パラノーマル症候群

穂積瑞浦

未来を視る男は幸福な未来を夢見るか?

 ――少女を拾った。

 あぁ、少し、少しばかり、落ち着いて欲しい。

 どうか、その手に持った石を、全霊の力を以て投じないで欲しい。

 普通(というのは少し誇大的かもしれないが)の大学二年生、嘉地悠来かじはるきは別に、小さい子供に欲情するような少女趣味はないし、常識から掛け離れた倒錯的な趣味を持っている訳では無い。

 それは、梅雨のじっとりとした湿気が肌に纏わり付く、滅入りそうな豪雨の日だった。


 この世界に存在する全ての水が、東京にのみ集中しているのではないか、と錯覚してしまう程の大雨が降り注ぐ。

 普遍の原理たる重力に従って、曇天の暗闇を映す、濁った大粒の雨の雫が、開かれた透明なビニール傘にぶつかり、その形を細かく飛び散らせて、弾けてしまう様子を、嘉地は何の気なしに眺めていた。

 雨でビショビショに濡れて肌に張り付いてくる、灰色のパーカー(暑い季節なのでメッシュ生地)の袖を鬱陶しそうに引っ張って、嘉地は自身の惨状に自嘲気味な笑いを零してしまう。

 パーカーのインナーとして着用している、無地を探すのが何故だか難しかった黒のTシャツも、汚れが一発で判別出来てしまいそうな真っ白なジーンズも、悉くズブ濡れだ。

 歩く度にクチュクチュと気味の悪い水音を立て、足裏に不快な感覚を覚えさせる濡れた黒のスニーカーで、コンクリートで構成された鼠色の地面を蹴って、嘉地は足早に自宅のアパートを目指していた。

「……はぁ、天気予報も出来ないんじゃ、俺の存在意義って……」

 思いがけず、嘉地から溜息を伴った、そんな言葉が漏れ出していた。

 嘉地はただ、夜中まで続いた過酷なバイト帰りに、生活用品や食料品が足りないと思い出して『今夜は大雨になりますよぉ』という天気予報のお姉さんの言葉も忘れ、コンビニエンスストアに寄り道をして、結果、住宅街を吞気に歩いている途中に雨に降られたという訳だ。

 雨宿りに転がり込んだ一軒のコンビニで、仕方が無くビニール傘を買うという、無駄な出費も出てしまった。

 既に、嘉地の気分はブルー一色である。

 剛毛と癖毛という二重苦を必死に撫で付けて、寝癖を目立たなくしている、僅かに青の入ったアッシュブラックの短髪にしても、豪雨に濡れてしまえば、その努力の意味は無い。

 友達に、目〝だけ〟は綺麗だね、と冗談交じり(いや、冗談じゃないのか?)に言われる緑青色の瞳で、嘉地は既に陰鬱な藍色で染まる雨天の夜空を見上げる。

 夏への過渡期として、空がその変化の痛みに耐え兼ねて大粒の涙を流れ落としているが如く、止めどない梅雨の豪雨の奔流を見て、嘉地は何だか感傷的になってしまっているのだが、気象現象はちっぽけな人間の、ちっぽけな感傷など、知る由も無いのだ。

「……トホホ、俺こんなんばっかじゃん」

 そんな最中、嘉地は妙な異音を聴取する。

 人の往来すら皆無な住宅街の道路。当然ながら、歩行によって起こる靴音は嘉地のものが一つで、後は地面やビニール傘に雨粒が当たるポツポツといった雨音のみが、辺りの住宅街に寂しく響いている。

 その中で、横合いの路地からだろうか、住宅と住宅の間に挟まれた暗く細い空間から、ガタッという、住宅を仕切るブロック塀に体をぶつけるような、もしくは地面に転倒してしまったような、とにかく、およそ普通とはいえない音が聞こえてくる。

 日常生活の中に不穏の雫を一滴垂らすような、そんな物音を訝しんで、嘉地は横合いの路地の光景を視界に映す。

 ――そこにいたのは、三人の少女だった。

 いや、少女と呼ぶには定義が広く、少し幼すぎるか。

 小学校低学年から中学年程度に見える、その吹けば飛んでしまいそうな小さな体を路地裏の壁に預け、三人で身を寄せ合っていた。

 姉妹なのだろうか、顔貌や容貌が酷似している。

 雨の雫に濡れて珠のような艶の出た美しい長髪は、薄く淡い紫色で彩られ、ライラックの如き繊細な色彩を演出している。

 将来の美貌を予感させる、いや、今現在でも文句の付けようも無い程に整った顔貌には、穹窿に重ねて光を乱反射させたガラス玉のような、人を呪って誘う宝石としか思えない浅葱色の瞳が嵌め込まれている。

 三人全員が、慎ましくも美しい意匠の施された、青が少し混じった藤色の袖付きワンピースを着ていた。

 これらが三人の共通の特徴であり、一人一人で細部が少々異なっている。

 一人は、菫色の紋様が入った白い目隠しで両目を覆い隠しており、前髪のほんの一部の色が抜け落ちたように真っ白だった。

 一人は、紫の花の模様で彩られた耳当てのようなもので両耳を覆い隠していた。

 一人は、若紫の意匠で彩られた顎の高さ程のバンダナで口を覆い隠していた。

 その三人を視認した瞬間、嘉地は思わず歩みを止めて、地面に縫い止められたように動けなくなっていた。

 雨が降る。

 煩わしく耳朶を打つ雨音と緊張に不快な鼓動を打つ心音を自覚しながら、嘉地は逡巡する。

 確かに、嘉地は捨てられた子猫が路地裏に捨てられていれば、迷わず家に連れて帰り育てるし、実際、そのような経緯で猫を一匹拾って、里親が見つかるまで面倒を見た。

 くだらないヤンキーやしょうもない半グレが気の弱そうな人に詰め寄っていれば、少し覚悟をして仲裁に入るし、実際、それで何回も殴られたし、殴った。

 でも、これはそういう次元の話ではない。

 確かに、猫みたいに捨てられてはいるけれども、これは拾って育てるだとか、そういうお涙頂戴の微笑ましい話ではない。

 それは、その者の人生に大きく介入し、今後の未来、その趨勢を大幅に変えてしまう行為だ。

 それに、専門分野でない為、法律に詳しくは無い嘉地だが、未成年を親の同意なく連れて帰れば、例え本人が了承していたとしても、監禁罪や誘拐罪が成立すると聞いた事がある。

 しかも、明らかに厄ネタの臭いがする。

 普通に考えて欲しい。

 目を目隠しで覆っているとか、どこの漫画の最強キャラクターだ、という話だ。

 ファンタジーがすぎるというものだろう。

(以上の理由から、悠来さんはそそくさと退散を……)

 と心の中では思うのだが、何故だろうか、何かを思い出した気がして、

「……君達、大丈夫?」

 まるで別の意思が嘉地に内在していて、体を勝手に動かしたかのように、三人の少女達に傘を差し伸べていた。

 まぁ、これも必然といえる。

 ――ここで困っていそうな誰かを見捨てられるようなならば、嘉地悠来という人間は存在していないのだから。


 嘉地は雨に濡れた三人の少女を連れて、自身の住んでいるアパートまで帰って来ていた。

 住宅街の一角にひっそりと存在する、無駄に小綺麗な、最近リフォームされたといった様子のアパートに嘉地は住んでいた。

 大学進学に際して、嘉地が通う予定の大学に近しい場所に住もうという事になって、大学の近辺に引っ越して来たのだが、その引っ越し先のマンションで家庭内暴力が起きていた世帯があり、嘉地は我慢出来ずに殴り込んでしまった。

 その結果、家庭内暴力を起こしていた男と嘉地は警察のお世話になったという訳である。

 その後、ギリギリのところで暴行傷害の罪で立件されず、何とか前科が付く事は無かった。

 隣人トラブルを起こした嘉地は、近隣住民からの白い目に耐え切れず、今の住まいである、このアパートに引っ越して来たという訳だ。

 まぁ、嘉地がこのアパートを次の住まいにしたのは、敷金礼金が無い上に、異常なまでに家賃が安かったという理由がある。

 風の噂だが、101号室の浴槽で入居者が首を切って自殺したとか。それ以降、幽霊が出るようになって、一ヶ月も持たずに入居者が出ていくとか。それで、数年前、204号室の住民が焼身自殺をして、アパートが全焼したとか。

 だから、一から作り直されたレベルでアパートが綺麗なのだとか。

 いや、そこまできたら建物の全焼を機に取り壊せば良いだろう、と嘉地は思ったのだが、大家がオカルト好きの変わり種らしい。

 そんなこんなで、嘉地は一年程、このアパートの204号室の利用者となっている。

 嘉地以外の住民を見た事が無いので、今まで隣人トラブルを起こしてはいない。

(いや、マジで大家さんはどういうモチベーションでここを経営してんだよ……まぁ、俺はオカルト信じないし、ありがたいけどさ)

 明らかに資産形成に寄与していないだろう。

 そんな無為な思考を巡らせながら、嘉地はアパート内の階段をカツカツと靴音を鳴らし上がって行って、鼠色のコンクリートで出来た外観の廊下を歩いて行く。

 水を纏った靴が鳴らす湿った靴音を鼓膜で感じながら、嘉地は二階の突き当たりの角部屋、204号室の扉を開いた。

 梅雨で湿って鬱屈とした空気が、嘉地の体を吹き抜けてくる。

 玄関を開け放った視界の先には短い廊下があり、左方には二つの扉が、右方には一つの扉があり、正面には居間に繋がる磨りガラスの扉が存在する。

 左方の扉の手前側が脱衣所に繋がっており、その奥側がトイレに繋がっており、右方の扉の先には、何に使うのかイマイチ分からない客室みたいな部屋が存在する。

 そのまま嘉地は真っ直ぐ歩いて行って、全くの光を通さない磨りガラスの扉を開け放った。


「――えへへ、助かったよ、お兄さん! あれ? お兄さんで合ってる?」

 これが、居間に入って開口一番に嘉地に投げ掛けられた少女の言葉である。

 一口に少女といっても、目隠しをした少女の言葉ではあるが。

『お兄さん』という表現が合っているかを問うのは、恐らくだが、目隠しをしている状態の所為で、嘉地の姿が分からないから、声だけで判断したという事だろう。

 現在、嘉地と三人の少女はリビングダイニングと呼ばれるだろう部屋にいた。

 部屋の左側にはコンロやシェルフ、シンクなどがあるキッチンが存在し、部屋の中央には白い丸テーブル、部屋の片隅には深緑の色をしたソファに、その対角線上には型が少し古いテレビが棚の上に置かれている。

 ベランダに繋がる窓を通して見える外の景色は、依然として凄まじい雨に打たれる街並みだ。

 因みに、この部屋の右側にある扉は、嘉地の寝室と私室を兼ねた部屋である。

 経年劣化で少し濁った色を見せる白い丸テーブルの傍に、窓を背後にして、三人の少女はちょこんと座っていた。

 三人の少女は服や髪がビショビショであるし、何故かワンピースが傷付いてボロボロなので、すぐにでも風呂に入って欲しいが、嘉地はそれよりも前に聞かなければならない事がある。

 だが、その前にバンダナで口を隠した少女が、柔らかな口調で言葉を紡ぐ。

「合っていると思うのですよ、アイ。多分……きっと……恐らく……」

「俺のどこがおじさんみたいだって!? 俺ほどお兄さんポイント高い人間いないと思うぞ!」

「そういう事じゃなくて、どちらかというと、少年みたいに見えるのですよ」

「……そっちのベクトルか……嬉しくない……」

 年を取ると、若く見られる事が嬉しくなるらしいが、今の嘉地には全く嬉しくない。

 そもそも、嘉地はまだ二十歳だ。若作りをするような年齢ではない。

 そんな丁寧語というものを決定的に履き違えたみたいな少女のやり取りに対して、耳当てをした少女が追撃と言わんばかりに、ジェスチャーを某忍者漫画のように素早く繰り出しながら、

「」

 喋る訳では無かった。

 別に声が小さすぎるという訳ではなく、嘉地が聞き取れなかったという訳でもない。

 ただ単純に声を発していないというだけ。

 まさか、何らかの要因で喋れないのだろうか。

 そう考えると、この素早く繰り出されるジェスチャーも、手話に見えてくる。

「え? あぁ……手話か? ごめん。俺、手話知らなくて……」

「別に、イアのジェスチャーに意味は無いよ! 『少年ぽく見える』って言ってるよ!」

「ふっ……大人を小馬鹿にして……」

 嘉地は冗談交じりにそう言葉を紡ぐが、当の本人は大真面目なのだろうと同時に思う。

 少しやり取りをしただけで分かる。

 恐らく、目隠しをしていたり、声を発さなかったりというのは冗談の類で行っている事では無い。

 急激に脳に訪れる膨大な情報量に疲弊しながら、どっしりと三人の少女と対面するように座り込んで、嘉地は取り繕って言葉を投げ掛ける。

「ちょっと待とうか、不思議少女諸君。一旦、落ち着いて、自己紹介からしようぜ。俺は嘉地悠来。明世めいせい大学社会学部の二年生。つい最近、二十歳になったばかりの普通の大学生だ。君達は?」

 そう、テンプレートに従って発話したと思える程に、スラスラと自己紹介を終えた嘉地は、眼前の三人の少女にウィンクをして、自己紹介を促す。

 そうやって、自己紹介を促された少女達の内の一人、目隠しをしている少女は明朗快活といった様子で笑みを浮かべながら、

「私はアイ! 耳当てを着けてるのがイア!」

「」

 アイと名乗った少女は純粋無垢に名乗りを上げて、喋れないのだろうイアという少女の代わりに彼女の名前を紹介する。

 アイから紹介を受けたイアは、宜しくと言わんばかりにペコリと頷いてくる。

「そして、私がパレトなのですよ」

 アイの紹介を引き継ぐようにして、パレトという少女が嘉地に微笑み掛けながら、名前を名乗ってくれる。

「よし! 名前を名乗り合ったら、もう友達みたいなもんだ。さて、俺は君達に聞かなければならない事があるんだ」

 まぁ、明らかに偽名だが、そこは置いておこう。

 互いに自己紹介が済んだところで、嘉地は抜き身の刀のような真剣さを声に滲ませながら、湿気で茹だる暑さを孕んだ部屋で言葉を紡ぐ。

「――単刀直入に聞くけど、君達、何者? 親御さんとかは……」

 嘉地が少しの緊迫を胸に抱きながら、三人の少女に問い掛ける。

 そもそも、三人の少女が夜遅い時間に傘も差さず、保護者を伴う事も無く、夜の街にいる事自体が、穏やかではないというものだろう。

 しかも、アイは『助かった』と言ったのだ。

 正直、ここで彼女らから何を聞くまでもなく、警察に通報確定であるのだが、一応、聞いてみる事にした。

 そんな真摯に三人を心配する嘉地の疑問の言葉に、アイは少し困ったように二人と顔を見合わせて、何かコソコソと小さな声で話し合った後に、嘉地に向けて堂々として声を張り上げる。

「――私達は……せーの」

 タイミングを合わせる為か、そこで一呼吸を置いて、三人が同時に立ち上がりつつ、戦隊モノのようにポーズを決めながら、

「「――『センシズ』六姉妹!」」

 そう心の底から楽しそうに、三人(イアは声を出してはいないが)は意味の分からない単語を威風堂々と宣言して見せるので、

「……ハァ? 『センシズ』六姉妹? じゃあ、残りの三人はどこに行ったんだよ?」

 正直、嘉地は無理解に襲われている。

 困惑に眉をひそめて、一通りの説明を求める嘉地の態度に、三人は良い反応を貰えなかったのが残念、といった様子で床に座り直して、話し始める。

「……三人は……私達の心の中で生きてるよ……なんちゃって」

「それ、冗談で受け取っていいヤツ?」

「まぁ、お兄さんに話す事でもないのですよ。気にしないで欲しいです」

「気にするところだろ」

 何だか、はぐらかされた気がするが、話したくないのならば、嘉地が無理に聞き出す事ではない。

 そう思い直して、屋根に雨粒が当たるポタポタという心地良い水音に気を取られながら、次の言葉を聞く心構えをする。

 もう、この子達からどんな言葉を聞いたとしても、驚く事はないだろう。

 と嘉地は思っていたのだが、それは即座に覆される事になる。

「――話を戻すね。私達は〝怪異〟なの! 人の心から生まれた〝虚構〟の存在……らしいよ!」

「………………………………? はいィ? 今、なんて言いやがりました?」

 アイから唐突に放たれる言葉を聞いた瞬間に、嘉地は頭を金属バットで殴り付けられたような衝撃に間抜けな声を上げていた。

「――〝怪異〟と言いましたよ。私達は『センシズ』と呼ばれる、人の五感と第六感に向けられる様々な感情がベースとなって生まれた〝怪異〟……らしいですよ」

「いやいやいやいや、俺はそんなファンタジー作品の専門用語解説を聞きたいんじゃなくて、もっと根本的な事を聞きたい訳だぜ?」

 何やら、詳しく、懇切丁寧に、つらつらと、自分達の素性を説明してくれているらしいが、嘉地の認識はそこにまだ到達していない。

「単純に〝怪異〟って……何なの? 俺の認識で言えば、ホラーゲームに出てくるバケモノなんだけど? もしかして、君達はよくある人外系ヒロインだとでも言いたいのか?」

 そう、純粋に嘉地は疑問だった。

〝怪異〟などという存在が、現実にいる筈が無い。

 嘉地は生粋の現実主義者だし、オカルトなどというものは人間の認識が生み出した虚像にすぎないと思っている。

 まぁ、それを嘉地が言うのかという話ではあるが。

「アハハ! 分かる! 私達も自分の事、人間だと思ってたし!」

 アイも自分自身が言っている事が馬鹿馬鹿しいと自覚しているように、朗らかな様子で笑った後に、それを一転させ、隠された瞳を細める雰囲気を醸し出しつつ、

「――でも、お兄さんだって〝異能〟持ってるんでしょ? 〝おかあさん〟が〝異能力者〟は独特な雰囲気があるって、言ってたし! ねぇ、どうなの!」

 その言葉を聞いた刹那に、嘉地は何の事かと当惑して片眉を上げているのだが、その少し後に合点がいったといった様子で頷いて、

「……あぁ、俺の『スペクテイター』の事か? 〝異能〟って言うんだな」

 そう、自身に宿っている特異な能力について、意に介した様子もなく嘉地は言ってのける。

「確かに、俺は生まれた時から、他の奴には出来ない事が出来た。俺はこれを『スペクテイター』って呼んでる。簡単に言えば未来視ってところかな」

 自身の抱える〝異能〟について、誇らしげな様子もなく、自慢する気もなく、最早、呪っているような寂しげな語調で、嘉地は己の能力を明かす。

「凄いのですよ! じゃあ、競馬や競艇で稼ぎ放題じゃないですか! テストだって問題を先に知れるし、預言者にだってなれる! 株取引だって余裕ですよ! 人生イージーモードじゃないのですか!」

 一聴して凄まじい能力を知り、興奮し切った様子で、パレトがグイグイと嘉地に詰め寄りながら、蒼穹を閉じ込めたような瞳を輝かせている。

「!」

 先程まで、全く興味が無さそうに周囲をチラチラと見ていたイアも、小さく口を開けて、サムズアップやら、何やらのジェスチャーをして何かを伝えようとしている。

 だが、嘉地はそんな子供らしい純粋無垢な反応に水を差さざるを得ない。

「……悪いんだけど、俺の〝コレ〟はそんなに便利なものじゃない。まず、俺が見れるのは頑張っても、一分先の未来だけ。疲れるからな。しかも、見れるのは、俺の視界の中だけなんだよ。つまり……特定の未来を見るとか、そういう便利なものじゃないんだよ」

 分かりやすくいえば、録画したビデオを一時停止して、そこから一分後までを早送りで先んじて見られる、といったものなのだ。

 見える未来も自身の視界に限定され、一分先の未来しか見えず、しかも、任意で発動するという関係上、トラックが突っ込んで来る未来、などの突発的な事故を予め知る事は出来ない。

「……えぇえぇえぇ。何か、未来予知する人って意外と融通利かないんだね。もっと、未来予知を駆使してウハウハしてると思ったよぉ」

「何か、しょぼいのです」

「…」

「お前ら……一気に俺をナメすぎじゃねぇか!? じゃあ、見せてやるよ! 未来予知って奴をな!」

 流石の嘉地悠来といえども、ここまで言われてしまえば心外だ。

 必死の形相で立ち上がった嘉地は、宝石のような緑青色の瞳に〝異質〟な閃耀を宿らせて、最大限、格好良く見せる為にポーズを取りながら、

「――『スペクテイター』!」

 ――刹那、嘉地の脳を強烈に締めるような圧迫感が襲う。

 これは、嘉地が未来視を使う際の神経負担と脳の情報処理の負荷によるものだ。

 キリキリと神経を引っ張り上げられているような不快な痛みが頭全体を襲い、凄まじい脳の演算の所為で、瞬時に頭部が茹で上がっていくような感覚を覚える。

 コマ送りの様相を呈して視界に広がる、疑似的な未来予知の光景と周辺の環境音、それが一分先の未来を見通したところで、嘉地の意識は現実に浮上する。

「……ここから十秒後、アパートの前を車が通る」

 現実では、一秒たりとも時間は流れてはいない。

 嘉地が鈍痛に頭を押さえながら、早口で静かに告げた約十秒後、トラックのような重いエンジン音が、確かにアパートの外から聞こえてくる。

「その二十一秒後、雷が鳴って、それに驚いたのか知らんけど、近所の犬が一回吠える」

 ほぼ予言した通りの時間で、室内の窓がピカッと雷光を受けて光り輝いて、その直後に稲妻が轟いた。その後に、ここからでも聞こえるくらいの大音量で、大型犬の咆哮が聞こえてくるのだ。

「……おぉ、凄い……のかなぁ?」

「やっぱ、ショボいのですよ。でも、よく考えたら凄い……のです……よ?」

「♪」

「あ、イアは面白かったって」

「ここまでして、この扱いですよ……悠来さんが可哀そうだと思わねぇのかよ!」

 いや、割と本気で、嘉地の能力は体力を使うのだ。

 そもそも、未来は確定していない。

 それは『ラプラスの悪魔』という思考実験が否定されているところからも分かる事だろう。

 この世界は、バタフライエフェクトやカオス理論によって、絶え間なく不確定要素を生み出し続けている。

 そんな中で、最も確立の高い未来を導き出す嘉地の能力が、どれだけ凄い事か、この少女達には分からないのだろう。

「でも、これで私の言いたい事が分かったでしょ? おにいさんが〝異能力〟を持っていて、それを認めるのに、私達の事を〝怪異〟と認めないのはおかしいって。どう? この完璧なリロンブソウ!」

「…………正直、それはそうなんだよなぁ。俺のコレは明らかに人間が出来る事じゃない。何なら、人類が保有するコンピューターを全て稼働させたって、未来を演算して導き出すなんて、今の技術じゃ出来やしない。だから、お前らの言う〝怪異〟って存在も認めてもいい……と思う悠来さんですけど、やっぱオカルトすぎるし……別に変な能力も持ってなさそうだし……良く考えたら、俺に特殊能力があったって〝怪異〟を認める理由にはならない……だから、お前らの事はとりあえず、自分の事を怪異とか言っちゃうお年頃の、不思議少女で留めます!」

「えぇえぇえぇ……まぁいいや。これで話が進むと思おっと」

 ここで一旦、嘉地は再び床に座り込んで、頭痛のする頭をフラフラともたげながら、やけに耳朶を打つ雨音を煩わしく思いつつ、三人の少女に本題と言わんばかりに切り込んでいく。

「それで? 聞かせてくれ。何で、不思議少女のお前達は、夜の街に繰り出し、捨て猫状態だったの? まさか、夜遊びじゃないよな?」

 最近の子は、そこまで遊び慣れているのか。

 そんな、自分でも笑ってしまいそうになるくらいに、無意味な思考を巡らせている嘉地を置き去りにして、パレトは難しい顔をして、慎重に言葉を選ぶように、

「うーん、簡単に言えば家出なのですよ」

「ほーん。そいつは良かった。捨てられたとかじゃなくて」

 まぁ、こんな年頃の少女が、家出を決心するなど、穏やかな家庭事情ではないのは分かるが、そこは置いておこう。

「えっとぉ、家出の理由は聞かないでね。多分、聞いていいものじゃないし」

「あぁ、無理に聞く事はねぇよ」

 嘉地としても、自分が言いたくない事を話すのは嫌なものだ。

 さて、ここで嘉地にはやらなければならない事がある。

 それは警察に通報して、ご両親にこの子達を送り届けるという、至極当然な大人のやるべき事である。

 どうやってこの事を言い出そうかと嘉地が思考の海に身を浸していると、

「おにいさん。私達、三人で話し合ったんだ。それで、やっぱり、おかあさんに謝りたいんだよ。逃げてごめんなさいって。でも、帰り道も分からないし、おかあさんがどこにいるかも分かんない。だから、少しの間でいいから、ここでおかあさんを待たせて。多分、おかあさんなら、私達の場所が分かると思うの」

 そう、アイが口を固く結んで、少し涙声になりながら、嘉地に嘆願してくる。

 きっと、三人は何か止むを得ない事情で家を飛び出して、それでもお母さんが大好きだから、こんな事を言っているのだろう。

 落涙を堪えて喉を絞めるような身を切る哀絶を伴ったアイの言葉に、他の二人も少し俯いて、目を伏せてしまっているので、嘉地は緑青色の瞳を大きく見開いて、心配する事はないと言葉を紡ぐ。

「大丈夫。お前達がお母さんの事が好きなのは、良く分かったよ。多分、お前達にも込み入った事情があるんだろ。俺のところで良ければ、幾らでもいていいよ」

 そう満面の笑みで言い切って、三人の少女の頭をポンポンと撫でてやると、三人は呆気に取られたように瞠目した後に、

「後悔する事になるのですよ……?」

「それ、感謝の言葉として適切か? 次があれば、シンプルにいこうぜ」

 別に感謝を求めている訳ではないが、その言葉は少女には似合わない気がした。

 湿っぽい雰囲気は嫌いだ。出来れば、幸せな未来があって欲しい。

 未来視を行う男が、未来を願うなんて、どこか矛盾しているが、それこそが嘉地悠来のモットーだ。

「――よし! さて、悠来さん初の居候三名! そんなにびしょ濡れだと、折角の美人さんが台無しだから、お風呂に入って来なさい!」

 哀に満ちた居間の空気を吹き飛ばすように、嘉地は手を叩いてお風呂に入る事を促すので、アイはポカーンと小口を開いて、不思議そうに声を紡ぐ。

「ハルキは一緒に入らないの? 一緒にお風呂入ろうよ!」

「フッ、そんな童貞の妄想丸出しの陳腐なプロットには、悠来さん付き合ってやりません。お前達だけで……行くの……です……?」

「いや、おにいさんもビショビショなので……どうしたのです?」

 そこで嘉地は言葉を徐々に切っていって、沸々と出てくる違和感と疑問に思考を始める。

 見た感じでは、アイは視覚が無いらしい。

 多分だが、イアは聴覚がないのだろう。

 パレトは良く分からないが、口に関係する事だろう。

(……あれ? これは、俺が介護をするという名目で、お風呂に付いていってやらなければならないのか? いや、落ち着け。しっかりしてるパレトが一緒にいるんだからいいだろ。あっぶねぇ、意味分からん思考回路で性犯罪者になるところだった。小児性愛者になるところだった)

 そんな葛藤を三姉妹は知る由も無いのだろう。

 言葉の途中で完全に固まってしまった嘉地を無視して、手当たり次第に部屋の扉を開けていって、風呂場を発見したのだろう、少し後になって、脱衣所から二人の声が聞こえ始めた。

「はぁ、何やってんだ俺。夕飯の準備しよ。いや、着替えるか? まぁ、もう乾いてるみたいなもんだしいいかぁ」

 何だか、振り回されていると感じながら、夕飯の支度を始めようとする嘉地の耳に、休む間もなく一閃の如き一声が、

「ハルキ! ちょっとこっち来て!」

 そう脱衣所から焦ったような、アイの大声が聞こえてくるので、

「一緒には入らねぇぞ!」

「真面目な奴なので、来て欲しいのです!」

「さっきの風呂入るか云々、真面目な奴じゃなかったんだな!?」

 今度は何事だろうか、と脱衣所へ床を軋ませながら、小走りに向かう。

 スピード感が凄い、と急に疲弊してきた嘉地は、脱衣所の扉を前にして、少し躊躇しながらも、その扉を開け放つ。

 その眼前に広がるのは、何の変哲も無い、洗面台や脱衣を置く為の棚が併設された普通の脱衣所だ。

 当然、嘉地が毎日使っているし、目新しいものは何も無い。

 脱衣所に立っている三人の少女を除いて。

 そこには、白い下着姿の不思議三姉妹が立ち尽くしていた。

 純白の下着のみを身に着けた(アイとパレトは依然として目と口を隠していたのだが)三人の少女は、処女雪のように透き通る美しい肌に、歳の割には起伏に富んだ肢体をしてやがる所為で、非常に目に毒なので、即刻帰りたい嘉地であったが、そこは両目を両手で塞ぐ事で対応する。

「おっすぅ。悠来さん自主規制モードだけど、どうかしたか?」

「ハルキ、聞いてよ!」

 怪人自主目隠しと化した嘉地は、自身の滑稽な姿を知る事も無く、アイが問題としている事を聞こうと続きを促すように頷くと、

「これだよ! この足首に着いてる奴!」

 そう言って、アイは自身の右足首を指差しているのだが、こればかりは怪人自主目隠しモードでは分からない。

 恐る恐る、嘉地はアイの右足首を視界に映す。

 そこには、この可憐な少女には到底似合わない、物々しい鉄製の薄い足枷のようなものが装着されていた。

 どちらかというと、鉄製のベルトのようなものに近く、薄い金属板を丸めて円柱状にしたような、そんな不可解な足枷。

 これを三姉妹全員が着けている訳だ。

「何だこれ?」

「おかあさんが着けてないと駄目というので、着けていたのですが、もういいかなと思ったのです」

「お前らのお母さんどうなってんだよ……」

 正直、三姉妹のお母さんへの嘉地の信頼はもう地の底である。

 そこで、イアが嘉地の肩をポンポンと叩いて、こちらに注目させてくる。

 それに気を取られて、嘉地が後ろに振り返ると、下着姿のイアが澄まし顔を見せながら、ただ立ち尽くしていた。

 耳当てが外れた彼女の耳は、ファンタジーのエルフの耳のように尖っていたが、そんな事が気にならなくなる程の超常現象が眼前に繰り広げられる。

「何だ……ッて!」

 訝しんだ嘉地が目を細めてイアを見つめると、突如として彼女の頭の傍に漫画の吹き出しに酷似したホログラムのようなもの浮かび上がってきて、そこに文字が書き込まれていく。

『だから、これ、外して欲しいの』

 開いた口が塞がらないとは、まさしくこの事だ。

「お前……ただの不思議少女じゃなかったのか。ホログラム投影機の類?」

 その反応に、イアは一本取ってやったと自慢げに少し口角を上げて、♪の形をしたマークを出現させて、楽しそうにルンルンとしている。

 丁度、漫画の表現みたいに。

「えっとぉ、イアは聴覚担当なんですけど、視力が凄く良くて、視覚に関する事を操れるのですよ」

「へぇ、お前ら凄いな〝怪異〟を名乗るだけあるわ」

 おっと、感心している場合ではない。

 嘉地はとにかく、アイの足元に膝を着いて、右足首に着いた足枷を外そうと、手で触ってガチャガチャと動かしてみる。

 だが、一向に外れる気配は無い。

「これ、鍵が無いと外れない類のものか。まぁ、足枷みたいなものなら当然かね……どんなもん着けさせてんだよ……」

 そこで、嘉地は最早、倉庫になっている客室に足を運んで、ペンチやらの工具を持ち出して、足枷を破壊する方向へ移行する。

 下着姿の少女の足元で、足枷を外そうと唸りながら、ガチャガチャと工具を動かしている男。

 ほぼ事案である。

 というか、事案以外の何ものでもない。

 イアとパレトが白い目で見ている気がする。

 というか、破壊工作の途中で少し二人を一瞥したら、完全にジト目で変態扱いをしていやがった。

 悲しい。

「しかたねぇ、アレ使うか」

「何使うの?」

「え? 金切りバサミだけど?」

「え? 何それ?」

 アイが困惑して間抜けな声を漏らすのを意に介さず、嘉地は倉庫から物々しい金属光沢を放つ、薄い金属を破断する為の金切りバサミを取り出した。

 金切りバサミを開閉させながら、カチンカチンと重厚な金属音をこれ見よがしに鳴らして、さながら殺人鬼の登場といった気持ちで、嘉地は脱衣所に入って来る。

 その重々しい工具の登場に、アイは体をブンブンと振り回して、恐怖を体現する。

「えぇ! 怖いよぉ! ヤバイ音してるじゃん!」

「大丈夫。高校生の頃、美術の成績がギリギリ三・五だった俺に任せろ」

「よく分かんないけど、安心出来ないよ! キャァァアァ! ハルキに足切られるぅ!」

 他に住民がいなくて本当に良かった。

 多分、他に住民がいたら、まず真っ先に、嘉地が警察の厄介になっている。

 結果、パキンという甲高い金属音を鳴らして、足枷は無事に三人分外れた。


 涙目のアイにポカポカと凄まじい力で殴られて、風呂に入って行く三人を見送った嘉地は、脱衣所の衣服を入れる為の籠にある三人の衣服を手に取って、それの破損状況を確認する。

(どう使ったら、こんな傷が付くんだ?)

 まるで、鋭利な何かに素早く切られたような、そんな切開された痕跡が、三人の可愛らしいワンピースに刻まれていた。

 逃げたという話だったので、その途中に木の枝か何かに引っ掛けて傷を付けた、といった事が考えられる。

「まぁ、この程度なら、悠来さんが修復してやれるな」

 そもそも、穴だらけのワンピースを幼子に着用させたままなど、道徳的な観点から見ても良くないだろう。

 そう思い立った嘉地は、三人の衣服を修復する為に持ち出して、脱衣所の向かいにある倉庫にとりあえず投げ込んでおいて、まずは夕飯の準備に取り掛かる事にする。

 居間に足を運んで、冷蔵庫の中身の兼ね合いと今から作れる料理という二つの条件を満たす最適解を思案する。

 更に、考えるべき事はパレトの事である。

 恐らく、恐らくだが、これまでの傾向からして、パレトも何かしらの身体障害を持っているというのが妥当だろう。

 それらを考えた際に、導き出される結論は、

「うどんです」

 早速、調理に取り掛かろう。

 キャッキャッという楽しそうにはしゃぐ少女達の声がこちらからでも聞こえてくる居間にて、嘉地はコンロの上に鍋を置き、その中に水、醬油、ほんだし、酒、みりんをレシピ通りに入れて、同時並行でうどんを四玉茹でていく。

 鍋に入れた調味料を火に掛けて、一煮立ちさせたら、器に盛られた茹で上がったうどんに出来上がったダシを掛け、お好みでネギを振り掛けるだけ。

 さながら、料理系アニメの主人公の気分で、四皿分の夕飯を作り上げてキッチンのシェルフに置いた嘉地は、久々の複数人での食事に思いを馳せながらも、どこか物寂しさを感じて、テレビを点け、興味も無い癖に番組を流し見していく。

 何の理由も無く、環境音が欲しいという理由でテレビを点けてしまう事が、人間にはあるのだ。

 ニュース番組では、二か月程前に青梅市で起きた、大規模なガス爆発事故について取り上げられている。

 また別の番組では、都市伝説系なのか『佐川重工公害事件の真相!』という陰謀論じみた内容を取り上げている。

 然程、興味も無いので、嘉地はこれらを半ば聞き流して、ボケっとしながら、少し雨足が弱まって、主張を控え目にしていく豪雨の水音に聞き入っている。

 そんな穏やかな心持ちの最中、

「ハルキ! 痛っ! ハルキ! 痛っ、痛ッ! ハルキ!」

 体を滅茶苦茶に廊下の壁へぶつけながら、居間の扉を大音声上げて開け放って、嘉地の平穏の時間を破り去るのは、明朗快活を地でいく少女、アイである。

 見ていて心が温かい気持ちになるタイプの少女の到来に、嘉地は一切の声を発する事は出来ない。

 喉の奥で言葉が詰まってしまったように、嘉地は引き攣った顔を張り付けながら、押し黙るだけだ。

「……? そこにいるよね? 呼吸の音とか、心臓の音聞こえるし」

 不思議そうに小首を傾げるアイの姿を、嘉地は直視する事は出来ない。

「――バッッカ……お前、服を着てから、いつもの漫才してくんない!? お前はアレか!? お母さんに服を着ないでも人前に出てもいいよって習ったのか!?」

 そう、彼女は誇張を抜きにして、一糸纏わぬ姿だったのだ。

 両目を両手で塞ぐ嘉地。

 だが、それはアイの裸に動揺したからというのもあるが、もっと別の理由がある。

 蒼穹を映す空色の瞳に、幾何学的な紋様が浮かび上がっていたのが見えて、それに少し、ほんの少しだけ、背筋を伝う悪寒を覚えたからである。

 とはいっても、理由の大部分は前者であるが。

 まぁ、純真無垢な少女の裸を見て、目に毒です、といって目を逸らすのも、それはそれで人間としてどうなのか、と思わないでもないが、嘉地に少女趣味は無い。

「いやぁ、服が無くてぇ」

「……あ」

 そこで完全に思い出す。

 嘉地は善意で彼女らのワンピースを修復してやろうと、倉庫にそれらをブチ込んだ事を。

「ごめーん! これは俺が全面的に悪いわ! いや、下着は残してたから、それは着るべきだという論点ずらしを使ってもいいか!?」

「自分で論点ずらしって言って、有効打になる事はあるのですか?」

 熱狂を孕む居間の舌戦に、同じような姿をしたパレトまで参戦してくるので、

「次々と入ってくんじゃねぇ! 自称怪異ちゃん達が! これが深夜枠アニメになる前に、悠来さんがお前らをぶっ飛ばして、ギャグ展開に持っていくっていう最終手段を講じる前に、とにかくダツイージョに帰ってくんないかなぁ!? てか、部屋濡れるから、体拭いてから出て来てくれよ!」

「何でハルキがぶっ飛ばすの!? 私達がぶっ飛ばす方でしょ!」

「後、ダツイージョって何ですか? そんな子供向け番組のキャラクターみたいな……」

 後で調べたら、実際にダツイージョというキャラクターが存在した。

(クッ、ここでマイペースっぽいイアが入って来て、ただでさえ混乱の極みな状況が更にこじれたらおしまいだ! ならば、どうするか……)

 という事で、嘉地はまだ何かを言いたそうな二人を両脇に抱えて、凄まじい速度を以て、脱衣所に叩き込む事で、この状況の終息を図る。

 そんな混迷の極みのような状況の最中でも、イアはゆっくりと体を拭いていた。

 自身の姉妹を小脇に抱えて、疲弊に鼻息荒く脱衣所に突っ込んで来た嘉地を見て、イアは嘆息を超えた軽蔑の瞳でこちらを一瞥して、不機嫌そうにタオルケットで体を隠していた。

(これ、俺が悪いのか?)

 因果応報の例に載せられる程に、自業自得な結末であった。


 とりあえず、あのボロボロなワンピースは、どちらにしても着られるものではないので、その場しのぎの策として、嘉地が持っている服を着て貰う事にした。

 当然ながら、そして残念ながら、嘉地に彼女はいないし、女物の服は無いので、三人には泣く泣くサイズの合わない男物の服を着て貰う事と相成った訳だ。

 嘉地に妹がいたら……いや、この考え方はやめておこう。

 そんな考え方は、もう意味の無い事だからだ。

 とにかく、非常に疲れている。

 明日は一限目から物理のテストだというのに。

 そんな栓の無い思考で脳の容量を圧迫しつつ、嘉地は居間のソファに座りながら、瞑目をしていた。

 もう既に勢いを失って、小雨程度になった静かな雨音が耳朶を打つ。

 規則的に吹くエアコンの涼しい息吹を体全体で感じつつ、外の茹だる暑さを吹き飛ばす瞬間は最早、夏の風物詩に加えても良いのではないだろうか。

 一日目からこの調子だ。

 お母さんとやらが来るまでに、嘉地は過労死してはいないだろうか。

 そんな一見して幸せに思える不安を心胆に覚えて、嘉地は緩慢に目を開く。

 何の事は無い、輪を描いた光を放つ蛍光灯が天井に設置されている、そんな普遍的な光景。

 その普遍的で代わり映えの無い景色こそが、真に尊いものなのだと、気付き掛けて、

「――ハルキ! 着替え終わったよ!」

 気付き掛けただけであった。

 竹を割ったように元気溌溂とした声の主はアイであろう。

 嘉地はソファから重い腰を上げて立ち上がって、居間の扉の前まで歩いて行く。

 その前後に、アイを先頭として、居間に勢い良く突っ込んで来た三人の少女を嘉地は眼前にする。

 三人ともサイズが全く合っていない。ブカブカな灰色のパーカーと地面に引き摺る長さの男物のジーンズという酷い恰好だが、仕方が無い、仕方が無かったのです。

 嘉地は鷹揚に手を広げつつ、こちらも意気揚々として声を上げる。

「綺麗になったな、諸君! さて、嘉地悠来の開く饗宴にようこそ! 饗宴というには貧相なメニューだが、楽しんでいけよ!」

 努めて高揚した様子で、笑顔を湛えて三人の少女を迎えてやるので、アイは屈託の無い笑顔のままに走り込んで来る。

「はぁい! 楽しみまぁす!」

 そう急いだ様子で危なっかしく走り込んで来るので、

「――あっ」

 丈の合わないジーンズの裾に足を滑らせて、前のめりに転倒しそうになってしまうのを、

「――おっと、あぶねぇぞ」

 パッと乾いた音を立てて、嘉地がアイを真正面から柔らかく受け止める。

 しっかりと胸で少女の頭を受け止めて、両腕で上体を支えてやると、そのまま半ば持ち上げた状態で食卓の前の床に座らせる。

「目ぇ、見えないんだろ? 危なっかしいから、ゆっくりな」

 そう嘉地が泰然として言い放つのを聞いて、アイは珍しく(まぁ、嘉地には珍しいのかは知らないが)言の葉の尽きないその口を閉じて、頬を紅潮させているのを隠すように少し俯いた後に、

「……あ、ありがと」

「あぁ、どういたしまして、って奴だ」

 そのまま野暮ったい視線を向ける二人を食卓の前に座らせて、嘉地もその向かいに座り込む。

「わぁ、ご飯なんて久しぶりだよ!」

 そう飽くまでも朗らかな笑顔で揚々と言ってのけるアイの言葉に、嘉地は一つ固い決意をする。

「よし、お前らのお母さんは俺が一発だけぶん殴る。これは決定事項だ」

「喧嘩はしないで欲しいのですよ……おにいさん」

『多分、おにいさん、死んじゃうよ』

 そうイアとパレトが各々の方法で嘉地の決意に水を差してくるので、

「お前らのお母さん怖いなぁ。さて、いただきますをしますよ」

 そう嘉地が飄々と二人の言を受け流して、両手を合わせると、神と自然への感謝を伝える為に、普遍的な符丁を諳んじる事にしたのだった。


 それから、饗宴(嘉地が勝手に言っているだけ)がスムーズにいく事は、残念ながら無かった。

「……ハルキ、食べにくい!」

「そりゃぁそうだよなぁ……」

 嘉地だって、目を瞑ったまま食事をしろと言われれば、十回やって九回は取り零す自信がある。

 そんなもので早速、アイが不格好に箸を構えながら、嘉地に呼び掛ける。

「向かいに座ってるハルキは〝おねえさん〟みたいに食べさせてくれるべき! あーんっていう奴!」

「どこで覚えたんだ? そんな言葉」

「〝おとうさん〟が教えてくれた!」

「オタク養成英才教育!?」

 そうグイグイと男の憧れのシチュエーションを催促してくるので、仕方なくフォークを取り出し、それでアイの皿のうどんをクルクルと巻き取って、大きく口を開けたアイにうどんを食べさせてやる。

 口に物体を入れられて、刹那にビックリしたアイは体を強張らせた後、口内にある食物を確かめるように噛み締めたと思えば、

「味はフツーかな? だけど、食べた事ない感じだね」

「逆にお前らは何を食べて生きてきたんだ……?」

「固形の完全栄養食……みたいなものなのです……まぁ、私に味は良く分かりませんけど」

「……やっぱり? ここまできたら分かるわ」

 もう予想が付いていた事だが、パレトは味覚障害を患っているらしい。

 味覚障害にも種類がある。

 完全に味が分からなくなってしまう味覚消失から、特定の味のみが分からなくなってしまう解離性味覚障害、味を感じにくくなってしまう味覚減退など、その様相は千差万別だ。

 口を覆うバンダナを外した彼女の口、その口腔にはびっしりとギザギザの凶悪な歯が生え揃っており、口を開閉する度にカチカチと音を鳴らしそうだ。

「フッ、それが予想出来ていたからこそ、俺はあえて食べやすいうどんをチョイスしたんだよなぁ……迅速に褒めてくれ」

「ありが……うぅん……なんか、嬉しい配慮な筈なのに、それを認めるのは癪な感じがするのです。実はうどんが残っていただけとかでは無いのですか?」

「そうとも言う」

「やっぱり感謝の言葉は撤回なのですよ!」

『知らぬが仏、だよ? パレト』

「そうだ、そうだ。悠来さんを褒めろぉ」

「私が代わりに褒めてあげよっか! 後、もう一口! あーん!」

「お前が言うのか……」

 アイは相変わらず口を開けて待機しているし、イアは澄ました顔で気にせずうどんを食べているし、パレトは釈然としない雰囲気を醸し出している。

 全く、賑やかになったものだ、と一日も経っていないのに、嘉地はそう思わざるを得ない。

 嘉地は何かを思い出す。

 大事な、大事な追憶。

 嘉地の原点にして、生きる指針。

 願わくは、これが永遠に、

 いや、そんな事を考えるべきではない。

 何故ならば、嘉地の個人的なエゴに彼女達を付き合わせる訳にはいかないからだ。


 狂熱と熱狂の饗宴も終わる。

 宴もたけなわ、という奴である。

 まぁ、そこまで盛り上がってはいなかったか。

 嘉地の分の食事は、食い意地を張ったアイとイアに殆ど奪われてしまったので、泣く泣く腹の虫を鳴かせる始末となった。

 流し台に積まれた皿の数が、いつもよりも多いので、少しばかり洗うのが大変かとも思うが、それ以上に形容し難い、言い知れぬ感情がうず高く募っていく。

 白色をした陶器が鳴らすカチャカチャという小気味良い音と少女達の鈴を転がしたような声が壮麗な調べとなって、嘉地の耳朶を打つ錯覚すら覚える。

 今夜、三人には嘉地の寝室のベッドを使って寝て貰う事にした。

 別に、倉庫兼客室で寝ていただく、という意見があると思うが、あそこはただでさえ足を踏み入れる機会が少なく、これでもかと埃が舞っている状態なのだ。

 当然、最低限の掃除はしているが、やはり使わない部屋というものは、普段使っている部屋と比べても、意識が向きにくいのか、汚れが溜まるのが早い。

 嘉地には、そんな部屋で幼気な少女を寝かせるなど、例え神に絶対の勅令を受けたとしても出来ない事だ。

 という訳で、もう既に時刻は深夜に近い。

 雨足も完全に勢いを失して、曇天の灰色と闇夜の藍色が混じった鈍色の夜空の合間から、雲隠れして全容の見えない、眩い月輪の耀光が嘉地の寝室に差してくる。

 純白のシーツが掛かった、三人で使うには狭いシングルベッドに、仲睦まじく(実際は落ちないようにする為だろうが)身を寄せ合って、三人の少女は物珍しそうに寝具の柔らかさを確かめている。

 見ているだけで口元が思わず緩んでしまう、微笑ましい光景だが、それを永遠と鑑賞する訳にもいかないだろう。

 疲れからか、既にウトウトと微睡んでいる様子の三人の少女に、嘉地は緩慢な調子で毛布を掛けてやる。

「……ハルキ……私の目……見すぎたら……目、見えなくなっちゃうよ……?」

 寝ぼけているのか、目隠しを外したアイは、幾何学的な紋様が煌めく蒼穹の瞳で嘉地を捉えながら、うつらうつらとした調子で言ってくるので、

「安心しろ。失明は感染するものじゃない。隠さなくてもいいんだ。綺麗な瞳だしな」

 まぁ、白内障や緑内障、トラコーマ角膜感染症など、感染するかどうかは失明の原因にもよるのだが、そこは安心させる為に置いておこうと思う。

 その言葉を聞いて、的外れといった様子で胡乱な顔をしたアイは、それでも嘉地の不器用な気遣いの言葉が心に残ったのか、嫣然と微笑んで、

「……ハルキって〝おにいちゃん〟みたいだね」

 そんな柔和な穏やかさを伴った声音が耳朶を打った嘉地の顔は、俄かにピンっと緊張して、徐々に表情が険しいものへと変わっていく。

 激しい悪感情の渦を巻いた胸中を収める為に、一瞬だけ静かに瞑目して、三人に気取られないように、努めて平静を装う。

「…………俺は、そんな立派な人間じゃないよ」

 独り言のように、静かに口の中だけで反響させた戒めの言の葉は、誰の耳に届く事も無く、大気に霧散して消えていく。

 嘉地が寝室の灯りを消す為に、壁際の電灯スイッチに向かったところで背後に振り向くと、三人の少女は既に可愛らしい寝息を立てていた。

 カチッという、掠れて空虚な音を立てて、寝室は微かな月光の差す暗闇に落ちる。

 漆黒の闇は、人々に恐怖を思い起こさせるのと同時に、見方を変えてみれば、安らかで限りの無い夢想を与えるのだろうか。

 ガラにもなく、ノスタルジックな感傷に誘われて、哲学的な思考をしてしまうのが、何だかおかしい。

 嘉地はネガティブな感情を自嘲気味に笑い飛ばして、どこか落ち込んだような足取りで寝室から出て行こうとする。

「――〝ソーマ〟……」

 ――寝室の扉が閉め切られる直前に、パレトが寝言のようにひっそりと、寝苦しそうに呟いたのを、嘉地悠来は聞き取れなかった。

 扉が閉じる。

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