があるとでも?」
「ああ、ある」
俺は、一歩も引かずに、カインの目を見据えた。
「俺もお前も、この状況を望んでいない。そうだろ?」
「……当たり前だ」
「俺は、あんたに付き合うのが、死ぬほど面倒くさい。あんたは、俺みたいなゴミと組まされるのが、プライドが許さない。目的は、一致してる」
「何が言いたい」
「さっさと課題をクリアして、このくだらないペアを解消する。そのための、一時的な休戦協定だ。利害は、完全に一致するはずだ」
俺の提案に、カインは、ぐっと言葉を詰まらせた。
図星だったのだろう。
「……だが、なぜ俺が、貴様に合わせる必要がある」
「合わせなくていい。あんたは、あんたの全力でやれ」
「は……?」
「タイミングも、威力も、全部俺が、あんたに合わせる。だから、あんたは、ただ、最高の魔術を撃つことだけ考えろ。……それなら、文句はないだろ?」
俺の言葉に、カインの瞳が、揺れた。
それは、俺への侮辱と、魔術師としてのプライドをくすぐられた、複雑な感情の揺れだった。
俺に合わせさせる。それはつまり、俺を、自分の意のままに使える『道具』として、認識させることだ。
「……ふん。いいだろう」
カインは、傲慢に顎をそらした。
「そこまで言うなら、試してやる。だが、勘違いするな。貴様は、俺の魔術を成功させるための、ただの『道具』だ。それ以上でも、それ以下でもない」
「それでいい。契約成立だな」
俺が、そう言って踵を返そうとした、その時だった。
「――おやおや、これは驚いた」
ねっとりとした、嫌な声が、訓練場の入り口から聞こえた。
振り返ると、そこに立っていたのは、数人の取り巻きを連れた、一人の長身の男。
整った顔立ちだが、その目には、他人を見下すような、冷たい光が宿っている。
風紀委員長、グレイ・ランスター。
純血の貴族主義を掲げる、強硬派の筆頭だ。
「ヴァルザー家の次期当主ともあろう方が、こんなFクラスの汚物と、一体なんのお話を?」
グレイは、俺のことなど存在しないかのように、カインにだけ話しかける。
その視線には、あからさまな侮蔑が込められていた。
「……グレイ。貴様には、関係のないことだ」
カインが、不快そうに顔を歪める。
同じ貴族でも、カインはグレイの、その陰湿なやり方を好ましく思っていない。
「関係なくはないさ。君は、我ら純血貴族の誇りだ。その君が、こんな平民以下の存在と馴れ合っているとなれば、由々しき問題だからね」
グレイの言葉に、カインの顔が、怒りで赤く染まった。
「馴れ合っている」という言葉が、彼のプライドをいたく傷つけたのだろう。
今、この場で、カインが俺との関係を否定すれば、俺たちの『取引』は、成立する前に、終わる。
(……どうする、カイン)
俺は、ただ黙って、カインの選択を見つめていた。
ここで、グレイの側に付けば、カインは一時的に、貴族としての体面を保てるだろう。
だが、そうなれば、ルナに課された課題は、絶望的になる。
カインは、俺とグレイを、交互に見た。
その瞳の中で、激しい葛藤が渦巻いている。
やがて、カインは、ふう、と一つ、大きな息を吐いた。
そして、グレイを真っ直ぐに見据え、こう言い放った。
「――黙れ、グレイ」
「……何?」
「こいつは、ゴミかもしれない。無能かもしれない。だがな」
カインは、一度、言葉を切る。
そして、俺の肩を、乱暴に掴んだ。
「こいつは、学園長の直々の命令で、俺の『パートナー』になった男だ。……貴様は、アウレリウス学園長の判断に、異を唱えるというのか?」
その言葉は、訓練場にいた、全員の度肝を抜いた。
グレイの、余裕綽々だった笑みが、凍り付く。
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