第27話 「怖い」(side ジェイク)
なんとか指示を出し終わり、奥さまたちが食堂に来る前に朝食の準備を済ませた。
身支度を終えた奥様、お嬢様、お坊ちゃまが食堂にやってくる。
お嬢様は私と視線が合うと、少しの間の後、「おはよう」といつものように挨拶をした。
「――おはようございます」
私もいつも通りに答える。その横で立ち止まった奥様が、
「――おはよう、ジェイク」
そう言ってから食卓を見回して、困ったように微笑んだ。
「――ジェイク、夫は今朝はいないわよ」
よく見れば、テーブルには旦那様の分の食器がしっかりと置かれている。
置かれているというか、置いたのは自分なのだが。
「申し訳ございません。片付けます」
「――大丈夫? 昨夜、夜が明けるまで銀食器を磨いていたと聞いたわよ」
奥様は手元の、鏡のように磨かれたフォークを持ち上げると、しげしげと眺めて聞いた。
「少し、考え事をしておりまして」
「――そう、無理しないでね」
「ジェイク! ご飯食べ終わったら、クワトロに乗せてくれる?」
お嬢様の弟のディランお坊ちゃまが、期待に胸を膨らませているような顔で私に言った。
ディラン様は竜に興味津々のようで、たびたびこのように私に声をかける。
前世で初めて竜を見た時の自分のようだと微笑ましく思い、私は「もちろんです」と答えようとしたが、そこにお嬢様が口をはさんだ。
「ディラン、ジェイクは今日は私と出かけるから、また今度ね」
「お嬢様――」
今日は教会に行く予定は立てていなかったはずだ。
「南の地方の教会へ行こうと思うの、連れて行ってくれる?」
「――はい、それは、もちろん」
「お姉様ばっかりジェイクをひとり占めしてずるいよ!」
抗議の声を上げたディラン様に、ジュースを差し出すと、彼はやけ酒のように一気にそれを飲み干した。
「帰ってきたら、乗せてさしあげますよ、お坊ちゃま」
***
「急に行くなんて言って、ごめんなさいね。……家でじっとしているのが、少ししんどくて」
そう申し訳なさそうに言うお嬢様に私は「いえいえ」と首を振った。
何かしていた方が気がまぎれるのはよくわかる。
オーウェンとアリエッタの断罪があったばかりだ。お嬢様の心中も複雑なのだろう。
――だから、昨日はあのような話もされたのかもしれない。
「それでは、行きましょうか」
そう言った私をお嬢様はまじまじと見た。
「ジェイク、その格好のまま行くの……?」
あわてて自分の服を見ると、いつもの屋敷内で着ている服のままだった。
お嬢様は修道女のような服を着てフードを被っている。
身分は伏せて奉仕活動を行っているのだから、自分も家紋の入ったバッジをつけた執務用の服のまま行くわけにいかない。
「すいません! すぐに着替えてきます!」
慌てて部屋に戻ると、市井の住人のような質素な服に着替え、フードのついた外套を着た。
クワトロに跨り、屋敷の庭園から空に飛びあがる。
しばらく飛んでいると、後ろでお嬢様が呟いた。
「――ごめんなさい、あなたを相当困らせているわね、私」
「そんなことはありません!」
私は振り返ると首を大きく振った。
「あのね、急にあんな話をしたのは――マーティン様に言われたの。伝えられる気持ちは、伝えられるときにしっかり言うべきだって」
「……マーティン様が」
先日マーティン様がお嬢様をお訪ねになったのは覚えている。
そのような話をしていたのか。
「マーティン様は、私とマーティン様の婚約のお話が出てるって言っていたわ。――断るそうだけれど」
その話は初めて聞いた。
驚く一方、確かに――とも思う。
確かに、お互い婚約者を失って、なおかつ聖女の力に目覚め、命を救ったお嬢様との結婚の話は劇的で、支持を集めるだろう。
「――……そんな、お話が」
マーティン様は、オーウェンとは違う。お嬢様のことを大切にしてくださるだろう――。
私は首を傾げた。
――本当に?
オーウェンのことだって、今回のような事態になるまで自分は何も勘づけていなかったではないか。マーティン様はこのままいけば国王になり、貴族のごたごたの矢面に立つことになるだろう。お嬢様が王妃になれば、それにまた巻き込まれることになる。それは幸せなのだろうか。――そして、癒しの魔法を使えることを利用されることもあるかもしれない。
(何が、『お嬢様がお幸せになる姿を見届けること』だ)
自分が言ったことを思い出して頭を抱える。
見届けるもなにも、今回、彼女があんな事態に巻き込まれることを事前に予測もできず、牢獄に捕らわれるような不自由な思いをさせてしまった。
(私が、私自身がお嬢様をお幸せにできれば、それが一番――しかし)
もちろん、お嬢様は何より大切な存在だ。けれど、宝石箱の中で輝く輝石のような存在で、自分が直接触れるなどとは考えたこともなかった。
前世で全てを失った記憶を思い出してからというもの、今の「ジェイク」の人生は、悟った僧のような気持ちで生きてきた。お嬢様や旦那様ご一家、自分のことを大切に想ってくれる両親や同僚に囲まれた穏やかな生活は夢のようで、日々心穏やかに過ごし、前世のように劇的な感情に振り回されることなく暮らしていた。
(――――私は、今の日常が崩れるのが、怖い)
今世では何も失わず、凪のような日々を過ごしたいと思っていた。
夢のように、穏やかな日々を。
けれど、お嬢様が私に向けた言葉は、私を、生きている現実に引っ張り出した。
(向けてくださった言葉に、正面から向き合わねば)
向けられた好意は、とても嬉しい。
――が、情けないことに、自分にはそれに応える、自信も覚悟もなかった。
宝石を手に入れて、それを失うのが途方もなく怖かった。
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