第8話『GAME 1:ブラインド・ドクター(天を映す水鏡)』
この中に、患者はもう一人。
代謝異常の患者の可能性があるのは、俺、ミオ、ソウの三人だ。
たった一度しか使えないスキャナーを、誰に使うか。
桐島が、司令塔の役割を取り戻した。
「一旦、お互いの生活習慣、過去の病歴、家族の病歴。病気に関わる可能性のある情報を、全て開示しよう」
ミオが困ったように眉根を寄せる。
「看護師の卵のくせにって怒られそうだけど、最近、不規則な生活で、甘いものをよく食べてたかなぁ。特にガン家系でもないよ」
ソウがミオの肩をポンと叩いた。
「ボクは超健康優良児だよ。強いて言えば、毎日エナジードリンクを5本飲んでるくらい」
振り返るべき生活習慣。独房で過ごした日々に思わず苦しくなる。
「俺は……規則正しく過ごしていたとしか。特に代謝異常の自覚症状はありません。そもそも、代謝異常って、どんな病なんでしょうか?」
これには、ミオが吹き出した。
「何も知らないで議論してたの? 代謝異常でこの場合、特に有力なのは、糖尿病のI型だね。症状としては、異常な喉の渇きとか」
三者三様の告白に、桐島が失望したように首を振った。
「ダメだ、情報が曖昧すぎる。これでは、代謝異常を絞り切れない。大動脈瘤と違って、論理的な特定は不可能だな」
議論が行き詰まる。
その時、ミオが突然、声を漏らした。
「あっ、待って。糖尿病だとしたら、昔はお医者さんが、患者さんの尿を舐めて、診断してたって」
あまりにも突飛な一言に、全員が言葉を失った。
ソウが、大きく息を吐いて沈黙を破る。
「オバさん、マジで言ってる? 誰が、誰の尿を舐めるって?」
「違うってば。そうじゃなくて、何かそんなふ風に突破口がないかなって。つまり、尿には、病気の兆候がはっきりと出るってこと。糖尿病なら、尿に糖が混じるんだから!」
ミオの一言が、俺の頭の中で、ある閃きと結びついた。
尿。
尿に混じる、糖。
俺は、台座の上に置かれた二つのアイテムを、交互に見つめた。
黒く滑らかな『生体スキャナー』。そして、まだ半分以上、水が残っている『ペットボトル』。
「仮説に過ぎませんが、聞いてもらえますか?」
俺の呟きに、桐島が反応した。
「アラタ君、何か分かったのか?」
「ミオさんが口にした尿なんですけど、これに生体スキャナーが使えるんじゃないかなって」
ソウが手をパンと叩く。
「なるほど、尿は確かに生体の一部だもんね。ペットボトルを空にして、三人の尿を採取してもいいけど、混ぜてしまえば誰に異常が出たか分からなくなるよね?」
「その通りだ。ただ、スキャナーの使い方として、誰かの人体に一度だけ使うって方法よりも柔軟だろう?」
ソウが素直にうなずいた。
「惜しいなぁ。例えばオートメスを使ってペットボトルを三つの容器に解体すれば、それを横並びにして、一度のスキャンで異常が出た一つを特定できる可能性もあるんだけど。うーん、惜しい」
ミオがソウの学生服の袖を引っ張る。
「ねぇ、だったらやっぱり、もう一度スキャナーのことを考えない? 三人が、ぎゅっとくっついて、一度にスキャンすれば、誰に異常があるか分かるんじゃないの?」
誰もが一度は考える、最もシンプルな解決策だ。、
だが、桐島が即座に否定する。
「……無駄だ、それはできない。よく見ろ。スキャナの先端には、水晶のような小さなレンズが付いている。あれが、人体をスキャンする際の、おそらくエネルギーの照射口だ」
桐島は、まるでコンサルタントがクライアントに説明するように続けた。
「このスキャナーは、カメラのように、広範囲を浅く撮影するためのものじゃない。MRIのように、特定のターゲットに対して細胞レベルまでを、深く、精密にスキャンするための機械だ。もし、三人を同時にスキャンしようとすれば、スキャナーをかなり遠ざけて使用することになるが、それでは何の結果も得られないリスクが高い」
ソウが珍しく桐島に同調した。
「やっばり、ボクらに残された道は、誰か一人を『賭け』で選ぶしかないのかな。偶然、患者を当てれば完璧。当てられなくても、残りの二人で五割の正解が導ける」
俺はソウを止めた。
「ダメだ。賭けにはまだ出るべきじゃない」
「だよね、スキャナー使わないから、ちょっと借りるよ」
ソウがスキャナーを手に取り、
「……あっ、やられた。指先ほどの、浅い円形のくぼみがあるじゃん。レンズが、人体をスキャンする『スキャンモード』だとすれば、こっちのくぼみは、生体サンプルを直接置いて分析する、『表層分析機能』じゃない? ここに、三人の生体の一部を載せれば……あるいは」
ミオが唸る。
「でも、尿や唾液は混ざっちゃう」
考えろ。くぼみに乗せられるサイズで混ざり合わない生体。そんなものあるだろうか。
血液でもダメだ。皮膚の一部を切り取る? 痛みが伴う。
いや、待てよ――。
「髪の毛なら、同時にスキャンできないだろうか?」
ソウが目を見開いた。
「それだよ! アラタさんにやられたなぁ。髪の毛なら、確かにその人の全ての遺伝子情報が詰まった、完璧な生体サンプルだ。そして、何より、極めて細い。三本の髪の毛を、このトレイの上にに並べて置くことさえできれば、エデンの想定外のやり方で、ボクら三人を、一度に、同時にスキャンできるかもしれない」
エデンが定めたルールの「死角」を突く、裏技だ。絶望の闇の中に差し込んだ、唯一の、そして、あまりにもか細い、希望の光だった。
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