第5話『わからないから、知りたくなる』-真一side-

昨晩、なんとなく実家に帰ってみた。唐突な訪問にもかかわらず、母はいつも通りのテンションで「あの子なら部屋にいるはずよ」と、味噌汁をかき混ぜながら言った。


廊下を進み、扉の前で軽く咳払いをしてからノックする。


「僕だ」


ドンッ。


勢いよく扉が開き、乱暴な音と同時に顔を出したのは、妹――日菜子だった。薄暗い部屋の奥ではパソコンの画面が光っている。


「お兄!? どうしたの、こんな時間に!?」


「日菜子、確かたくさんゲームを持っていただろう? それを見せて……いや、貸してくれ」


「はあ!? なに言ってんの? 仕事帰りでテンションおかしくなってる?」


「無理なら、せめて教えてくれるだけでもいい」


「いや、意味わかんないんだけど!!」


困惑する日菜子の背後で、見覚えのあるストラップが目に留まる。彼女がカバンにつけていたものと似ていた。少し大きめの、華やかなキャラクターデザインのものだ。


「そのストラップ、前にも見た気がする」


「……え? これ? どれ?」


妹の後ろにあるボードに似たようなストラップがいくつも吊るされていた。その中に、彼女がつけていたものと同じデザインのものを見つける。


「これだ。これは?」


「ああ、それ? スマホゲームのキャラだけど……お兄、ほんとにどうしたの? いきなりオタク化した?」


「なんというゲームなんだ?」


訝しげな目つきが返ってくる。


「……なんなの、急に?」


「興味がある」


「えー……まあ、今どき乙女ゲーム好きな男性もいるから不思議じゃないけど……お兄がねぇ……」


「これは乙女ゲームというのか? でもさっき言っていたタイトル名と違うじゃないか」


「乙女ゲームっていうのはジャンル名なの。タイトルじゃないの」


「ジャンル……なるほど。つまり、こういうキャラクターは乙女ゲームの登場人物であることが多いのだな」


「……まあ、うん。だいたいそう」


「勉強になる」


「いや、したり顔やめて? ……それにしても、これくらい今どきスマホで調べればすぐ出るじゃん。わざわざ現物見る必要ある?」


「調べるには最低限のワードを入力しないと調べられないだろう」


「だから?」


「調べるために必要なワードすらわからない僕に、調べられるはずがないだろう」


至極真っ当なことを言ったつもりだったが、「そんなことをドヤ顔で言うな!」と怒鳴られた。解せない。



***



翌朝、いつもの電車に乗る。混雑具合はいつも通り。目の前にはいつものように桐島さんの姿があった。


「おはようございます」


声をかけると彼女は一瞬ぴくりと反応し、それからこちらに顔を向ける。


「……おはようございます」


何か様子がおかしい。いつも顔は少し赤い印象だが、今日は明らかにそれよりも紅潮していて、汗ばんでいるようにも見える。


「どこか体調が悪いのですか?」


「えっ……? い、いえ、少し寝不足で……」


否定はしたものの、あれだけ赤いのは見過ごせない。遠慮しているのだろうか。


「夜はよく寝た方がいいですよ。健康に支障を来します」


「はい……」


なんとも言えない微妙な顔でうなずかれた。……余計なお世話だっただろうか。話題を変えた方がいいかもしれない。


「そういえば、昨日お話していた件ですが。調べたのですが、あれは乙女ゲームとかいうものらしいですね」


「えっ……調べたんですか?」


ぱっと明るくなる彼女の顔に、安心と同時に不思議な感情が湧いた。それから彼女は、自分が好きなキャラについて嬉しそうに語ってくれた。


「……それで、そのキャラが最終的に『お前以外ありえない』って言ってくれて……あのときは、ほんとに……っ、嬉しくて……」


聞いているだけで胸が温かくなる。だが同時に少しだけ胸の奥がちくりと痛む。――朝食が悪かったのかもしれない。


……なぜだろう、少し喜ばせたくなった。


そのキャラの決め台詞――「お前以外、ありえない」――を、ふとした拍子に彼女の方を見ながら口にしてみた。


「ふえっ!?!? な、な、なに言って……!!」


奇妙な声をあげた彼女は顔を真っ赤にし、目をまるくして口をパクパクさせていた。喜んでほしくて言ったのだが、どうやら失敗だったようだ。どうすれば、またさっきのような幸せそうな顔が見られるだろうか。

そんなことを考えているうちに電車が駅に到着し、改札口へと向かう。


「……あの!」


後ろから呼び止められ、振り返る。


「良ければ……仕事終わりにお時間ありましたら……さっき話してたゲームについて、お話ししませんか?」


一瞬、耳を疑った。


桐島さんから……誘われた?


彼女はまだ何か話していたような気もしたが、気が変わられては困る。


「ぜひ」


即答してしまった。


少し浮き足立ったような感覚。なんだろうこれは。改札を出る足取りが、やけに軽かった。


……あれ? 今、僕はスキップしていたのでは?


それでも構わない。今日はどんなに佐々木がミスをしようと、僕は怒らない。怒らないし、手助けもしない。全部、本人にやらせよう。


そう、固く誓った。

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