恩寵争奪、開戦

 ――それは、全てが始まる前のこと。



 地獄の第八層・悪政獄、その奈落に程近い集落。

 そこで俺と姉さん、そして20人ほどの亡者は、悪鬼たちから隠れ住む生活を送っていた。

 

 『集落』、と言っても、建物以外の何かがあるわけではない。

 その建物だって、ただ原始的に石を積み重ねただけの、飛行する悪鬼から最低限身を隠せる程度のものだ。床は野外と同じ赤土そのままだし、家具どころか薄いぼろ布が贅沢品だし、天井や四方の壁など全て揃っている方が珍しい。これは悪政獄の、生前の驕奢を戒めるという理念の為である、とは姉さんの言だ。

 そんな文字通りの地獄で、それでも俺達は……粗末な服一着以外の一切の財産を持たぬ悪政獄の罪人たちは、その廃墟未満の瓦礫の山に身を寄せ合い、息を潜めて暮らしていた。


 昼も夜もない、熱気混じる赤土の世界の中。

 石組みの家の中、硬い土の床に並んで座って。

 顔を寄せ合い、悪鬼を呼び寄せないよう小声で語ってくれる姉さんの声は……辛い全てを忘れさせるように、伝え聞く雪がしんしんと降るように。


「……そうして彼等を背に乗せた天界竜ノアは飛び立ち、始海竜レヴィアが起こした大波から逃れました。大洪水は七日と七夜続き、地上の罪あるもの全てを呑み込みましたが、天界竜ノアの背に乗ったものたちだけは無事生き残り、大洪水が収まった後に再び繁栄したのでした」


 今日の物語は聖典の神話。

 その救いのある結末を聞き届けて、俺は感嘆と安堵とが入り混じった息を吐いた。


「ああ、よかった……けど姉さん、それは本当にあった話なのか? その、他の話と比べると、少し規模スケールが大きすぎるような……」

「さあ、どうでしょうね。聖典に記された神話の中には、完全な実話や虚構はもちろん、脚色された歴史もありますから……だから、大事なのはね、レイワード。あなたが何を信じるか、ですよ」

「……なら、俺はあんまり信じれないかなぁ」

「あら、どうして?」

「だって、始海竜レヴィアって下顎がない竜なんだろ? ドラゴンはせっかく格好いい形をしてるのに……そんなの、ちょっと間抜けじゃないか」

「そう? わたくしは、それも美しいと思うけれど」


 くすり、微笑んだ彼女には、地獄などまるで似合わない清らかさがあった。

 ――ネルヴィ姉さん。

 どんな時も、悪鬼に追われている時ですら……優しく、柔らかく、正しいひと。話に聞く聖人とはこんな態度なのだろう、とさえ思わされる女性。

 彼女が死んだのは20歳のときと聞いたことがあるが、もう少し若いようにも見える……俺と同じ色の髪、同じ色の瞳、同じ色の肌を持つ女性だ。俺の外見も10代半ばくらいをしているから、姉弟きょうだい、というのは不自然ではないように思えるが、実際のところは分からない。

 それでも――例え真実がどうであれ、ネルヴィ姉さんは俺、レイワードの唯一の姉で。

 そして俺達は、地獄の中でたったふたりの家族だった。


「次は何の話がいいかしら。わたくしも聖典の内容を完全に覚えているわけではないから……そうね、英雄譚なんかはどうかしら。まだ語っていないものも多いし」

「本当?」

「ええ。それじゃあ次は、古代の国を脅かした人面の蛇の怪物と、それを討ち取った英雄のお話をしましょうか」


 しんしんと、語る声だけが続く。

 亡者は眠れない。食事も摂れないし、子供を作ることもできない。それは生者の特権だから。

 そんな亡者の俺にとって、姉さんが語る現世の物語は唯一の娯楽と言えた。


「……その『魔眼返し』によって、ついに人面蛇メドゥラは討ち取られました。無敵と恐れられた百魔眼の力が、最後には持ち主である彼女すらを破滅させたのです」

「ふはぁ――ありがとう姉さん、凄く面白かった。やっぱり英雄譚が一番好きだな、俺」

「ふふっ、レイワードも男の子ね。わたくしはこの後の、凱旋した英雄とお姫様とのラブロマンスも好きなのだけれど……」

「うぅん……ラブもロマンスも、正直俺には分からないや。それよりは半人半蛇ラミアを見てみたくなったなぁ。人面蛇メドゥラってラミアだったんだろ? 俺、ラミアって見たことないし、いまいち想像ができなくて。獣人とどう違うんだろう……」

「そうね……悪政獄ここに居るのは大半が普通の人だものね。いつか、ラミアの方とも会えるといいわね」

「……ねえ姉さん、生前の俺はラミアを見たことがあった?」

「それ、は……」


 しんしんと降る雪の声が、止んだ。

 歴史や英雄譚からちょっとした現世の知識まで。何でも語ってくれた姉さんだったが、唯一口を噤む事柄があった。

 それは、俺や姉さんの『生前』について。

 記憶喪失の俺が自分の生前や罪を知りたがるたび、彼女は沈痛な面持ちで口を噤み、そして毎度決まって同じことだけを言うのだ。


「レイワード、これだけは覚えておいて。あなたは本当は、地獄に堕ちるべき悪人ではないのよ。ああ、可哀想なレイワード……ごめんね。ごめんなさいね。わたくしのせいで、あなたは……」


 そう言い聞かせる姉さんの顔はとても辛そうで……そのうち、俺は自分の生前について尋ねるのを避けるようになった。今日の失敗もまた、その傾向を強めるだろう。

 長い長い沈黙の後、姉さんは分かり易く、無理矢理に気を取り直して笑う。


「さあレイワード、次は何を語りましょうね……」


 声、表情、眼差し、触れた手。

 その全てに薄っすらと絶望の色が染み込んでいることを、俺はいい加減感じ取れるようになっていた。

 彼女の語る声は輝くような白さだけれど……その雪の声すら積もった傍から黒ずんで、俺達の髪色と同じ灰の色に変わっていく。その溶ける灰の下、地平の先まで敷き詰められた赤黒い絶望を覆い隠すように、姉さんは語り続けるのだ。


 分かっている。この暮らしも、平穏もそう長く続かないことくらい。

 なにせ、今まで一ヶ月と同じ集落に留まれた例はないのだから。この奈落の縁の集落は確かに悪鬼の巡回ルートを外れてはいるが……そのうち嗅ぎ付けられ、襲われ捕らわれて、全員がまた地獄の刑罰を受けるだろう。地獄で目覚めてからのこの数年、何度も繰り返して来たことだから分かる。

 要するに、今はその刑罰と刑罰の隙間の時間。

 平穏、と呼ぶには余りにか細い、息を潜め声を押し殺して過ごすだけの泡沫の日常。


 けれど、悪鬼の襲来によって一時の終わりを告げるはずだった日常は……予想を遥かに超える、前代未聞の一大事によって、永遠に砕け散ったのだった。





《center》◆◆◆《/center》





 ――八つの腕輪を地獄に下す。

   腕輪はそれぞれが冠する美徳に最も相応しい亡者のもとに現れる。

   八つの腕輪全てを揃えたただひとりが、現世への蘇りの奇跡を得る――。



 はじめに言葉ありき、とは聖典の一節だっただろうか。

 言葉より世界が始まったというのなら……この『恩寵争奪』も同様に、言葉が全ての始まりであった。

 八つの腕輪。蘇りの奇跡。それらの余りに眩しい言葉が、地獄の様子を一変させたのだ。


 嗚呼――しかし勿論、言うまでもなく。

 例えそのような話を聞いたとして、普通、誰もが心から信じ切るだろうか。

 過去同じようなことが起こったという前例や伝承もない。神の降臨を直に目にしたわけでもない。であれば、猶更信じがたいと感じるのは道理であろう。


 けれど確かな事実として、地獄の亡者たちは――刑罰に苦しみ恐怖に怯えて日々を送る罪人たちは、全員がその目の色を変え、その場で殺し合いさえも始めたのである。


 何故、亡者たちはその言葉を信用したのか。

 誰かが適当に創作した法螺話を、声を他人に送る魔法などにより無差別に広めただけの、下らぬ詐術ではないのか。

 成程、確かに悪質な悪戯を考え付く亡者、そしてその手の魔法などを行使できる亡者も、地獄のどこかには居るだろう。

 だがしかし。

 音声による伝達ではなく、文字による学習でもなく……一体何百万人居るのかも分からない地獄の亡者全体に、一瞬にして同時に、それも最初から知っていたかのように一言一句違わぬ知識のみを与えるというのは……それこそ言うまでもなく、おおよそ人に行える規模の術ではない。

 その上、地獄のあちこちで過去類を見ない超級の発光現象が同時多発的に見られたとくれば、それはもう亡者の手で起こせる現象の類を超えている。

 もし有り得るとすれば、そう――絶対なる造物主、地獄さえ創造した神によるお告げ。


 はじめに言葉ありき。

 この『恩寵争奪』も、やはりそのように始まったのだ。


 そうして亡者たちは、すぐに『腕輪』の情報を収集し始めた。

 ある者は交渉で。ある者は脅迫で。

 それにより集められた情報によると、『お告げ』があった瞬間に光った場所が、地獄に五つあったと言う。


 第一層、『辺獄』でひとつ。

 第三層、『邪淫獄』でひとつ。

 第五層、『殺人獄』でひとつ。

 第六層、『異端獄』でひとつ。

 そして第八層、『悪政獄』でひとつ。


 同時に五つの、遠方からでさえ目も眩む極大の発光を見せた場所は、地獄の中心に開いた大穴を通して、瞬く間に全ての層に共有された。

 そして時間をおいて、更に二つ。


 第一層、『辺獄』でもうひとつ。

 第七層、『戦争獄』で新たにひとつ。


 数こそ未だ七つに留まっていたが……全員が確信した。あの光の発生地点こそ、『腕輪』が顕現した場所であると。

 そして、話はそのうちのひとつ――悪政獄のとある集落に、再び戻る。





《center》◆◆◆《/center》





 神のお告げが終わると同時――。


 突如として、極大の閃光が俺と姉さんを呑み込んだ。

 石組みの仮宿の中を氾濫する白い光。それは一切の熱や破壊力を持たず、地獄の端から端にまで届くような光量でただ俺達を抱擁し――やがて、光が収縮を始める。

 全方位を照らしていた光は、枝分かれした帯を思わせる光条に纏まり。それらがうねり、絡まり、たった一点に凝縮される。

 そうして、光は形を得た。

 鋳溶かした金属が冷めるように、光の塊だったものは色を持ち、質感を持ち、そして物理的重量さえを獲得して落ちる。

 ネルヴィ姉さんの、手の中へ。


「――これ、は」


 かちん、と。御伽噺の五芒の星がぶつかったような、綺麗な音を立てて姉さんの手の中に収まったそれは……どこからどう見ても、地獄ではとても手に入らぬような美しく神々しい『腕輪』であった。

 感嘆に息さえ忘れた俺の眼前で、姉さんもまた魂が抜かれたように、腕輪の表面に刻まれていた文字を読み上げる。

 即ち――。


「『無私の、腕輪』……なんて、こと。八つの『腕輪』のうちのひとつが、まさか、わたくしのもとに……」


 八大罪に対応する八美徳、『強欲』の大罪に対応した美徳――『無私』。

 その名を聞いた瞬間、俺は漸く現実を正しく認識し、そして飛び上がって喜んだ。


「やったじゃないか、姉さん!」

「レ、レイワード……?」

「それ、お告げにあった『腕輪』だろ。それが姉さんの手元に現れた、ってことはさ。

 姉さんは生き返れる――生き返るに値する、って神様が言ってるのと同じじゃないか!」


 そうだ、俺は純粋に嬉しかった。

 優しく、柔らかく、正しい姉さん。地獄などまるで似合わない、俺が知る限り一番の善人。

 そんな姉さんが『腕輪』に――八つしかない腕輪のひとつに選ばれたのだ。なんて素晴らしい救済か。なんて幸運なことだろうか。

 おお、神様は俺たちを見ていらっしゃったのだ、と、生まれて初めてそんな喝采を内心で叫びさえした。


 けれど、はしゃぐ俺を前に姉さんは……ゆっくりと、重苦しく首を振った。


「……違います。

「? 姉さん――?」

「ようやくです……嗚呼、主はわたくしの祈りを聞き届けられた。ようやく、あなたが救われる日が来たのです、レイワード」


 俺は絶句した。

 ――姉さんが、泣いていた。

 透明な涙が――腕輪に選ばれた聖女に相応しい清らかな雫が、連続してその頬を伝う。

 悲しみによる涙ではなかろう。ならばしかし、その涙の源とは如何なる感情か。

 そんな考えと共に固まってしまった俺の前で、姉さんは溢れ続けるその涙と同様、新雪の声で独り呟きを溢し続ける。


「ただ、『腕輪』は八つ集めなければ生き返れない……どうしましょう。あなたもわたくしも、『腕輪』を集める力なんてないわ。誰かに助力を……彼なら……? いいえ、でも、けれど……」


 何度も揺れ動いた瞳は、俺を捉えてきっと決意の色を灯した。

 思い出したかのように涙を拭った姉さんは……有り得ないことを口にした。


「とにかく、レイワード。今すぐこの『腕輪』を持ってここを出なさい。そして現世へ生き返るため、この地獄をひたすら上に向かって進むのよ。不安でしょうけれど、戦争獄まで辿り着けばきっと大丈夫。主ととがあなたをお守りになるわ――」


 ぐい、と『腕輪』を押し付けられ。

 俺はほとんど反射で『腕輪』を押し返し、叫ぶ。


「な、何言ってるんだよ姉さん! どうして急にそんな話に……生き返る? 俺が? 姉さんの手元に『腕輪』が現れたってことは、姉さんこそが生き返るべきってことなんじゃ」

「――莫迦なことを言うのはよして!」


 声に、俺はひっくり返るほどの衝撃を覚えた。

 だって俺は、姉さんが声を荒げた姿を、今初めて見たのだから。

 慣れない大声に息を荒くした姉さんは……悲痛に顔を歪めて正面から俺の両の肩を抱く。


「お願いレイワード、聞き届けて。いつも言っているでしょう、あなたは本当は――」


 ――地獄に堕ちるべき悪人ではない。


 散々繰り返されたその文言が脳内を駆け。

 嗚呼けれど――その言葉を聞くたびに俺の中に堆積していたが、この異常時に遂に弾けた。


「――なら! なんで姉さんは、俺の生前のことを頑なに話してくれないんだよ! 俺が悪人じゃないなら言えるはずだろう!? それでも語ってくれないのは、俺が本当は悪人だったからじゃないのか!?」

「! それ、は……」


 あるいは、俺が姉さんに対し言葉を荒げたのもまた初めてだったかもしれない。

 ともかく姉さんが落雷に撃たれたようによろめき……その隙に、俺は姉さんに背を向けて家を飛び出した。


「とにかく、それは受け取れないっ」

「レイワード!」


 制止の声も無視して、集落から走って離れた。

 悪鬼の巡回ルートギリギリにある、少し前に見つけた廃墟に身を隠して、姉さんが追ってきていないのを確認して不貞腐れた。


 無為に時間が過ぎる中、膝を抱えて思わず溢す。


「……姉さんのばか。俺は一体、何なんだよ……」


 声は、自分でも知らずの内に流した涙で歪んでいた。


 現世の記憶を持たぬ俺は、いつも疎外感と、そして当事者意識の欠如に苦しめられていた。


 もしも、俺が現世で悪人だったなら。

 その記憶があったなら、地獄の罰もまた仕方なしと、そう粛々と受け入れられたはずだ。

 逆に、姉さんが言う通り無辜の善人だったなら。

 そういう記憶や確信があれば、地獄の罰は不当だと叫んで、素直に『腕輪』を受け取って生き返りを目指したかもしれない。


 だが記憶喪失の俺は、そのどちらでもない。

 記憶喪失ゆえに、そのどちらにもなれない。


 だから、当事者意識の欠如とはそういうことだ。

 自分が世界に対して斜めに立っている、そんな感覚。

 過去が、生前が分からないが故に……目の前の全てを真正面から受け取ることも、背を向けて現実から逃避することもできない。それ故の、斜め。それ故の疎外感。

 そんな感覚が、いつだって俺を苛んでいた。

 その鬱屈の累積の結果が、この姉への拒絶と逃亡として初めて表出したのであった。


 ……別に、姉さんを恨んでいるわけではない。俺の生前を話してくれないのにも何か事情があるのだろうなんてことは、嗚呼、さしもの俺にも分かるのだ。

 ただ……それでも、生前の記憶が無いというのは、余りにが悪いというのも事実であった。その苦しみを誰とも、たった1人の家族とさえも共有できないのなら猶更だ。


「……俺は、一体どうすればいいんだろう。姉さんが生き返るのを願うのか。姉さんの言う通りに生き返ることを目指すのか……俺は、どちらを選ぶべき人間なんだろう」


 当然、答えなど出るはずもない。それを正しく判断する為には、生前の記憶を取り戻すか、生前の俺がどんな人間だったのかを知る以外にないのだから。


 だから、まあ。

 そんな答えの出ない問いについて、悠長に思案していたこの時の俺は……改めて誰かに言われるまでもなく、察しと聞き分けの滅法悪い大莫迦野郎の餓鬼であった。

 『恩寵争奪』は既に始まっているというのに。

 そんな独りよがりの懊悩で、自分だけでなく姉さんの時間さえも無駄にしたのだから。


 いや、それでも弁明が許されるのであれば。

 俺はその時まで、人間の恐ろしさというものを全く分かっていなかった、と言うしかあるまい。亡者の敵とは悪鬼のみで、他人とは痛みを共有する仲間であると……現世の記憶を持たぬが故に、俺はそう無邪気に信じていたのだ。

 嗚呼、けれど。

 分かち合えないものを奪い合う関係になったとき、人間とは、悪鬼など及びもつかぬほど狡猾で残忍で恐ろしい敵に変貌するのだと……その時になって、俺は初めて理解したのだった。




 ――半日も経たないうちに、悪政獄の集落に賊の集団がやってきた。

   集落の場所が奈落からほど近いというのも関係していたのだろう……ここに『腕輪』のひとつがあることは、大穴を通して地獄全土に筒抜けであったのだ。


 俺がそのことに気付いたのは、襲撃があった後のこと。

 集落の方から普段とはまるで違う殺気立った喧騒が聴こえ、すわ悪鬼の襲来かと慌てて戻って……俺は、その光景を目の当たりにした。


 集落の建物を無惨に破壊し、中に居る亡者を殺す賊――悪鬼ならぬ亡者の賊たちを。

 蛮行に抵抗する知人たちと、見知らぬ賊との間で繰り広げられる、何の誉れも無い殺し合いを。

 そして。


「向かって来るたァ悪くねえなァ。だが――絶望的に力不足だ、なァ」


 そして、鮮血に集落が染まる、その様を。

 抵抗した彼等は、悪鬼から隠れ住む生活を共にした彼等は……たった1人の亡者に殺された。

 それは戦いにすらなっていない、一方的な虐殺であった。

 今でも覚えている。眼光ひとつで亡者を気絶させ、素手で亡者の肉体を引き裂く、あの獣のような大男の姿を。


 そんな頭目を有する賊たちが、集落の亡者を殺戮しながら迫る中。

 髪を振り乱しこちらへ走って来た姉さんが、悲壮に叫ぶ。


「レイワード、無事でよかった――いいえ、とにかくお逃げなさい!」

「姉さん――でも――」

「いいから! お願いよ。あなたこそわたくしの唯一の希望……行って、速く!」


 最早ほとんど曖昧な記憶にしかない混乱の中、俺は今度こそ有無を言わさぬ姉さんの強い口調に押され、言われるがまま集落を飛び出した。

 いや、正直に言うのであれば。

 俺は恐怖し逃げ出したのだ。たった1人の家族を、優しい姉さんすらを、見捨てて。


 悲鳴の上がる集落に背を向け、必死に逃げて。

 けれど、その途中で異常は起こった。


「!?」


 急に、何の予兆も無く、両足から一切の力が抜けたのだ。

 余りに唐突なことに、勢いのまま受け身も取れず派手に転んで。

 立ち上がろうにも、何故か俺の足は小刻みに震えるだけで、まるで言う事を聞かなくて。

 ざっ、ざっ、と……背後から近付いて来る絶望の足音に追いつかれるのを、俺は怯えながら待つ事しか出来なかった。


「オイオイ……駄目だなァ、そうじゃねえだろ、なァ」


 そして、遂に。

 ぐい、と首をわし掴みにされ、獣じみた腕力で乱暴に倒れた体を持ち上げられる。

 見れば、眼前に絶望の顔はあった。

 さっき亡者を素手で引き裂いたのと同じ、万力の力で首を掴み固定した太い腕の先。肉食獣を思わせる巨漢、毛皮じみた長い髪……その隙間からこちらを覗く、一目で魂にさえ焼き付くような異質異形なる重瞳ちょうどうが。


「何の芸もなくただ『逃げる』とはなァ。駄目だな、分かってねえよ、オマエ」

「ぅ、ぁ……!」


 ぶらり、地から離れた足。ぎりぎりと片腕で締められる首。

 とても抵抗できぬ、悪鬼さえ思わせる膂力を有する男は、殆ど噛み付くように語った。


「オマエも男に生まれたならさァ、で満足するなよなァ。

 知人を守りたいとか、腕輪を集めたいだとか、ただ死にたくないとかもだが……何かあんだろ? そういうのがさァ。こんなオレにだってあんだから、無い訳ねえと思うんだが、なァ。

 何にせよ、全取り、理想を確実に叶えるには……『逃げる』んじゃなくて、『戦って勝つ』しかねえだろうがよぉ。ただ逃げるなんて妥協の極みだ――そんなの男じゃねえよ、なァ」


 みしみしと。

 頸部に食い込む太い五指は、獲物の息の根を止める猛獣のあぎとそのものであった。

 その握力が、言葉が、視線が、どうしようもなく伝えてくる。


 ――この男は、俺がどうなろうと構わないと思っている。

   このまま首が圧し折れて死んでも、窒息して息絶えても、そうなるならそれでいい、と。

   まるで虫に向けるような、羽根のように軽い殺意。


 みしり、獣牙の指が首を軋ませる音が、俺の脳髄に重く響いて。


「ぅ、ああああ――っ!」


 あるいは、本能がそうさせたのか。

 体を凍らせていた恐怖が閾値を超えて逆流するように、俺の肉体は決死で駆動、を嵌めた手で重瞳の男を殴り付ける――。


 嗚呼けれど、猛獣のあぎとはふたつあったのだ。

 ぱしん、と。

 男のもう片腕、俺の首を掴んでいるのと別の五指が、実に容易く俺の渾身の殴打を受け止めた。

 俺は漸く理解した……男の殺意が虫に向けるように軽かったのは、事実、男にとって俺は虫けら程度の脅威度しか持っていなかったからなのだと。

 決死の抵抗を受け止めた重瞳の男は、俺の腕を掴んだまま、実に軽い調子で言葉を続ける。


「そうだ、やりゃァできんじゃねえか。だがこれは……『手枷』、か? 可哀想になァ、こんな武器とも言えねえ鈍器しか持ってねえとは。戦争獄なら武器なんかくすね放題なんだがよぉ……さっきの亡者もだが、ここ悪政獄は、ただの石や薄汚れた手枷を鈍器にしなきゃいけねえほどモノがないらしいなァ。あるいは腕力や魔法の力でもありゃあ、話は別だったかもしれねえが……。

 不運だったなァ、力不足だったなァ。でもまァ、こんなオレ程度に負けちまうんだ。オマエが不幸に死んでいくのも仕方ねえことかもしれねえなァ」


 ちゃり、とどこにも繋がっていない鎖が、無力を嘆くように鳴る。

 粗製の金属で作られたと思しき、錆び付き汚れた片輪のみの手枷……当然、そんなものが彼我に開いた圧倒的な実力差を覆すはずなどなく。そしてそれ以外の一切の道具・能力を持たぬ俺は、抵抗の手段と希望とを完全に喪失したのだった。


「まァ、オマエも男なら悪く思うな。男に生まれたからにはよぉ……デカい夢見なきゃ、なぁ?」


 言い訳めいた言葉はしかし……更なる蛮行の予兆であった。

 男が、俺の首を掴んだまま歩き出す。

 いつの間にか目と鼻の先の距離にあった、へ。


 地獄の底へ続く大穴。

 そこへ、俺の体は突き出された。


 ひゅうぅ――。

 奈落に吹く黒い風が足元から昇って来て、俺の全身を舐めるように上へ通過する。

 ぶらん、と揺れた足の下には何もない。ただ底の見えぬ深淵だけが、犠牲者が飛び込んでくる瞬間を、大口を開けて今か今かと待ちわびている。

 地獄の、底。


 ぶらん、と再び足が揺れる。

 まだ俺が落下しないのは、ひとえに俺の体を奈落という死へ翳した男自身が、辛うじて俺の首を掴んだまま奈落の縁に立っているからだ。

 実に分かり易い、脅し。

 俺の命運を文字通りに握りながら、魔獣めいた男は低く唸るように言う。


「さて、質問だ……この辺に出現したっつう『腕輪』がどこにあるか、知らねえか? 八つ集めると生き返れるってアレだ。、オマエが隠し持ってるって訳でも無さそうだが……何か有用なコトを教えてくれるんなら、この手は放さないでおいてやるんだが、なァ」


 ――『腕輪』。

 結局、男の目的は……襲撃の理由は、蛮行の行きつく先はそれであった。

 姉さんの顔が脳裏で弾ける。

 俺にとって唯一の家族が、眼前の男に引き裂かれる様を幻視して。


「っ、誰が、言うか――っ!」


 もう一度、拳を振り上げる。

 全身の血が沸騰したようだった。拳を握らせた熱が殺意であると、初めてながら理解した。

 姉さんを守らなければ――そんな義憤が爆発し、今度こそ防衛本能ではなく、自らの意志で男を攻撃しようとして。


「あァ、そうかよ」


 けれど、当然の事として。

 俺の非力な拳などより、男が手から力を抜く方がずっと容易く、早かった。


 ふわり、突如として体を包んだ浮遊感が、全身の血を凍らせ握りしめた拳から力を奪う。

 首が解放されたのだと、そこをやけに冷たい風に舐められたことでやっと悟った。

 瞬間、世界が浮上する――否。俺が墜ちているのだ。


「あ――」


 理解と共に漏れた絶望の声は、実に間抜けな音として口から零れて。

 最早、助かる手段はなかった。

 遠ざかる視界。伸ばした手の先。

 俺の首から手を離した重瞳の男と、目が、合う。


「残念だ。まァ、オマエの無力には同情するぜ――」


 立ち向かうと決意したその姿すら、今はもう決して届かぬ高みへ。

 堕ちる。

 ただ墜ちる。

 地獄の底へ、真っ逆さまに――。



 そうしてレイワードという亡者は、地獄の底に消えていった。

 抱いた決意と闘志とを、墜落の恐怖に黒く塗り潰され。

 深い奈落の闇に呑まれて、二度とは這い上がれぬと謳われる深淵へと姿を消す、紛うことなき最悪の結末バッドエンド

 それで、亡者レイワードの物語は終わったはずだった。



 ――暗く冷たい地獄の底。

   その絶望の地で、かの美しき大罪の化身に出逢うまでは。





《center》◆◆◆《/center》





 悪政獄、レイワードが最後に過ごした集落にて。

 住民がひとりを除いて鏖殺された集落の中……その最も大きな廃墟、屋根の崩れた廃教会のようなその建物に、いくつかの人影が吸い込まれていく。


 そうして廃墟の中に入って来た亡者のうちのひとり。

 若い男で、頬に新しい痣のある彼は……室内の中心、石を積み上げただけの簡素な椅子に座った男へ、戦々恐々と声をかける。


「……コ、コーダウさん」


 大陸東部の出身と思しきその名を呼べば、巨大な獣を思わせる動作で、毛むくじゃらの背がのっそりと振り向いた。

 毛皮めいた長い髪、その隙間から覗く凶相と、それよりも恐ろしい異形の重瞳が一目で亡者たちを震え上がらせる。


「あァ、遅かったなァ。それで、『腕輪』は見つかったかァ?」


 今しがた廃墟に戻って来た亡者たちは、重瞳の男、コーダウに脅され手下となった者たちだ。

 彼等は本来、地獄の第五層・殺人獄で刑を受けていたが――『恩寵争奪』の開始直後、ある者はコーダウに暴行を受け、ある者はその『魔眼』の圧倒的な力を目の当たりにして――服従か死かで服従を選び、ここ第八層・悪政獄まで降下してきた。

 自分たちが生き延びるため、コーダウの言うままに集落の亡者たちを手にかけさえして……そうまでして生き残った彼等は、残酷なことに、今新たな絶望に震えていた。


 しかし、コーダウの質問に答えない訳にもいかない。そんなことをすればどんな罰が待っているやら。

 意を決し、先頭の若い亡者が10人ほどの手下たちを代表して恐る恐る口を開く。


「い、いえ、それが……すいません。集落の全ての建物、周辺もくまなく探したんですが、『腕輪』それらしきものはどこにも……」

「へぇ。コッソリ『腕輪』を見つけ、持ち逃げした奴ァ居ねえのか?」

「そ、そんな、有り得ませんよ。『1人でも逃げたら連帯責任で全員殺す』って言ったのはコーダウさんじゃねえですか。コーダウさんにそれだけの力があるのは皆分かってます……全員が相互に監視してるこの状況で逃げ出そうとするバカなんて居ません、へい」

「あっそ……ひぃ、ふぅ、みぃ……確かに、全員揃ってるみてえだなァ」


 平身低頭自分たちの服従をアピールし、不本意な結果を誤魔化すように媚びた笑みを浮かべる亡者……そんな彼の態度は好都合のはずなのに、コーダウはどこか不機嫌そうに言って、再び頬杖を突いた。

 もう片方の腕で、ぐい、と女の髪を掴み乱暴に持ち上げながら……彼は溜息交じりに呟く。


「ったく。テメエらなんぞより、の方が万倍は立派な男だったがなァ」


 周囲の手下たちはその言葉の意味までは分からなかったが……声に籠った現状の停滞への不満は十二分に感じ取れた。

 集落を襲撃してからはや数時間。

 『腕輪』を授かったと思しき女を捕らえ、他の有象無象を皆殺しにするところまでは実に順調だったのだが……誤算は、女が拷問に屈さず、一向に情報を喋る気配がないことだった。


「ぅ、ぁ……」


 灰色の髪をコーダウに掴まれ強引に顔を持ち上げられたその女が、痛みにか力なく呻く。

 ネルヴィ。レイワードの姉。

 美しかったその容貌は赤土に汚され、強靭な意志も度重なる窒息と臨死によって既に自失寸前にまで追い詰められていた。

 抵抗どころか、もはや言葉を放つ気配さえない。げほごほと喉から漏れる窒息後の咳も、今は力なく響くのみ。


 そんなネルヴィの様子に同情を誘われたのか。

 亡者のひとり、比較的年配に見える男が、不安の呟きとも質問ともとれる声を上げた。


「コ、コーダウさん。本当にこの集落に『腕輪』があるんでしょうか……? めぼしい場所は全部探しましたが見つかりませんし、案外この女性も何も知らないんじゃ……」

「はァ?」

「ひ――す、すいません……! なんでもありません、だから命だけは……!」


 異論を唱えただけで殺された者のことを思い出し、土下座して許しを乞いさえする亡者。

 そんな明らかに自分より年上の男の醜態に対し、コーダウはただ溜息を吐いた。


「はァ――ちょっとは考えてモノを言えよなァ。ここが光に包まれたことは複数の亡者が目にしてる。ここの住民にもる前に裏を取ったしなァ。それに……この女が頑として口を閉ざし続けるのが何よりの証拠だと思うが、なァ。

 これほど拷問に耐えるのは、強い目的がねえと不可能だろうよ。それこそ、生き返りの奇跡なんて強い目的が、なァ」


 分かったら黙ってろ、と命じれば、顔を上げた亡者は呼吸さえ止める勢いで口を閉ざしてこくこくと頷いた。目尻に涙さえ浮かべるのも無理はない、もう少しで比喩でなく呼吸が止まる所だったのだから。

 そんな手下になど視線は向けず。

 重瞳の魔眼は、ただ至近に持ち上げたネルヴィだけを映す。


「……しかし、にしたってこんなに耐えるとはなァ。窒息の苦しみは屈強な男でも音を上げる程のモンなんだが……女ってなァどうしてこう、自分の痛みには強いのが多いんだろうなァ」


 溢した声には、やけに実感が籠っていて。

 けれど次の瞬間には、その声は情を介さない冷たい獣のものに戻る。


「どうするか。こういう手合いには他人の痛みの方が効果があるモンだが、集落の人間は皆殺しにしちまったし……ミスったなァ、1人くらい残しとくべきだったかァ? まァ、今更ンなこと言っても始まらねえしなァ」


 そうして、コーダウはがしがしと獣めいて頭を掻いて。

 そのまま手で、ネルヴィの二の腕をがしりと掴んだ。


「仕方ねえ、四肢の一本でも奪ってみるか。亡者と言えど千切れた手足は繋がらん。取り返しのつかねえことになったのを見りゃァ、ちったァ気が変わってくれるかもしれねえし、なァ――」


 それは、獣のあぎとにさえ例えられる、異常の握力を有する怪腕。

 コーダウの有する力とは、重瞳の魔眼だけではない……その肉体の力もまた外見と同じく人間離れしていて、素手で他人を引き千切るなど造作もないことを、彼の力を目の当たりにした手下やネルヴィは知っている。

 彼の剛力の前では……無力な女性の人体なぞ、細枝よりも脆い肉塊に過ぎない。


 背後の亡者たちが惨劇の気配に思わず目を逸らす中、嗜虐の気配など微塵も見せぬまま淡々と。

 コーダウはネルヴィの細腕を胴から引き千切ろうと、その五指に荒く力を籠め――。



 ――正にその瞬間であった。

   彼等の居る廃墟の壁の一面が、轟音と共に吹き飛んだのは。



「なッ、なんだァ――?」


 爆発めいて舞う瓦礫と粉塵、廃墟内を蹂躙した衝撃は、コーダウ以外の全員を壁まで吹き飛ばすほどの風を生み。

 思わず手が止まったコーダウの見る前で……粉塵の暗幕カーテンの中から、は悠々と姿を現す。


「――は。全く、中々に芳醇な罪の匂いをさせるものよ。思わず釣られてしまったが、これは当たりを引いたと見て相違あるまいて。

 くく――匂い立つは我欲、罪悪、覚悟に背徳か。いやはや全く、大いに結構! やはりヒトとはこうでなくては――浅ましく、愚かしく、たちが悪いほどしたたかに! それでこそ、蹂躙する方も興が乗るというものよ」


 らん、と。

 黄金の双眸は呪いじみて土煙を貫通し、その眼光の睥睨だけで亡者たちを恐怖に凍り付かせた。

 そんな彼等が見守る前で、粉塵が薄れ、乱入者の影が形を確かなものにしていく。

 輪郭だけで美しい女と分かる人影は――しかし頭部には異形にして巨大なる角を有し、手足の先には鉤爪を構え、ぐるんと凶暴に尻尾を回し。

 そうして露わとなった傾国の美貌は、されど混沌としたこの場においては、更なる不穏の要素として並み居る亡者たちの眼を眩ませる。

 あるいは、本能が警鐘と共に知らせたのかもしれない。

 其こそは地獄の底の女主人。八つの大罪、あらゆる破滅をその身に宿す人類の敵であると。


 ――アダマリア。

 地獄の底より来たる怪物は、愉快気に案内人たる少年の名を呼んだ。


「レイワード! 貴様の姉とやらは、アレか?」

 

 アダマリアが顎で示したのは、コーダウの傍に倒れた女。

 ネルヴィ。レイワードの姉。

 嗚呼、よく見ればアダマリアは、片腕でひとりの少年を抱えている……だが、返答を急かすようにぶんぶんと揺らされた少年から、肯定の声は返って来なかった。


「うっ……ちょ、ちょっと待ってくれ……目が、回って……」


 少年、レイワードには、口元を押さえ眩暈と吐き気に耐える以外に何も出来なかったからだ。

 それもそのはず。

 アダマリアのここまでの疾走……それは多少の手加減があったとはいえ、ふつう亡者が耐えられるような代物ではない。強烈な加重により内臓は大きな負担を受け、雑な抱え方も相まって三半規管はノックアウト、強風と超速の恐怖は正気を奪って余りある。寧ろ「目を回す」程度で済んだことは、レイワードにとって望外の奇跡であろう。それはアダマリアも分かっているはずだ。


 だから、端から問いに意味など無かった。

 何故ならば……美女の姿を取った怪物は、この場に乱入した瞬間から、血と暴力とに耽溺することを心に決めていたのだから。


「はっ、仕様のない奴よ。私は貴様の、一秒でも早く姉のもとに馳せ参じたいという切実な望みを、完璧に叶えてやったというになぁ。そら、早う答えぬか――」


 呆れたような台詞とは裏腹に、堪えきれぬ嗜虐の愉悦に美貌を歪めて。

 レイワードが目覚めさせた厄災の怪物は――アダマリアは真っ直ぐにその男を指さし、殺戮の予兆めいて不吉に嗤う。


「――アレが、私に殺して欲しいという仇敵か?」


 視線が交わる。

 否、それは間違いなく衝突、激突の類であった。

 嗤うアダマリアの黄金の罪の眼。

 睨むコー・ダウの重瞳の魔の眼。

 それぞれの視線が殺意に満ちてぶつかる様は、不可視の矛先が火花を散らすのにも似て。

 そうして音なく、言葉もなく。

 ただ、互いの恐るべき視線のみが、壮絶なる死闘の開幕を告げた。

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