​第3話 大家の差し入れは戦場の野草より滋味深い

 ​エアコンが復活した剛の部屋は、灼熱地獄から一転、文明的な快適さを取り戻していた。しかし、新たな問題が彼の目の前に横たわっている。大家の田中ハナから渡された、ビニール袋いっぱいの夏野菜だ。きゅうり、トマト、なす……どれも採れたてで瑞々しい。


​「……これをどうしろと」


 ​魔王軍時代、食料とは「腐敗していないか」「毒がないか」の二択だった。こんなにも完璧な状態の野菜を前にすると、どう扱っていいものか逆に戸惑う。


​「放置して腐らせるのは、兵站を軽んじる行為。魔王軍では死罪に値する……」


 ​ぶつぶつと呟きながら、剛は覚悟を決めた。彼は台所――と言っても、アパートに備え付けの小さなシンクと一口コンロがあるだけだが――に立つと、まずきゅうりを一本手に取った。


​「ふん、この包丁、切れ味が良すぎる。これでは素材の繊維を潰してしまう」


 ​文句を言いながらも、その手つきは意外なほど滑らかだった。トントントン、と軽快なリズムで、きゅうりが薄切りになっていく。かつて、どんな劣悪な環境でも、限られた物資で兵士たちの士気を保つ食事を作る必要に迫られた経験が、その体に染み付いているのだ。


 ​その音と匂いに誘われたのか、隣室から芽がひょっこりと顔を出した。


「何してんの? その音、何かを解体してるみたいで不気味なんだけど」


「見て分からんか。昼飯の準備だ」


「はぁ? あんたが? 料理なんてできたの? てっきりコンビニ弁当しか食べられない、味覚障害のゴリラかと」


 ​その時、芽の目がキラリと光った。彼女はすぐさま自室に戻ると、スマホ片手に再び現れる。画面は既にライブ配信中になっていた。


​「はい、皆さんこんにちはー! 緊急ゲリラ配信でーす! なんと、うちの同居人、ゴズが! あのゴズが料理を始めましたー! これは歴史的瞬間ですよー!」


 ​スマホの画面には、ものすごい勢いでコメントが流れ始める。


『ゴズさん料理すんの!?』

『マジかwww 筋肉で野菜粉砕しそうwww』

『ギャップ萌えってやつか……』


 ​その中に、ひときわ熱心なコメントがあった。


Kenta_EdoG:『うおお! ゴズさんの包丁さばき、プロじゃないですか! かっけえ!』


​「ほら、ケンタも興奮してるわよ。なんか作ってやんなさいよ、ゴズ。あんたのファンサービスよ」


「……ファンではないだろう」


 ​剛はコメントの嵐を意にも介さず、黙々と調理を進める。そうめんを茹で、冷水でしめる。なすを炒め、トマトを切り、錦糸卵を作る。その手際の良さは、芽の配信を見ている視聴者を驚かせるには十分だった。


​Kenta_EdoG:『あの手つきはただ者じゃない…! もしかしてゴズさん、元料理人…!?』


『いや、元魔王軍の師団長だぞ(ソースはメズ様)』

『魔王軍の炊き出し担当だったのかな?』

『どんな料理が出てくるんだ……魔物料理?』


 ​やがて、ガラスの器に彩りよく盛り付けられた、涼やかなそうめんが二つ完成した。


「……できたぞ。さっさと食え。伸びる」


「へぇ……」


 ​芽は配信を切ると、目の前に置かれたそうめんをまじまじと見つめた。見た目は、そこらの店で出てきてもおかしくないほど完璧だ。彼女は半信半疑で箸を取り、一口すすった。


​「…………」


 ​その瞬間、芽の動きが止まる。


 シャキシャキのきゅうり、甘みのあるトマト、出汁の染みたなす、そして完璧な茹で加減のそうめん。それらが、少し甘めの優しい麺つゆと絡み合い、夏の暑さで疲れた体に染み渡っていく。


​「……どうだ。口に合わんか。まあ、戦場の野草を煮込んだだけのスープよりは栄養があるだろう」


 ​剛がぶっきらぼうに言う。芽はしばらく黙っていたが、やがて顔を上げると、ぷいと横を向いた。


​「……まあ、食べられないこともないわね。コンビニの冷やし中華よりは、ほんのちょっとだけマシってとこかしら。麺のコシが、あんたの石頭みたいに強すぎるのが玉に瑕だけど」


 ​それは、素直ではない彼女なりの最大限の賛辞だった。


 剛はそれ以上何も言わず、自分のそうめんに向き直る。そして、一口すすり、静かに呟いた。


​「……ふん。出汁の風味が少し弱いな。魔王軍御用達の、三日三晩煮込んだ魔獣の骨から取る出汁の方が、よほど味に深みがあった」


 ​その言葉とは裏腹に、二人の箸は、止まることを知らなかった。


 暑い日曜の昼下がり。エアコンの効いた部屋で、二人の元魔王軍幹部は、生まれて初めてかもしれない、穏やかな昼食のひとときを過ごしていた。

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