【2】前世をたどる旅と、これからのこと
第22話 「余暇と睡眠も忘れずに」
「歩ける!」
王都の救貧院で、足に包帯を巻いた少年がその場で嬉しそうにジャンプした。
かざしていた手をどけ、膿で浅黒くなった包帯を解くと、傷一つない足が現れる。
転んでついた傷が化膿し、先ほどまでは皮膚が腐って真っ黒になっていた。
母親は地面に頭を打ち付けるように何度も叫んだ。
「ありがとうございます。――ありがとうございます!」
「顔をあげてください、いいんですよ」
私は顔を隠したフードの中からそう声をかけると立ち上がった。
頭がずきんと傷んだ。今日はここまでね。
やっぱり、一度の訪問で治せるのは2~3人だ。
「あの、お名前だけでも――」
「名乗る様な名は、ありませんから」
そう言って立ち去る。
「今日もありがとうございました、聖女様」
救貧院を運営する司祭様が深々と頭を下げた。
私は国王様が大陸から呼んだ慈善事業を行う『聖女』という設定になっている。
「『聖女様』ですか……」
司祭様の横でジェイクが何か言いたげに呟いた。
***
私に覚醒した癒しの力とジェイクの存在は、あの場にいた貴族の間で周知のものとなった。けれど国王様には、私が無実の罪で裁かれそうになったことへの謝罪と引き換えに、ひとまずは私たちの存在は他国へは秘密のものとしていただくことになった。
表面上は元通りの平和な暮らしが戻ってきた――かといえば、決してそういうわけではない。お父さまには、私に聖魔法の力を使ってほしい、謝礼はいくらでもする、という話が秘密裏にたくさん舞い込んできた。
私はせっかく人を癒す力を手に入れたのだから、謝礼などもらわずに使いたいと言ったけれど、そのことを言ったら、ジェイクに強い剣幕で止められてしまった。
「――お嬢様が力を使う必要などありません。自分たちで金を積んで、大陸からでもどこからでも優秀な聖魔法の使い手を呼べばよいのです。そのような話を一度受けてしまえば、彼らは際限なく求め、やがて感謝を忘れます」
「そんなふうに言わなくたって――」
ジェイクはぶんぶんと首を振った。
「一度善意で力を使えば、彼らはお嬢様を聖女と担ぎ上げ、余暇の時間も寝る間も惜しんで人のために尽くせと、そう求めてくるでしょう。『特別な力を持つなら、全ての望みを聞いて叶えろ』と。『それが力を持つ者の責任だ』と」
拳を握りしめて、噛みしめるように言う彼の姿に私は何も言葉を出せなかった。
『マリーネ』、前世の私の話をしているのよね、これは。
「ジェイクの言うことは一理あるよ、エリス」
横で話を聞いていたお父さまが私たちの仲裁をしてくれた。
「あのオーウェン様が実の兄上であるマーティン様を暗殺しようとしたように、貴族社会は黒い思惑であふれている。善意であっても、安易に誰かに力を貸せば、誰かに加担したとみなされ、お前がまた不本意な悪意に巻き込まれることになるかもしれない」
「それは」
私は言い淀んだ。
私自身、今回その『黒い思惑』に巻き込まれて、危うく冤罪で死罪になるところだったのだ。
「そうですね……」
お父さまは私の肩に手を乗せると微笑んだ。
「しかし、お前の『人のために力を活かしたい』という想いは、素晴らしいものだと思う。人に利用されず、自分の意思でその力を活かす道を見つけてくれたら私は嬉しいよ」
それからジェイクを見て、言った。
「エリスのことを支えてやってくれると嬉しい」
ジェイクは「旦那様」と何か言いたげに呟いて、しばらく考えたのち「もちろんです」と頷いた。
***
――そして、私は自分の力をどう生かすか考えた結果、定期的に国内の救貧院などをめぐり、治療をするお金がない人たちに治癒の魔法を使っている。
「帰りましょう」
そうジェイクに声をかけ、外に出ようとしたその時、私はぐらりとよろめいた。
「お嬢様! 大丈夫ですか?」
ジェイクが慌てて身体を支えてくれた。
見ると顔が青ざめている。心配性なんだから。
「大丈夫よ。ありがとう。すこしふらっと」
自分の手を見つめた。
「――魔法を使うのって、疲れるのね」
「それは、もちろんそうですよ。魔法による奇跡を起こすには、魔力を消耗します。魔力というのは気力のようなもの。使いすぎれば、身体に悪いのです」
ため息。
「何度も言っているので、お分かりかとは思いますが――お嬢様の行動は素晴らしいと思いますが、私はこのようなことを続けるのは反対です」
「あなたの気持ちはとても嬉しいけれど。『人から求められるのではなく、自分の意思でやるなら』いいのでしょう?」
私はフードを取ると、ジェイクを見た。
「確かに、私はそう言いましたが」
「『余暇と睡眠も忘れずに』でしょう? 大丈夫、帰ったら今日は、お茶にして、それからピアノを弾くわよ。それから食事をして、お風呂にゆっくり入って、鐘が鳴る前に練るわ。健康的でしょう?」
ジェイクは少し面食らった顔をしてから、また追加のため息をひとつ吐いて、微笑んだ。
「お嬢様には敵いませんね」
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