第7話 怒りを堪えて行動しなければ(side ジェイク)

 前世の記憶を思い出して、私は辛かった。


 今世の「ジェイク」としての生活はとても幸せだった。

 ルーカスが得ることのできなかった愛情深い両親に、立派な主人。飢えや寝る場所に困ることのない、自分たちが築いた平和な世界での幸せな生活。


 でもそこに、彼女はいなかった。

 彼女のことを思い出した途端、虚無感に襲われた。

 こんな気持ちになるなら、ルーカスとしての人生など思い出さなければ良かったと思った。

 

 前世の記憶を思い出すと同時に、当時の剣を使った戦い方の記憶や、竜を呼び出す方法も同時に思い出した。しかし将来執事として父親の後を継ぐことになるであろう「ジェイク」としての人生にそれは必要なかった。


 しかし、自分がこうやって前世の記憶を持って生まれたということは、もしかすると彼女もこの時代にいるのではないだろうか?


 しばらく苦悩したのち、私はその考えに至った。


 いつか、彼女と会った時に――今度は本当に彼女を幸せにできる自分でありたい。

それからはそれを心の支えに、ルーカスとして生きていた頃に足りなかった学問や作法を身につけることに励んだ。


 そして――再会は思いの外早く訪れた。


 若旦那様が奥様を迎え、私が8つの年にお嬢様が生まれた。

お嬢様を一目見て、私は気がついた。それが【彼女】だと。


 髪の色は旦那様や奥様にそっくりな栗色をしていて、顔立ちは記憶の中の彼女とは異なっていたけれど、アーモンドのような丸い綺麗な茶色の瞳は、彼女と同じだった。


 子ども部屋の隅で、小さなベッドで眠る彼女に私は恐る恐る呼び掛けた。


「マリーネ、様」


 その瞬間、彼女は私に視線を向け、手を伸ばした。


(――やはり)


 私はその手を取ろうと、自分の手を動かしかけて――止めた。


 ――過去を思い出すことが、本当に幸せなのだろうか。


 彼女に過去の記憶を思い出して欲しいと思うのは、自分のエゴなのではないだろうか、と。

 そう思った。


 彼女には、侯爵家令嬢としての幸せな人生が約束されている。

 旦那様は皆に愛される素晴らしい領主で、領地は平和だ。

 彼女――いや、この子には、当時の彼女には叶えられなかった普通の人生が待っている。


 私は、手を引っ込めると、


「エリス様」


 と今の彼女の名前を呼び直した。

 小さな赤子は「あー」と応えて、にっこりと可愛らしく笑った。


 その瞬間に私は決めた。

 これからは、「ジェイク」として――この家の使用人としてお嬢様の人生を支えていこうと。 


 エリス様――お嬢様は、すくすくと――前世は本当にマリーネ様なのかと疑いたくなるように――元気に育った。


 お嬢様に令嬢として、幸せに生きて頂きたく、礼儀作法や学問については使用人の域を出て口を挟んでしまったことは、申し訳なかったと思う。お嬢様はしっかりやればできる方ではあるのに、どうにもなかなかやる気が出ない性分であるようで、旦那様が頼んだ家庭教師の授業をさぼって屋敷を抜け出してしまわれたりなどがよくある方だった。


 婚約者である第二王子のオーウェン様とも仲が良く、このまま順風満帆に暮らしていって頂けるとばかり思っていた。


 ――けれど、今回の事件が起きてしまった。


 オーウェン様の兄で王太子でいらっしゃるマーティン様が、パーティーの席で殺されかけ、それはまだしも、お嬢様がその犯人として仕立て上げられてしまった。


 屋敷にずかずかと上がり込んで来た王宮の兵士は、お嬢様に手枷をつけ、引きずって行った。


 ――剣を奪って全員斬り殺してしまおうかと一瞬身体が動きかけたが、お嬢様の弟のディランお坊ちゃまが私の手を掴んだので、冷静になった。


 ここで流血沙汰を起こしてしまっては、ハウゼン家にも、両親にも迷惑をかけることになってしまう。


 お嬢様だけではなく、私の両親も、旦那様も、奥様も、お坊ちゃまも、この屋敷で働く使用人仲間も、全員私にとっては大切な家族だ。


 ――ここは怒りを堪えて行動しなければ。


 断腸の思いで、連れて行かれるお嬢様を見送った。


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