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黛西寺流は、心を穿ち抜く拳である。
それは、稽古を通して己の心と対峙するといった、精神論の類ではない――実戦格闘の状況において、相手の四肢の先に血流が巡り始めるより早く痛打を叩き込み、終始優位を崩さずに殺しきることを是としている。故に、肉体の発動機としての「心」を穿つ拳。
そういう由縁が伝わって、今では型だけが残っているという、よくある話でもない。令和の世において、黛西寺流は今なお、生々しい殺人拳の術理をそのままの形で伝承し続けている。
この、静かな町の山寺で、密やかに。
秘訣として呼吸と体重移動を重んじている点は多くの古武術と変わりない。そうした身体操作技術に関しては、当代の弟子の中では年若い條淡が秀でていたが、その巧拙を以て黛西寺流への理解が量れるわけでは決してなかった。黛西寺流の神髄はそのさらに奥にある。
筋肉の収縮によって発する勁を、重心の移動を利用して遠心力で骨へと伝える。力の集積点となった骨をそのまま得物として薙ぐ、あるいは突き出す。それが黛西寺流の基本的な考え方である。
そこからどのような体捌きを見出すかの選択肢は、探究者の数だけ存在する。大師範・條厳は、肉体の盛りを過ぎてなお稀代の探究者であった。
己の体から発する力と勁を如何にして相手の心に到達させるか、その求道研鑽の弛まぬことが、黛西寺流の伝承者たる姿である。
若き修行僧たちは学び、考えた。刹那でも早く相対した者の心を穿ち命を奪うため、己であればどのような型を用いるか。
黛西寺流は決して、常に最強の拳ではない。ただ、修めた者が己に合理する形で正しく揮えば、確実に目の前の命を消し去る。
故にそれは絶えず進化するものでありながら自ずから完成しており、完成したところで、ただの殺人拳に過ぎなかった。
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