目指すべきは、書き手でもある読者を感動させる作品なのかも、と思った話。
書き手になった瞬間から、自分は純粋な読み手じゃなくなってしまった。
そんなふうに感じることってありませんか?
私は、そう思うことが増えてきました。
執筆を始めてから数年が経って、なんとなく書きつける、というところから構成を考えて書くようになった頃。
ドラマや漫画を観ていると、
「ああ、これは次にこういう展開がくるな」とか
「この登場人物は、こういう役割でここにいるんだ」とか。
そういうことが思い浮かぶようになってしまったんです。
そのことに気づいた当初は、
ああ、他の作品から自分が書くことについての研究をしているんだ、と思っていたのですが……。
それって、純粋に作品を楽しめてないのでは?
え~。
なんかちょっとショック……。
わくわく、ドキドキしながら没頭する感じから、明らかに一歩も二歩も引いて観ちゃってるんですよ。
や、確かに書き手としては客観的な視点はとても大事だと思います。
自作品を俯瞰でみる、読み手目線でみる、ということは必要です。
じゃないと、独りよがりな作品になっちゃいますものね。
でも、やっぱりさみしいような気がしました。
作品で感動する、ということまでの道のりがちょっと遠くなったようで。
そこで、ふと思い出したのが自分で昔書いた”感動”に関するメモでした。
もうだいぶ前からなのですが、いいな、と思った言葉や文章、ピンときた出来事をスケジュール帖に書き留めています。
確かこの辺に……。
ありました! 2017年のスケジュール帖巻末のメモに書いてました。
・「感動」とは、心が動かされること。
自分で計画したことにはあんまり感動しないと思う、と下線して書いてました。
……2017年の私は知っていたみたいです。
そうですよね、確かに自分が予め分かっていることには感動しないかも。
だとすれば。
書き手が読み手目線で見ることが難しいのも、当たり前です。
だって、書き手は創作した世界の裏事情を知っている訳です。キャラクターの生い立ちから癖、表に出さない町の裏設定まで。
え。面白い。
昔の私(笑)
他にも、何に人は感動するのか、ということも書いてました。
「美しさ」「過度な刺激(+、-)」「真実」「新しい考え方、物の見方」「自分の内面とシンクロした時」
……そうかも。
美しさに関しては、まあ、説明不要というか説明しがたいことなので割愛します。
過度な刺激、はテンポの速い展開やアップダウン、エロ・グロといった激しい描写になりますかね。
真実と新しい考え方、物の見方は……
ん?真実とはなんぞや。
でも、それを考え始めると脇道に逸れまくってしまうので、ここではひとまず真理や本質、と置き換えます。
本質を突く言葉って、相手をはっとさせますよね。
なにか、気づきを与えます。
その瞬間、やっぱり人は心が動いているんじゃないかと思います。
最後、自分の内面とシンクロした時、については。
その人が抱えてる課題や心情と重なる登場人物には共感しやすいですし、彼らが課題を乗り越えていく姿に感動を覚えます。
なんか、書く上でヒントになりそうな考え方につながりそうです。
うん。結構こうやってメモ取るのも案外いいですね。
時々、見直すと発見があります。
もしかしたら、つい俯瞰で見てしまうような書き手も感動させるような作品っていうのがたくさんの人を魅了するものなのかな、なんて思いました。
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