​第2話 壊れたエアコンは魔王軍の脱走兵より始末が悪い ​翌朝。

 日曜日の太陽は、容赦というものを知らなかった。窓から差し込む光は既に暴力的な熱を帯び、部屋の温度計は午前中の時点で30度を指し示している。


​「ぐっ……空気が重い。まるで魔王が放つ威圧プレッシャーのようだ」


 ​ランニングと称した近所のパトロールから戻った剛は、滝のように流れる汗を手ぬぐいで拭いながら唸った。そのTシャツは、まるで川にでも落ちたかのようにぐっしょりと濡れている。シャワーを浴びて涼を得ようとした、その時だった。


 ​ブゥン、と低い唸りを上げていた剛の部屋のエアコンが、突如として「バタン!」という異音を発し、沈黙した。ファンは止まり、ランプは消え、ただの無機質な箱へと成り下がった。 


​「…………なんだ、この鉄屑は」


 ​剛の額に青筋が浮かぶ。


 ​「肝心な時に役目を放棄するとは、魔王軍の脱走兵より始末が悪い! 処罰だ! 即刻解体してやる!」


「ちょっと、朝から何騒いでんのよ! 人はまだ寝てんの!」


 ​隣室から、不機嫌極まりない芽の声が飛んでくる。


「エアコンが壊れた」


「はぁ? 最悪なんだけど……。で、あんたどうすんのよ。まさか私の部屋に避難してくるとか言わないでしょうね? 私の部屋は最新機材を守るための聖域サンクチュアリなの。あんたみたいな汗臭いのが入ってきたら、精密機器が湿気で壊れるわ!」


「……誰が入るか」


 ​剛は舌打ちし、エアコンを睨みつけた。芽の言う通り、業者を呼ぶのが筋だろう。だが、この酷暑の日曜日だ。電話が繋がるかも怪しいし、修理に来るのが何日後になるか分かったものではない。費用も馬鹿にならないはずだ。


​「ちっ……」


 ​剛はひとまず、アパートの大家である田中ハナの部屋を訪ねることにした。強面の男が朝っぱらから押しかけてきたというのに、ハナは「あら剛ちゃん、どうしたんだい、そんな怖い顔して」と、ひ孫に接するように笑う。


 ​事情を説明すると、ハナは「あらやだ、この暑いのに大変じゃないの」と、自分のことのように眉をひそめた。


「業者に電話してみるけど、すぐには来てくれないだろうねぇ。うちも去年、お風呂が壊れたときは一週間も待たされたんだよ。まったく、最近の職人さんは猫の手も借りたいくらい忙しいんだから」


 ​昔の愚痴をこぼすハナを見ながら、剛はふと口を開いた。


「大家さん、もしよければ、少し見てもいいです?」


「え? でも剛ちゃん、危ないよ」


「いえ、魔王軍の……いや、昔の職場で、少しだけこういう機械をいじっていたので。原因が分かるだけでも、違うかもしれません」


 ​その言葉に、ハナは「まあ、剛ちゃんは本当に頼りになるねぇ」と目を細め、物置から古びた工具箱を引っ張り出してきた。


 ​部屋に戻ると、芽が興味深そうに襖から顔を覗かせていた。スマホのカメラは、既にこちらに向けられている。


「へぇ、あんたにそんな特技があったなんてね。『#異世界ゴリラ、文明の利器に挑む』ってタイトルでショート動画でも撮ってやろうか?」


「……好きにしろ」


 ​剛は軽口を無視し、エアコンのカバーを外した。現れたのは、埃と配線が入り組んだ、彼にとっては理解不能な基盤。だが、彼は焦らなかった。魔王軍時代、ろくな資材もない中で、無理やり動かしてきた攻城兵器や魔力炉の構造よりは、よほど単純に見えた。


 ​彼は基盤を睨みつけ、指で配線を辿り、五感を研ぎ澄ます。異常な熱、僅かな焦げの匂い、部品の歪み。それはまるで、戦場で敵の弱点を探る作業に似ていた。


​「……ここか」


 ​十分ほど睨み続けた後、剛はぽつりと呟いた。そして、ドライバーの柄で、基盤のある一点を「コンッ」と軽く、しかし的確に叩いた。原始的極まりない、いわゆる「衝撃療法」だった。


 ​すると、どうだろう。


 沈黙していたエアコンは「ガコン!」と音を立てて身震いし、再びファンが回り始めたではないか。涼しい風が、剛の汗ばんだ顔を撫でる。


​「……うそ」


 ​撮影していた芽が、素っ頓狂な声を上げた。


 廊下で心配そうに見ていたハナが、ぱあっと顔を輝かせる。


「まあ! すごいわ、剛ちゃん! 直っちゃった! まるで魔法みたいだねぇ!」


 ​剛は額の汗を拭い、ふんと鼻を鳴らした。


「いえ、大したことでは。魔王からの、明日までに城の防衛システムを復旧させろなどという無茶な命令に比べれば……」


「またそれ? あんたのその魔王ネタ、もう聞き飽きたんだけど。でもまあ、助かったわ。私のPCが熱暴走するところだったじゃない」


 ​ぶつくさ言いながらも、芽の声には安堵の色が混じっていた。


 ​その日の午後。剛の手元には、大家のハナが「お礼だから」と置いていった、瑞々しい夏野菜の詰まった袋があった。冷えたトマトを丸かじりしながら、剛は今日何度目かの愚痴をこぼす。


​「……ふん。魔王から下賜される得体の知れない宝石よりは、よほど実用的で助かるな」


 ​その言葉は、蒸し暑い夏の空に、ほんの少しだけ涼しい風を吹かせたような気がした。

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