第5話『わからないから、知りたくなる』-ひよりside-

「あなたの好きなものを知っていきたいのです」


昨日、あのイケメン眼鏡にそう言われたのだけど……あれって、やっぱり夢だったんじゃないかな。


そう思いながら、いつも通りの通勤電車に揺られていた。あんなセリフを真顔で言ってのけるなんて、現実なわけがない。夢だ。都合のいい妄想に決まってる。


でも、この数週間でわかったことがある。

電車で話して、LINEのやりとりをして、なんとなく見えてきた。

――あの人、絶対に天然だ。


本人は無自覚なのに、あんな甘いことを平気で言ってのける。天然で、誠実で、ちょっとズレてて、それがまた罪深い。そんな分析をしてしまうあたり、だいぶやられている気がする。


冷静になろうと深呼吸していたそのときだった。


「おはようございます」


「っ、おはようございますっっ!」


本物、来たあああああ!!!


一気に顔が熱くなる。興奮と緊張で汗が流れてきたけど、これは夏のせいってことにしたい。息が少し荒くなっていたのに気づいたのか、彼が心配そうに顔をのぞき込んできた。


「どこか体調が悪いのですか?」


ち、違います、悪いのは頭です!

……とはもちろん言えないので、とっさにごまかす。


「いえ、少し寝不足で……」


「夜はよく寝た方がいいですよ」


「はい」


なんだこれ。まるで保健室の先生と生徒の会話。


でも、その直後だった。


「そういえば、昨日お話していた件ですが」


きょとんとする私を見て、彼は続けた。


「桐島さんが夢中になっているゲームのことです」


――夢じゃなかった……!


「調べたのですが、あれは乙女ゲームとかいうものらしいですね」


そんなことまで調べたの!? 真面目すぎない!?


本当に真剣に調べてくれたみたいで、私は少し迷ったけど、彼のまっすぐな目を見たら、絶対に茶化したりしないだろうなと思えて――気づいたら、ゲームの内容から推しキャラの話、萌えセリフまで全部話してしまっていた。


そんな中、ふいに彼がぽつりと言った。


「お前以外、ありえない」


「ふえっ!?!?!?」


びっくりして変な声が出た。なんなら変な汗が身体中滴り落ちてる気すらしてる。

なんで!? 今、電車ですよ!?


「このようなセリフは、どのようなときに使うものなのかなと思いまして」


だからって、いきなり言わないで! 心臓止まるから!


その後、「妹の部屋にそれらしきゲームがあったような気がする」と言い出した。

多分それです。妹さん、同志です。とはさすがに言えないけど。


「もしよければ、もう少し詳しくそのゲームについて教えてもらえますか?」


えっ!? 乙女ゲームですけど!?


「妹さんに聞いた方が……」


「桐島さんがいいんです。ダメですか?」


その時の彼の顔があまりに悲しそうで、完全に「ダメって言えないやつ」になっていた。


「わ、私でいいんですか?」


「何事も経験だと思うので」


多分、その経験は積まなくていいやつです。


それでも、真剣なまなざしで私を見つめる相原さんを見て思った。この人は人の好きを馬鹿にしたりしない。蔑んだりしない。そう、確信できた。


オタ友以外の人に初めて推しの話をした。それを「いいですね」と受け止めてくれたこの人に、私は――少し、心を開きかけていた。


改札を出て、いつもならそのままお別れのはずだったのに、思わず声をかけていた。


「あの……っ!」


「?」


「今日も、仕事終わりにここで待ち合わせ……で、いいんですよね?」


「ええ、そのつもりです」


「その時に、お時間ありましたら、さっき話してたゲームについて……お話しませんか?」


「……!」


「あ、あの、相原さんがご迷惑じゃなけれ……」


「ぜひ。お願いします」


返事、早っ! まだ私、最後まで言ってないけど!? もしかして、今、なんの話かわかってないのでは……?


「えっと、乙女ゲームを一緒に見るって話ですけど……本当に、いいんですか?」


「ええ、あなたが好きなものなんですよね?」


「はい……」


「楽しみにしてます」


そう言って、彼は会社に向かって歩いていった。


……一瞬、スキップしたように見えたけど、気のせいだよね。相原さんが、スキップなんてするはずないし。


そのあと私は、勢いとはいえ、自分から男の人を誘ってしまったという事実に気づき、盛大に頭を抱えることになるのだった――。

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