第30話:積極的アプローチという名の災害

私は実に困惑すべき攻勢に晒されていた。


ルナの魔法的才能が判明してから数日後、彼女の行動は一層エスカレートしていたのである。それは、まさに「積極的アプローチ」という名の自然災害であった。


事の始まりは、昼食時のことである。


「先輩!」という元気な声と共に、ルナが食堂に現れた。


手には見慣れない籠を持っている。


「お弁当を作ってきました!」と彼女は満面の笑みで宣言した。


「一緒に食べませんか?」


私は困惑した。「お弁当、ですか?」


「はい!手作りです!」とルナは誇らしげに籠を開けた。


中には色とりどりの料理が美しく詰められている。確かに手の込んだ弁当である。


「でも、私は食堂の食事で十分ですので...」


「ダメです!」とルナは遮った。


「異世界転生小説では、手作り弁当は重要なフラグなんです!これを断ったら、恋愛展開が進みません!」


私は愕然とした。また異世界転生小説の論理である。


「しかし、現実はそのような単純な構造では...」


「現実も小説も同じです!」とルナは断言した。


「愛に理屈は必要ありません!」


結局、断り切れずに弁当を分けてもらうことになった。確かに美味しいのだが、周囲の視線が痛い。特にアリアの複雑な表情が気になった。


その日の午後、図書館で勉強していると、再びルナが現れた。


「先輩!勉強会をしませんか?」


「勉強会、ですか?」


「はい!私、魔法理論がよくわからないんです!先輩に教えていただきたくて!」


アリアが眉をひそめた。「魔法理論なら、私が...」


「先輩にお願いしたいんです!」とルナは頑なに主張した。


「運命の人に教えてもらうのが一番です!」


私は頭を抱えた。また「運命の人」である。


しかし、断るのも心苦しく、結局引き受けることになった。勉強会は、私とルナとアリアの三人で行われることになったのだが、これが実に気まずい雰囲気であった。


「魔素密度の計算は、まず環境係数を...」と私が説明していると、ルナは熱心に聞いているのだが、時折奇妙な発言をする。


「先輩の説明、とてもわかりやすいです!さすがです!」


「先輩の声、素敵ですね!」


「先輩と一緒だと、勉強も楽しいです!」


私は説明を続けるのに苦労した。一方、アリアは無言で教科書を見つめている。


そして、決定的な事件が起こったのは、その三日後のことである。


私が廊下を歩いていると、ルナが駆け寄ってきた。


「先輩!」


「はい、何でしょうか?」


「大事なお話があります!」と彼女は真剣な表情で言った。


「田中先輩は私の運命の人です!」


廊下にいた数名の学生が振り返った。私は慌てた。


「あの、そのような大きな声で...」


「はっきり言わなければダメなんです!」とルナは続けた。


「異世界転生小説では、女性の積極性が重要なんです!」


「しかし、現実では...」


「私、先輩のことが大好きです!」とルナは宣言した。


「一目見た時から、運命を感じました!これは絶対に運命なんです!」


私は絶句した。廊下の学生たちがざわめき始める。


「運命、ですか」と私は呟いた。


突然、哲学的思考が頭をもたげてきた。運命論とは一体何なのか。それは決定論的世界観に基づくものなのか、それとも偶然性の否定なのか。


「つまり」と私は考え始めた。「運命論は因果律の極限的解釈であり...」


「先輩?」とルナが首をかしげた。


「あ、いえ、その...」と私は慌てて現実に戻った。


「運命というのは、哲学的には非常に複雑な概念でして...」


「難しいことはよくわかりませんが」とルナは微笑んだ。


「とにかく、私たちは運命で結ばれているんです!」


私は困惑した。ルナの確信は揺るぎない。しかし、私にとって「運命」とは、決定論と自由意志の問題、偶然と必然の関係、時間論と存在論の交差点における複雑な哲学的概念である。


「しかし、運命論を受け入れるということは、自由意志を否定することになるのではないでしょうか」と私は考察した。


「自由意志?」とルナは困惑した。


「愛に自由も不自由もありません!愛は愛です!」


私はますます混乱した。ルナの発言は、哲学的に検討すべき重要な問題を含んでいる。愛と自由意志の関係、感情の自発性と決定性、個人の選択と運命の関係...


「つまり」と私は分析を続けた。「愛が運命的であるとすれば、それは個人の選択を超越した力ということになり...」


その時、アリアが現れた。


「何をしているんですか?」と彼女は尋ねた。


廊下で大声で愛の告白をするルナと、哲学的思考に没頭する私という光景は、確かに異様であったろう。


「アリア先輩!」とルナは振り返った。


「今、先輩に愛の告白をしているんです!」


アリアの表情が凍りついた。


「愛の...告白?」


「はい!運命の愛です!」とルナは屈託なく答えた。


私は二人の間に立って、進退窮まった状態であった。ルナの積極的なアプローチ、アリアの困惑した表情、そして自分自身の哲学的混乱。


「あの、皆さん、廊下で立ち話はよくないのでは...」と私は提案した。


「そうですね」とアリアは冷静に言った。


「図書館で話しましょう」


図書館に移動したものの、状況は改善されなかった。ルナは相変わらず「運命の愛」について語り続け、アリアは無言で本を開いている。


私は哲学的思考で現実逃避を図ろうとしたが、効果がなかった。


運命論の歴史的変遷、決定論と非決定論の対立、ライプニッツの予定調和説、スピノザの必然性概念...様々な理論を思い浮かべてみたが、目の前の現実問題は一向に解決しない。


「先輩、何か考え事ですか?」とルナが尋ねた。


「ええ、運命論の哲学的含意について...」


「難しいことは考えなくていいんです!」とルナは笑った。


「愛は単純なものです!」


アリアが小さく溜息をついた。


その日の夜、部屋でマルクスに相談すると、彼は苦笑いした。


「君は本当に災難だな」


「どうすれば良いでしょうか?」


「簡単だ。はっきりと断ればいい」とマルクスは言った。


「しかし、彼女の気持ちを傷つけることになります」


「君の優柔不断さが問題を複雑にしているんだ」


確かにその通りかもしれない。しかし、私にとって人間関係は常に複雑な問題である。単純な解決策は存在しないのではないか。


翌日も、ルナの積極的アプローチは続いた。授業の合間に現れては「先輩ラブ」を連発し、「運命の愛」について語る。


私は哲学的思考に逃げ込もうとしたが、現実は容赦なく追いかけてくる。


つまるところ...思考は逃避の手段にはならないのである。



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