第29話:感情魔法という名の暴力
私は実に衝撃的な光景を目撃していた。
ルナが入学してから一週間が経った頃のことである。「魔法基礎実技」の授業で、新入生の実力測定が行われていた。通常、この測定は形式的なもので、大きな驚きはない。しかし、ルナの番になった時、教室の空気が一変したのである。
「それでは、基本的な火球魔法を試してみてください」と教授が指示した。
「はい!」とルナは元気よく返事をした。
「魔法は心から!愛から!」
彼女は魔法陣も描かず、詠唱もせず、ただ手を前に突き出しただけであった。すると、信じられないことに、拳大の火球が勢いよく飛び出したのである。
教授は驚愕した。「こ、これは...計算式は?魔法陣は?」
「そんなもの必要ありません!」とルナは屈託なく答えた。
「魔法は心から生まれるものです!愛があれば、どんな魔法でもできるんです!」
教室がざわめいた。私も驚いていたが、隣にいたアリアの表情は複雑であった。
「理論を無視して魔法を使うなんて...」とアリアは小声で呟いた。
授業後、アリアとルナの間で激しい議論が始まった。
「あなたのやり方は危険です」とアリアは指摘した。
「魔法には正確な計算が必要なんです。感情だけで魔法を使えば、暴発の恐れがあります」
「そんなことありません!」とルナは反論した。
「魔法は心から生まれるものです。計算なんて、魔法の本質を見失わせるだけです!」
私は両者の間に立って、困惑していた。
「つまり」と私は整理しようとした。「ルナさんは感情的アプローチを、アリアさんは理論的アプローチを支持されているということですね」
「そうです!」とルナは力強く頷いた。
「魔法は愛なんです!怒りも、悲しみも、喜びも、全部心から生まれる力なんです!」
「しかし」とアリアは冷静に反駁した。
「感情は不安定です。感情だけに頼った魔法は、制御が困難で、予期しない結果を招く可能性があります」
「制御?」とルナは首をかしげた。
「なぜ魔法を制御しなければならないんですか?魔法は自由であるべきです!」
「自由すぎる魔法は危険だからです」とアリアは説明した。
「正確な理論に基づいてこそ、安全で効果的な魔法が可能になるのです」
私は興味深く聞いていたが、同時に困惑もしていた。両者の主張にはそれぞれ一理あるが、根本的に相容れない。
「では」と私は問いかけた。「感情と理論の中間的な立場はないのでしょうか?」
「中間?」とルナは眉をひそめた。
「魔法に中途半端はダメです!全力で、心の底から魔法を信じなければ!」
「理論は中途半端ではありません」とアリアは反論した。
「正確な知識こそが、魔法の真の力を引き出すのです」
この議論は延々と続いた。ルナは体育会系の精神論を展開し、アリアは学術的な理論を主張する。両者とも一歩も引かない。
「魔法を使う時、私は『燃えろー!』って心の底から思うんです!」とルナは説明した。
「そしたら、火がボーッと出るんです!理屈なんて関係ありません!」
「それは偶然の産物です」とアリアは冷静に指摘した。
「正しい理論に基づかない魔法は、再現性がありません」
「再現性?」とルナは困惑した。
「愛に再現性なんて必要ないでしょう?その時その時の想いが大切なんです!」
私は頭が痛くなってきた。この議論は、哲学的に非常に興味深いが、実践的な解決策は見えてこない。
「つまり」と私は分析を始めた。「これは感情論と理性論の対立ということでしょうか」
「そうです!」とルナは同意した。
「理性なんて冷たいものは、魔法には向いていません!」
「感情は重要ですが、それだけでは不十分です」とアリアは主張した。
「理性と感情のバランスが必要なのです」
「バランス?」とルナは首を振った。
「魔法はバランスではありません!全力投球です!」
私は哲学的考察に没頭し始めた。この対立は、実に興味深い認識論的問題を提起している。
感情的直感と理性的分析、どちらが真理に近いのか。あるいは、両者は相補的な関係にあるのか。それとも、根本的に異なる認識のパラダイムなのか。
カントの「感性と悟性の統合」を思い出す。しかし、ルナとアリアの場合、統合は困難そうである。
「ところで」とルナが私に向かって言った。
「先輩はどちらだと思いますか?魔法は心からだと思いませんか?」
「え、ええ...」と私は答えに窮した。
「でも理論も重要だと...」
「ほら!」とアリアは言った。
「やはり理論的アプローチの方が合理的です」
「そんなことありません!」とルナは反駁した。
「先輩の心の奥底には、きっと熱い想いがあるはずです!」
私は板挟みになった。どちらの肩を持つわけにもいかない。
「つまり」と私は慎重に答えた。「魔法とは、感情と理論の弁証法的統合...」
その時、チャイムが鳴った。
「あ、次の授業の時間です」とアリアは立ち上がった。
「続きはまた今度にしましょう」
「はい!」とルナも同意した。
「でも私の考えは変わりません!魔法は愛です!」
二人が教室を出た後、私は一人残されて考え込んでいた。
ルナの魔法は確かに驚異的であった。理論を無視しているにも関わらず、実際に効果を発揮している。これは従来の魔法学の常識を覆す現象である。
一方、アリアの指摘も正しい。理論に基づかない魔法は危険で不安定である。学問的には、アリアのアプローチの方が正統的である。
しかし、結果を見る限り、ルナの方法も有効である。これは一体どう解釈すべきなのか。
もしかすると、魔法には複数のパラダイムが存在するのかもしれない。理論的パラダイムと感情的パラダイム。両者は相互に排他的でありながら、それぞれ独自の有効性を持つ。
「これは実に興味深い問題だ」と私は呟いた。
しかし、興味深いと同時に、実践的な困難も生じている。私はどちらのアプローチを取るべきなのか。理論を重視すべきか、感情を重視すべきか。
そして、より重要な問題として、アリアとルナの対立が、私の立場を困難にしている。どちらの味方をするわけにもいかず、中立を保つのも難しい。
ルナは私への恋愛感情を隠そうとしないし、アリアは...アリアの感情はよくわからないが、明らかに何らかの変化がある。
「これは魔法理論の問題というより、人間関係の問題かもしれない」と私は思った。
しかし、人間関係を理論的に分析することは可能なのだろうか。ルナの言うように、感情的に対処すべきなのだろうか。
私は深い思索の迷宮に入り込んでしまった。感情と理論、直感と分析、愛と知識...これらの対立をどう統合すれば良いのか。
つまるところ...魔法とは感情と理論の弁証法的統合なのであろうか、などと考えている間に授業は終了していた。
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