第14話 初恋の結末

 一週間日程の滞在の間、私はアイゼルと一緒に遊んで退屈しなかった。

 朝は必ず字の勉強をして、読めなかった字も少し読めるようになっていた。


 アイゼルは私が字の勉強をしてる間に本を読んでいた。

 『帝国における精霊の魔力』は半分以上読み進められていた。


「アイゼル、お花の事は分かった?」

 私は字を書くのに飽きて、横で私と同じようにベンチに膝立ちで本を読んでいるアイゼルに聞いてみた。


「……まだ」

「なーんだ」

 そう言ってまた文字を書く。

 アイゼルもまた本を読む作業に戻った。


 しばらくしてアイゼルが呟いた。

「だって……、クレアちゃんが本を読ませてくれないから……っ!」


「なあに?」

 なんだか小さな声で聞こえなかった。


「クレアちゃんのせいで、お花の色の事が分からないんだよ!」

 今度は聞いたことのない大きな声で言う。


「違うよ! アイゼルが難しい本をまだちゃんと読めないからよ」

 私も大声で言うと、アイゼルはさらに大きな声で言った。


「よ、読めるよ!! 読めなきゃいけないんだもん!!」

「どうして?私と同じ歳なんだから、大人の本なんて読めなくてもいいでしょ?」

 アイゼルの必死な様子に、少し圧倒されて聞いた。


「だって僕がしっかりして、お兄ちゃんを支えなきゃいけないし、弟だって……、助けなきゃ……」

 アイゼルが何処か遠くを見つめて青ざめる。


「あのままにしてたら死んじゃう……!」


 死という言葉に怖くなった。


 まだ、お母様が私のお母様になる前。

 私には本当のお母さんがいた。


 3歳の頃に亡くなって、あんまり覚えていないけど、いつも抱きしめてくれた。

 病気でベッドから起き上がれなくても、私が行くと微笑んで抱きしめてくれた。

 私はそれが永遠に続いていくんだと思っていた。


 お母さんが亡くなった時は、何だか分からなかったけど、泣いて泣いて泣いた。

 それからはお母さんの部屋に行っても誰も抱きしめてくれる人はいなかった。


 お母さんのお友達のお母様が新しいお母さんだと言われても、よく分からなかった。

 でも、新しいお母様は優しく抱きしめてくれて、肌の温もりがお母さんと同じだった。


 求めていた温もりを別の人から受け取って、私はお母さんが死んだ事を理解した。


 私は立ち上がる。

 ベンチの上に本を開いて膝立ちになっていたアイゼルが下から私を見上げる。


「私、一人で遊ぶ。アイゼルは本を読んで、お勉強して」

 言うと、いつものアイゼルとの遊び場に走った。


「あっ」

 アイゼルは立ち上がったけれど、座り直して本を読んだ。


 いつもの遊び場は変わらず楽しそうな場所だった。

 木が枝を垂らして、登ってきてと誘うようだった。

 でも、一人で登るのは楽しくない。


 プラプラと遊ぶでもなく彷徨っていても、子供の目線では新しい発見がある。

 青虫がサナギになろうとしているのを見つけた。

 アイゼルがいたら、ジッと観察しちゃうな。


 ワクワクしたけど、アイゼルは本を読まなきゃいけないからとガッカリした。


 そんな寂しい時間はまだ少ししか過ぎていなかった。


 けれど、アイゼルが来てくれた。

「やっぱり、僕には大人の本はまだ早かったみたい」

 バツが悪そうにそう言った。


 ザーッ。

 急に雨が降り出した。

 木のトンネルの茂みに二人で慌てて入った。

 ここなら雨に濡れない。


「あーあ、アイゼルが喜ぶものあったのに」

 ガッカリして私が言う。


 雨は上がりそうになかった。


 沈黙の後でアイゼルが言った。

「僕、勉強しなきゃって本を読めても、本当はちゃんと内容が分かってなかったんだ」


「ごめん、クレアちゃん。八つ当たりしちゃった」

 素直にアイゼルが話してくれる。


 ぱちんっ!


 アイゼルの頬が両側から叩かれる。


「いっ、痛いっ! 何するの?クレアちゃん!?」

 アイゼルが情けない顔で抗議していた。


「ダメだよ! アイゼル! 死んじゃうんでしょ! 頑張るの!!」

 私は真剣に、怒りながら言う。


「お母さんみたいに、死んじゃったら会えないよっ!」

 アイゼルが私みたいに悲しい思いをしたら嫌だと思った。


「クレアちゃんのお母さん死んじゃったの?」

「……うん」

 答える。


「本当のお母さんじゃないけど、お母様はいるよ! とっても優しいの!」

 へぇとアイゼル。


「ここにくる前にちょとだけ怒られちゃったけど……とっても優しいよ!」

 そう言って笑って見せた。


「僕も本当のお母さんじゃないけど……みんな、優しいよ」

 アイゼルは悲しい顔をした。


「僕だけ優しくされて、僕だけ大切にされて、僕だけ期待されてる。……弟は、病気で……死んじゃいそうなのにっ! 死んでるかもしれないのに……っ」

 アイゼルは話しながら泣いていた。


「じゃあ、本を読もう!いっぱい読めば分かるようになるよ」

 私は地面に落ちている枝を手に取り、地面に文字を書いた。


「アイゼルが教えてくれたから、私、書けるようになったよ」

 地面の文字を見てアイゼルが驚いた、そして微笑んだ。

「ありがとう、クレアちゃん」


 アイゼルも文字を書く。

「……」

 読めなかった。

「いっぱい勉強しようね!」

 アイゼルはすっかり元気になっていた。


 雨が上がって、茂みから出る。

 地面に水溜りができて、木の葉から雫が垂れていた。


「こっちだよ」

「え、クレアちゃん!?そっちに行くと、服が汚れるよ!」

 私は構わずアイゼルの手を引いた。

「見て!」

 さっき見つけたサナギの場所に案内した。


 アイゼルは目を丸くして驚いてた。

 気にいると思った!

 私はその様子に満足だった。


「すごい! 僕、見るの2回目だよ!」

 アイゼルは、興奮して叫んだけれど、私はちょとガッカリだった。

「私は、見るの初めて……」


「これ! 前に見たのと同じだ! すごく綺麗な黄色い蝶なんだよ!!」

 アイゼルが興奮して言う。


「あれ、……前に見たのは城の庭だった。辺境には居ないのに、北にはいるんだ……」


 ブツブツと何か言うと相変わらず持ち歩いていた本を開く。

 私は黙って見ていた。


「分かった!」

 とアイゼルが叫んだ。

「花の色が違うのは精霊の魔力が違うからなんだ!」

「分かったの!?」

 私も叫ぶ。


「花は地面とお日さまが栄養だから、場所によって地面とか空気の中の精霊が違うから、色も変わるんだよ」


「すごい!」

 アイゼルの説明はよく分からなかったけど、アイゼルがすごいのは分かった。

 何となく私が言った事を答えてくれちゃうんだもの!


「クレアちゃんのおかげだよ。サナギのいた木が前見た時と同じだったから。食べるものが同じだと思ったんだ。同じものなら食べるものも同じだから、違うものなら食べるものも違うかもって思ったら、本に書いてあった事が繋がって……」


「本に書いてある事、分かるようになったんだね!」

 さっきは分からないって言ってたのに!


「本だけ読んでたら分からなかったと思う。クレアちゃんがいろいろ見せてくれたから分かったんだ」

 アイゼルに自信が満ちていた。


「良かった! これで死なないね!」

「……うん」

 アイゼルが明るい笑顔を向ける。


「字を教えてくれて、ありがとう」


 それから、私たちはいつも通りに思いっきり遊んだ。

 そして夕方の鐘がなる。


「また明日……」

 言おうとして、アイゼルに遮られる。


「僕、もう帰らなきゃ行けないんだ」

 ここにはみんな休暇で来ているんだった。


 食事の時に見かけないけど、アイゼルもそうなのだろう。


「やだ……」

 私は俯いた。

「ヤダ!ヤダ!ヤダ!」

 言っても仕方ないけど、言わずにはいられなかった。


「僕もイヤだけど、ダメなんだ。弟を助けなきゃいけないし」

 アイゼルが言う。


 私はハッとした。

「アイゼルなら、出来るよ……」

 悲しいけど、アイゼルにはやらなきゃいけない事があるんだ。


「頑張れ!」

 そう言いながら、私の目からは涙がこぼれていた。


「あのね。僕、絶対にクレアちゃんとまた会いたい! 会いに行くよ!!」

 アイゼルが私の手を握る。


「そして、結婚しようね」

 アイゼルが私のほっぺたにキスする。


 照れたように笑うアイゼルの顔が目の前にあった。


「うん」

 私も笑顔で答える。


 それから私も次の日には帰る事になっていたらしい。

 朝食の為に子供の部屋に行くと、子供の数が半分くらいに減っていた。

 あの茶色い髪の男の子もいない。


 アイゼルの座っていたベンチにはもう誰もいなかった。


 私はそれから、父と来た道を帰った。

 花の色が違う事を発見して、精霊の魔力が違うからだと分かったと伝えると、父は驚いていた。


 来る時はあれだけ騒いで乗った馬車も、帰りは静かだった。

 私は少し大人になっていた。


 家に戻ると、優しく迎えてくれると思ったお母様は冷たくて、もう私に笑いかけてくれる事はなかった。


 私は一人アイゼルと過ごした日々をいつも思い出していた。

 大好きだよ、アイゼル。

 いつか会いに来てくれるよね。


 それから色々な事があったけれど、どんな時もこの想いは変わらず、大好きだった。

 お母様に意地悪されても耐えられたのはアイゼルとの約束があったから。


 成長すると活発だった私はすっかり大人しくなっていた。

 アイゼルへの想いはずっと変わらないけれど、約束が果たされることはないと分かっていた。


 だって、私は名前しか伝えいないし、アイゼルの事も知らなかった。

 もう、忘れてしまった事も多かったけれど、大好きな気持ちだけは強くなって行った。


 ——14歳の時に私は婚約して、この初恋は終わったんだと思た。


 会った事もない婚約者の名前を聞いた時は息が止まるかと思った。


 アイゼル・ハリエット


 アイゼルだった。

 北の辺境伯の次男だと言う。

 そう言えば辺境の話をアイゼルから聞いたかもしれない。


 アイゼルは私を忘れずに探し出してくれた!

嬉しかった。


 その後の年月は辛い事なんて感じない、楽しい日々だった。

 ただ、アイゼルに会えないのだけがもどかしかった。


 なのに、やっと結婚式であったアイゼルは冷たかった。


 あの庭園で、私がいくと本を閉じて光輝くような笑顔を向けてくれた男の子に会えると思っていたのに——。


 いえ、最初に会った時のアイゼルは、直接は話せなかったけれど、私に優しく微笑みかけてくれた。

 あの男の子だと思った。

 想像していたよりも素敵になっていた。


 けれど、対外的な挨拶が終わった後、やっと話せたアイゼルは冷たかった。


「君は、ここに来ては行けなかった」

 苦々しく言う。

 アイゼルはこの結婚に反対だったの?


「でも、仕方ない。クレア様、ようこそ私の辺境の城砦へ」

 アイゼルの声には恐ろしい響きがあった。


 私の事覚えてる?

 私は聞く事も出来なかった。

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