第7話 <現代編:再会前夜>葉書をめぐる攻防

(同日)

2024年1月25日

7時半すぎ


朝の光がキッチンの小窓から差し込んでいた。

まだ寒さの残る1月の朝。

暖房のきいた室内に、ひとすじ冷たい空気が差し込んだ。


玲子は、コーヒーメーカーの横に置いた葉書を手に取り、あらためて目を通した。

小さな文字で、丁寧に書かれた送り主の名前に、思わず目を細める。


背中のほうから、娘の声が軽やかに届いた。

「ママ~、どうしたの。なに、そのハガキ。誰から?」


優莉は制服のまま通学カバンを手に、大きな水筒をかかえてきた。

ポニーテールの髪を結び、前髪の分け目とカーブ具合を気にしながらも、

好奇心いっぱいの目を向けてきた。

今日の前髪ぐあいは、合格のようだ。


「うん……。ママの高校のときの担任の先生が、今度大阪に戻ってくるんだって」


リビングのテーブルには、朝ごはんを終えた食器がそのまま。

中学2年の悠登は、さっき猛ダッシュで学校に向かっていったばかり。


「そうなんだ。ママって北海道のひとだしね。っていうかさ、今何歳なの?そのセンセ。まだ先生やってたの?」


「去年、だったかな。定年退職して、今度地元の大阪に引っ越してくるんだって」


新聞をめくっていた夫が、クスッと笑いながら顔を上げた。

「それは、すごく懐かしいじゃない。今度こっちで会うのかい?」


玲子は葉書を持ったまま、娘と夫を交互に見た。


「うん、そうね……。まだ何も決まっていないんだけど。大学の予定もみなくちゃ。

あと、先生が“クラスの同級生も呼ぶから”って書いてあるの」


「えっ、それってママの北海道の高校の友達ってことでしょ。関西にもいるんだ、お友達。何人来んの?」

 

玲子は少し言いよどんでから、ゆっくりと言葉を探した。


「うーん、わからないんだけど……この先生の書き方からだと、

先生とママと……もう一人の同級生だけ、みたい」


「はっ?何それ。二人だけでクラス会ってアリなの。

ママは知ってたの?その人がこっちにいるって」


「ううん、全然。先生が、“大阪に住んでるよ”って書いてあるだけで、

その人の連絡先もわからないし。あと葉書には、“病院の先生だよ”って」


「ええ~、そうなの?全然知らなかった。すごいじゃん、それ」


優莉は興奮気味に話しながら、スマホに手を伸ばし充電コードを外した。


「ママの友達にお医者さんがいるなら、ほら、私が前に盲腸だったっけ?入院したときとかさ、いろいろ聞けばよかったじゃん。これからはさ、困ったらすぐ電話して聞けるじゃん。初めて聞いたよ、その話」


なぜかとても嬉しそうな優莉だが、玲子だけが置きざりになっている。


「じゃあさ、あの“救急24時”の救急車とかに乗ったり、“東京MER”とかさ、“コードブルー”の山Pみたいに、ヘリに乗ったりしてるの?パパも見てたでしょ、あの“HANABI”のやつ」


「ああ、見てた見てた。面白かったね。医者役の俳優さんたちが美男美女すぎて、あんまりリアルじゃなかったけど。看護師役の女優さんも、けっこう強かったね」

新聞越しに夫も笑いながら応じる。


「……でも、玲の高校の同級生に病院の先生がいたんだね。

その人も、やっぱり救急の先生なのかい?」

夫もだんだん質問側に回ってきた。


玲子はふっと目を細めた。

「わからないの、私はホントに。先生からそう聞いただけで……その人とは、大人になってからは……一度も会ったことがないの。同窓会にも一度も来てなかったし。本当にお医者さんになってるかどうかだって、知らなかったもの」


「ママのその同級生の先生ってさ、高校のとき仲よかった?ってか覚えてた?」


―忘れる……わけがない―


「いやぁ、同じクラスだったかなぁ……って。

もう三十年も前だから、正直顔も思い出せないわよ」


「でもさ、病院とかSNSで調べたらすぐ見つかるんじゃない? その先生の名前教えてよ、ママ」


優莉が乗り出すように言った瞬間、玲子はできるかぎりの微笑みをつくりながら、そっと娘の手をとめた。


「いいよ、優莉。そんなことしなくても。今は誰も困ってないでしょ。

みんな、元気にしてるんだから」


その指先に、ほんのわずか……

かすかな震えがあった。


気づいたのは、玲子ではなかった。


「うん……。まあ、そうだよね。ママも今度、そのお医者さんにも会えるね。いいじゃん。めっちゃ変わってんじゃん?知らんけど」


楽しそうに笑いながら、優莉は続ける。


「高校のセンセと、病院の先生と、ママも大学の先生で……先生が3人で集合ってこと? 白衣で会うの、病院で?それもさ、おもしろいじゃん」


「白衣で会うわけないでしょ。担任の先生も来るんだから、ちゃんとしたお店に決まってるじゃない」


「も~、冗談なのに。でもさ、生徒は2人しか来ないんでしょ? 話したい放題じゃん。めっちゃ“濃い話(こいバナ)”できるじゃん。先生に大公開、今だから話せる高校時代の暴露話とか」


―コイバナ……?あ……「濃い」「話」ね。「恋バナ」って思っちゃった―


鼓動がトンと、鈍く音を立てたような気がした。


「暴露話……ね」

玲子は、胸元にそっと手を添える。


「あれ?ママ、やっぱ会うのイヤなの?医者ってなんかプライド高そうだしとか」


「なにそれ、ひどい偏見」


玲子は笑って返したが、すぐに香りが消えかけたカップに視線を落とした。


「卒業してから三十年ぶりって、本当に、すっごく変わってると思うから、ちょっと不安で……」


優莉の攻めは、なかなか止まらない。

「ふーん。たしかに……会ってもさ、二人してわかんなかったりして。

ママもさ、そんとき18歳だったんでしょ?なんかヤバいね、それって。

『誰やったっけ』『いや、あんたこそ誰やの』ってなったらさ、ウケるんだけど。

『なんや、えらい老けたなぁ』『何言うてんの、あんたさんの方がだいぶおっきなってはるわ』とか言いあったりして」


「うわあ。同級生のお医者さんにストレートに「年やな」と言われたら、へこんじゃうかも。あ、その人は北海道育ちなんだから、そんな言い方しないわよ。でも、これは大変なことになったわ。美容院予約しようっと」


「大丈夫?ママも、女子力出さないと〜」


―優莉。アナタは応援してるの?楽しんでるだけ?-


二人のやりとりを笑顔で見ながら、夫が食器を台所に戻しながら言ってきた。


「今はいいけどさ。これからは俺や玲も……いつ病気になるかわからないし。

もし何かあったときに相談できる先生がいるって、けっこう心強いのかもよ。

クラス会で会えるならさ、『今後のためにもよろしく』ってお願いしておけば?いい機会なんじゃない?」


玲子は少し笑って、首を傾げた。

「……そうね。その人にお願いしておくのも、ありなのかもね……」


声に出したその言葉が、自分のものじゃないみたいに思えた。


胸のどこかが、ふいにきゅっと縮んだ。

それを気のせいだけではないことは、よくわかっていた。


気持ちの行き先を探すように、

玲子は湯気の消えかけたコーヒーに目を落としながら、静かに葉書を裏返した。


胸の奥で“お願い”とは違う別のものが、目を覚まそうとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る