第15話 妹の行方

 私は赤ちゃんのいる部屋から自室に戻っていた。


 城砦の外は赤く燃えている。

 無骨な岩が並ぶ荒野は、夕日を美しく見せてくれる。

 朝日も、夜空も、ここから見える空が好きだった。


 そろそろ夜が来る。

 今朝、赤ちゃんを連れてきてくれた二人から夜には話を聞くとアイゼルは言っていた。


 あの赤ちゃんが皇帝陛下の子だと言うのは間違いないけど、妹の子だと言うのはどうなのだろう?

 そして、何故ここに連れて来る必要があったのか?


 今も赤ちゃんは侍女たちがしっかり見ているが、ずっと寝ている。

 ミルクを飲ませてオムツを変える時だけ起きて、すぐ眠る。

 メルダも「とても疲れていたんですね」と言っていた。

 よっぽど大変な旅をして来たんだろう。


 ここは北の辺境の更に辺境にある城砦だ。

 領地の首都である辺境伯の館までは、帝都からも道が整備されていて数日で来れるだろう。

 けれどこの城砦までは、舗装された道はなく、赤ちゃんを連れては大変な旅程だったはずだ。


 乗って来た馬も夜通し走って、馬小屋で寝ている。

 二人が着ていた服も、雨と泥にまみれていた。

 汚れていた服は着替えさせて湯浴みをさせたが、着替えなど赤ちゃんの物以外の自分達の荷物は何も持っていなかったらしい。


 聞くほどに切羽詰まった様子が伺えた。


 そして、ギリアムが私を呼びに来た。


 アイゼルの執務室で、アイゼルと二人が待っている。


「ふふ」

 ギリアムが笑っている。

 珍しい。

「どうかしたの?」

 私は気になって聞いて見た。


「クレア様が嬉しそうなので、つい」

 そうだ、先日ギリアムに連れられてアイゼルから離婚の提案をされて、今朝まで絶望していたのだった。


 それが、夫婦として赤ちゃんを育てるなんて、物凄い変わりようだと思う。

 問題はまだまだ山積みなんだけど。


 そんなに嬉しそうに見えるのかしら?

「私もうれしいです」

 ギリアムはそう微笑んだ。


 アイゼルとの不仲から、側近のギリアムともあまり親しく出来ていなかったけど、そんな風に気に留めていてくれたのね。

 私はギリアムに微笑み返した。


 ギリアムが少し照れたようだった。


 ギリアムが開けたドアから執務室に入る。

 ギリアムはまた外で待っている。


 大きなソファが向かい合わせで置かれ、アイゼルが正面に座っていた。

 アイゼルの前に座っていた二人が立ち上がって私を見た。


 私とよく似た茶色の髪の少女で、可愛い顔をした美人だった。

 歳は18、9ぐらいかしら?

 妹のアリシアと同じくらいだ。


 彼女が赤ちゃんを連れて来た女性だろう。

想像していたよりも若い。

 妹と同じくらいの歳だろうか?


 もう一人の男性が従者だろうか?

 顔を見ると驚くほどの美青年だった。


 アイゼルと同じくらい整った顔をしているが、こちらは黒髪で温和な性格が表れていた。

 やはりとても若く、女性と同じ歳くらいだろう。


 二人とも、貸し出されて清潔な服に着替えてはいたけれ、まだ旅の疲労が残っているように見えた。


「初めまして、奥様。マーシャル・ジェイズです」

「ルーク・マクドナルです」

 女性と男性が続けて自己紹介する。

「クレア・ハリエットです。クレアと呼んで下さい」

 私も自己紹介をしてアイゼルの隣のソファに座った。


 それが夫婦として自然な形だと思ったけど、アイゼルの横に座るのはドキドキした。


「ここなら誰にも聞かれる心配はない。話してくれ」

 アイゼルが口を開いた。


 そしてマーシャルが話はじめる。

「私は帝都の皇城で働いていたんです。そこで奥様、クレア様の妹のアリシア様と知り合ったんです」

 やっぱり妹の名前が出て来る。


「アリシア様は帝都の大学に通っていたのですが、城に知り合いがいるらしく頻繁に城でお会いしました。その知り合いが皇帝陛下でした」

 そして妹と皇帝陛下が知り合いだったと言う。


 皇帝陛下は私より4つ年上の28歳だ。

 妹は私の6歳下だから、少し歳が離れ過ぎている気がした。


 でも、皇帝陛下はそれは素敵な美青年で、帝都の女性の憧れだと噂で聞いている。

 どこまで信じていいのか分からない噂だけれど、妹に絵本を読んであげると、王子様が素敵とうっとりしていたっけ。


「それから、アリシア様が妊娠されて、命を狙われるようになったのです」

「命を!」

 私は驚いて口を挟んだ。


「皇帝陛下には元々敵が多い、その子を妊娠したなら、命を狙われても不思議じゃない」

 アイゼルが言う。


 そうなのかも知れないけど、妊娠して命を狙われるなんて、妹は、アリシアはどれだけ心細かっただろう。

 妹のことを思うと身震いした。


「クレア様、私は皇帝陛下の命令でアリシアの出産まで付き添いました。不安はあったと思うけれど、アリシアはとても幸せそうに赤ちゃんが生まれるのを楽しみにしていましたよ」

 マーシャルの話から、アリシアの敬称が消えていた。

 とても仲の良い友達だったんだろう。


「でも、出産の時にアリシアは……」

 マーシャルが言葉に詰まった。

「アリシアに何かあったの……っ?」

 私を不安が襲った。


「……消えてしまったんです。赤ちゃんを産んだ直後に!」


「嘘っ!」

 どうしてアリシアが?


「分かりませんが、出産前から赤ちゃんを守る為に辺境のアイゼル様の元へ赤ちゃんを連れて行くように皇帝陛下と計画していたのです。アリシアは自分が姿を消すことで、赤ちゃんも一緒に消えたと見せかけて、本当の赤ちゃんを安全に届けられるようにしたのかも知れません」


 アリシアがそんな事を?


 いつも私の後をついて来る、甘えん坊の妹は立派にお母さんになったのね。


 心配ではあるけれど、アリシアが自分の意思で消えたのならきっと生きているはず。


「アリシアが消えたことで、アリシアは死んだ事になり、赤ちゃんも産まれなかった事になった。この隙に私とルークはかねてから計画していたこちらまで赤ちゃんを連れて来たのです」


 話を聞いて、手紙の来ない間に妹にそんな事が起きていたのかと思う。


 でも、今の話は妹の事でもおかしくはないが、本当に妹の事だと言う確証はなかった。


「それが妻の妹だと言う証拠はあるのか?」

 アイゼルが聞いていた。


「信じていただけるか分かりませんが、アリシア……様からはコレを預かっていました」

 マーシャルは首の後ろに手をやりペンダントを外す。


「アリシア様は、クレア様とアイゼル様の幸せを願っていました」

 ペンダントが二つ差し出された。

 可愛らしい若い恋人達がするようなペアのペンダントだった。


 妹から最後に届いた手紙を思い出す。


 帝都でお祭りがあった事と、そこで素敵な人に会った事、流行しているペアのペンダントをその人と買った事が書いてあった。


 東方の赤や青の鮮やかな魔石で出来ており、持った二人は永遠に一緒にいられると、素敵な言い伝えを聞いたから、今度、私とアイゼルに送ると書いてあった。

 付けなくても良いから御守りとして持っていて欲しいと。


 私はアイゼルと永遠に一緒にいられるといいなと、期待して待っていたけど、一向に届かない手紙にアイゼルとの仲を暗示されてるようで、忘れるようにしたのだった。


 これは、妹か私しか知らない事ではない?

 少なくとも、妹を知らなくては付けない嘘だ……。


「妹が手紙で送ると言っていた物です。証拠にはならないけど、赤ちゃんの母は妹で間違いないと思います」

 私はアイゼルに向かってそう言う。


「……分かった。クレア、君を信じるよ」

 アイゼルがそう言ってくれた。


 私を信じるって——。


「皇帝陛下の子だと言う事はお疑いになりませんか?」

 ずっと黙っていたルークが口を開く。


「赤ん坊の持っていたペンダントは皇族しか触れない。それをあれだけ握りしめていたら疑いは無いよ」

 アイゼルが言うとマーシャルが飛び上がる。


「そうだ! ペンダント! 赤ちゃん以外があれに触れると火傷してしまうんです! スッカリ忘れてた! 怪我をした人はいませんでしたか!?」

 慌てるマーシャルは優しい子だと思う。


「赤ん坊がペンダントを離さなかったから誰も怪我していないよ。私が回収して、しまってあるから大丈夫だ、心配ない」

 アイゼルは、他人にはこんなに優しい話し方をするのかと面白かった。


「赤ん坊の事は分かった。私達が育てるからから、安心して任せて欲しい」

 アイゼルが二人に言う。


 ドキッ!

 胸が高鳴る。


 さっき決めた嘘の夫婦関係の継続だけど、人前で宣言されると、本当の事のように思ってしまう。


「それで今後の君たちの処遇を決めたいが、帝都では何をしていたんだ?」

 早速、アイゼルが現実的な話を始めた。


「私はオートマタの技師です。ご存知のように、帝国ではすでにオートマタは殆ど廃止されていますが、皇帝の弟君の所では使われているので、そこで働いていました」


「皇弟の!」

 マーシャルが言うとアイゼルが驚いた。


「僕も皇弟陛下の宮殿で警備をしていました。マーシャルとは幼馴染で、それで皇帝陛下から今回の事を任されたのだと思います」

 ルークも答える。


 皇帝陛下に弟がいるのは知っていたけれど、あまり目立つ人ではなく、私はよく知らなかった。


「オル、お、弟君は、お元気か……?」

 アイゼルが珍しく動揺しているように見えた。

「ご、病気だと、聞いている」


「そうですね、あれは病気ですね」

 マーシャルが言う。

 なんだか含みがある。


「いつも違う女性を呼んで、大騒ぎ。病弱だとは言いますが、それとはまた違った病気ですよ」

 憤慨していた。


「僕も警備でよく女性の対応をします。殿下のことは遠くからしかお見かけしませんが、とても痩せていてご病気は重いのかもしれません」

 ルークも答える。


 アイゼルは何か深く考えているようだった。


 皇弟という存在は、皇帝陛下の子の命を狙う可能性がありそうだと思った。

 権力争いを疑うのは考え過ぎ?

 ただ、重い病気であれば、違うのかもしれない。


「分かった」

 アイゼルは2人の話で全てに納得したようだった。


「それで、ここまではどうやって来たの? 自分達の荷物は持っていなかったと聞いたけど」

 私は気になっていた事を聞いた。


「荷物は近くの村に泊まらせてもらったままそこに置いて来ました。そこまでは赤ちゃんがいるのでゆっくり休みながら来たので、帝都から一カ月もかかってしまいました」

 マーシャルが言う。


「大変だったわね。この城まで使いを出してくれたら迎えをやれたのに」

 私は雨の中に二人で馬を走らせて赤ちゃんを連れて来るよりずっと楽だったろうと思った。


「僕が知らせに来る事も考えましたが、宿にマーシャルと赤ちゃんを二人だけで残すのも心配だったので、雨が止んだ後の夜に向かうつもりだたんです、けど、白い影が見えて……」

 ルークが言葉に詰まる。


「白い影だって……」

 アイゼルが青ざめていた。


「白い影なんておかしいですよね? 見間違いかもしてないけど、その時は、誰かが追ってきたのかと、直ぐにここを離れないといけないと思ったんです」


 白い影? 幽霊とかオバケとか?


 想像したらゾッとした。


 でも、そこま怖がる必要があるかしら?

 2人の追われているという警戒心が、少しの違和感を大きくしたのかもしれない。


 アイゼルの青ざめ方は気になった。


 ここは幽霊がでそうな古城だったけど、この城砦で幽霊が出るなんて聞いた事がなかった。


「白い影に心当たりがあるの?」

 私は何気なくアイゼルに聞いた。


「……昔、見た事がある。稀に領地内でも目撃情報もある。正体は分からないが、特に気にする事はない」


「安心していい。この子は妻と私が育てる」

アイゼルが気を取り直してそう言う。

「ありがとうございます」

 マーシャルが微笑んで答えた。


「荷物も取って来させよう。今日は休んでくれ。君たちの事はこの城砦で面倒見よう」


 詳しくは明日にと、アイゼルが二人に言う。


「アイゼル様、クレア様、お願いします。どうか、あの子をお二人の子として幸せにして下さい!」

 部屋を出る前にマーシャルはそう言って頭を下げた。


 アイゼルと私が同時に任せてと言っていた。


 二人が部屋を出て行くと、アイゼルと私の二人っきりになった。

 今日一日の慌ただしさに、お互い疲れが見えた。


 自然に2人きりになってしまった。


 そう言えば離婚するはずだったのよね。

それが、一緒に赤ちゃんを育てる事になるなんて!


 なんて凄い一日だったの。


 部屋に帰ろうとすると、アイゼルが私を見つめていた。

 私は急に恥ずかしくなった。

 けど、胸の高鳴りは抑えられない。


「もうこれで逃げられなくなった」

 アイゼルがひとりごちる。


 私の顔に影が落ち、アイゼルの顔が覆う。

唇と唇が重なって……。


 キスされていた。


「っ!?」


 本当に凄い一日だ。

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