第19話 幻影は廃墟に佇む

早乙女レイカとの決裂。

そして、風間くんがもたらした、唯一の希望にして、最大の謎。

『学園の幻影(ファントム)』、有栖川ナギ。

俺たちのクーデター作戦『オペレーション・レジスタンス』の成否は、この正体不明の幽霊生徒を見つけ出せるかどうかに、かかっていた。


「……ダメです! 有栖川ナギの、学籍データ以外のデジタルな足跡が、一切見つかりません!」


翌日の放課後、作戦会議室で、風間くんが悲鳴に近い声を上げた。


「これほどの情報隠蔽……僕なんかより、遥かに上の技術です。物理的に探すしかありません!」

「物理的に、つってもなあ……」


陽太が、広大な学園のマップを広げて、頭を掻く。


「ほとんど学校に来てねえ幽霊だろ? どこにいるかなんて、見当もつかねえよ」

「よし!」


獅子堂先輩が、バン!と力強く立ち上がった。


「こういう奴は、じめっとした暗い場所にいるもんだ! 俺は、使われてねえ部室とか、体育館裏を片っ端から当たってやる!」

「じゃあ、僕は、彼の数少ない出席日の行動パターンを分析して、立ち寄りそうな場所を絞り込んでみます!」

「俺は、知り合いに声かけて、噂話でも集めてみるか……」


仲間たちが、それぞれのやり方で動き出す。

その中で、俺とルナ先輩は、図書館の古びた別館に来ていた。


「……ユキナリ」


積まれた古書の埃っぽい匂いの中、ルナ先輩が、静かに俺の名前を呼んだ。


「昨日の、早乙女先輩とのこと……大丈夫?」

「……ええ。まあ」


俺は、曖昧に笑って見せた。

レイカ先輩の言葉は、棘のように、まだ心に刺さっている。

『手を汚す覚悟が、あなたにはある?』


「俺は、あなたの隣に立つパートナーとして、間違ったことはしたくないんです。たとえ、それが近道だとしても」

「……うん」


ルナ先輩は、嬉しそうに微笑んだ。


「そういうあなただから、私は、パートナーに選んだのよ」


その言葉だけで、心の棘が、少しだけ軽くなった気がした。


俺たちは、黙々と、誰も来ない書庫の奥へと進んでいく。

幽霊生徒、有栖川ナギ。

もし、俺が彼だったら、どこに隠れるだろう?

人がいない場所。誰にも、干渉されない場所。

ただ、静かに、世界を眺めていられる場所……。


「……あ」


その時、俺の脳裏に、一つの場所が閃いた。

人が、いない場所じゃない。

かつては、人がいた場所。

たくさんの思い出と、今はもう動かない機械だけが残された、忘れられた場所。


「ルナ先輩、行きましょう。たぶん、見つかります」


俺たちが向かったのは、旧校舎の屋上にある、今はもう使われていない、古い天文台だった。

錆び付いたドアを開けると、中は埃っぽく、静寂に満ちていた。

部屋の中央には、白いシートがかけられた、巨大な天体望遠鏡。

そして、その麓に。

窓から差し込む夕日を浴びながら、一人の少年が、床に座り込んでいた。


ボサボサの髪。古びた制服。

彼は、俺たちの存在に気づきもせず、手元の古い携帯ゲーム機に、ただ、没頭している。

有栖川ナギ。

『学園の幻影』は、こんなにも静かに、世界の片隅に佇んでいた。


「……あの、有栖川くん?」


ルナ先輩が、おそるおそる声をかける。

返事はない。

ゲームの電子音が、虚しく響くだけだ。

ミコト先輩から聞いていた通り、彼は、金や、普通の交渉には応じないだろう。

ならば。


俺は、意を決して、彼の前に立った。


「……解けない問題があるんだ」


俺の言葉に、彼の指が、ピクリと一瞬だけ止まった。


「この学園の王様が作った、絶対に勝てないようにデザインされた、完璧なゲーム。ルールも、盤面も、全てが相手に有利にできている。誰もが、不可能だっていう、詰み盤面だ」


俺は、彼の目を見ずに、続ける。


「あんたは、天才なんだって聞いた。でも、さすがのあんたでも、この問題は、解けないかもしれないな。……悪い、邪魔した」


俺は、そう言って、踵を返した。

仲間たちが、驚いて俺を見る。

もう、打つ手はないのか。

誰もがそう思った、その時。


「………………」


静かで、掠れた、でも、確かな意志を持った声が、俺たちの背中に届いた。


「……その盤面、見せてみろ」


有栖川ナギは、ゲーム機から顔を上げないまま、静かに、そう言った。

その瞳の奥に、初めて、退屈以外の光が宿るのを、俺は見逃さなかった。

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