【第二幕完結】神式駆動カーニバル
三枝零一
第一幕
序ノ舞
大蛇を斬る
「いいかい? 世界に
「はい?」
いきなり学校の授業みたいな話を始める先輩に、僕は間抜けな声を返した。
朝一で叩き起こされて着替えもそこそこに引っ張り出されてスマホの時計はまだ六時。申し訳ないけど今ひとつ頭が追いついていない。
「学術的には
「いえ、それはもちろん知ってますけど」
眼下の雄大な光景にぐるっと視線を巡らせる。
島根県は出雲平野の上空五百メートル。朝日に照らされた北山山地の青々とした稜線が美しい。
じゃなくて。
「それとこの状況にどういう関係が?」
「もちろん実地訓練だとも」
巫女装束の
清楚な黒髪ロングを星形の髪留めでまとめた先輩の指先には、ひらひらと頼りなく揺れる神符が一枚。
その紙切れが僕と先輩が座っているこのもふもふした足場を──つまりは十メートル近い大きさの鴉を形作っているんだから、考えてみたら恐ろしい話だ。
二十一世紀の真ん中くらいに体系化された「量子神道」は科学も宗教も呑み込んで世界のあり方をがらっと変えてしまった。
何しろ、神様の御利益にはエネルギー保存則も一般相対性理論も通用しない。
素粒子一個一個に祈って物理法則が突破できるなら、人類は科学より宗教をあてにする、というか「信仰が科学の法則として解体され、再構築される」。
かくして近世ヨーロッパの宗教改革から数百年の時を経て宗教と科学は再び幸せな再婚を果たし、国家間のパワーバランスがめちゃくちゃになったり世界経済がひっくり返ったり終末戦争が起こりそうになったりなんやかんやで持ち直したりして、時は西暦二一〇〇年の現代に至るというわけだ。
「
「受かるって決まってませんよ」
「もちろん受かるとも。私の後輩だからね」
先輩はにやっと笑って眼下に広がる緑の平地の真ん中、いかにもな感じの馬鹿でかい施設を指さし、
「そこで一足先に現場の空気を体感してもらおうというわけだよ。……ああ、我ながらなんて後輩想いな先輩なんだろう」
「あ、さては後先考えずにバイト引き受けて一人じゃ手に負えなくなりましたね」
「うーん、素晴らしい洞察力だね。さすがは私の自慢の後輩」
悪びれた風もなく笑う先輩に仕方ないなあって頬をかき、細い指が示す先に目を凝らす。
この高さからでもはっきりとわかる。幾つかの四角い建物を取り囲むみたいにして配置された、とんでもない大きさの真円形のリング。
そのリングをさらにぐるっと囲んで、もやもやとした影がとぐろを巻いている。
リングの周りに広がっていた草っ原とか田んぼとか住宅地とかは地面ごと挽き潰されて、むき出しになった土にはらせん状の太い溝が残されている。
蛇みたいな影はその溝の上を悠々と這い回り、時々、威嚇するみたいにこっちに鎌首をもたげている。
「信仰心の賜物さ。素晴らしいね」
視線で問う僕に先輩は肩をすくめて、
「簡単な話だよ。終末思想にかぶれたとある新興宗教の教祖様が、こんな山奥に粒子加速器をこしらえて、神性を付与したストレンジクォークをぶん回した。結果がこの有様というわけさ」
ははぁ、と納得。その教祖様とやらがクォークをどんな神格実体に見立てたかはだいたい想像が付く。
いつまでもぐるぐると周り続ける無限の円環。
自分の尾を追いかけてどこまでも巡る始原の蛇。
「つまり、あれってウロボ……」
「おっと、それ以上はいけないよ、御厨君」
先輩は人差し指で僕の口を塞ぎ、
「幸いなことに、あれを顕現させた教祖様と信徒共は真っ先に下敷きになってお亡くなりになってくれてね。おかげであの蛇にはまだ名前が無い。だから今のところ、近隣に被害を出す程度で済んでいるというわけさ」
「あ、なるほど」
つまり、あの影みたいな蛇が何者であるかを定めていたのはその宗教の教祖と信徒達だったんだろう。
そいつらがまとめて消えたことで、蛇を正しく神として崇め奉ることが出来る者がいなくなってしまった。
要するに、鎮めるなら今のうちってことだ。
「ってことで、さっそく始めようか。手早くぱぱっとね」
「いいですけど、サポートお願いしますね」
よっ、と軽く立ち上がり、先輩に向かってひらひら手を振る。
深呼吸を一つ。助走をつけて馬鹿でかい鴉の背中からジャンプ。
たちまち叩きつけるものすごい風圧。
先輩の巫女装束とよく似たこの白と赤の服はれっきとした陰陽師の正装。本当は
眼下の粒子加速器──というかそれを取り巻く影の蛇に向かって真っ逆さまに自由落下。
こうして観察してみるとあらためて大きい。加速器の直径がたぶん三キロメートルくらい。ってことは、あの蛇の全長って一〇キロとかそのくらいなんじゃ。
「だいじょーぶだよ御厨くーん! どんなに大きくても蛇は蛇だ。頭さえ潰せば終りだよー」
頭上の遠くから先輩の脳天気な声。くるっと身を翻して手を振り、
手のひらくらいの紙の上には、目では到底見えない、針の先のさらに何万分の一サイズの細かな文字がびっしり。
僕の手を離れた何百枚っていう神符が、一緒に落下しながら空中で互いに貼り合わさって形を為していく。
素粒子一つ一つに神が宿るなんて言っても、普通の状態でそこらの空気分子に含まれるクォークだのレプトンだのが神格──つまりは神様としての人格を獲得して『祝い』だの『呪い』だのをまき散らすなんてことは起こらない。もしそんなことになったら世界の神性の総量が
いや、純粋な神道にはもちろん魂が輪廻の輪から脱出して世界の上部構造にシフトするなんて概念は無いんだけど、この辺は神仏習合のあんまりよくない影響だ。
まあそれはともかく、そこらに普通に存在している物質は何もしなければただの物質のままだ。もちろん全ての素粒子は最小単位の神性を宿してるんだけど、それが実際に神様として動くわけじゃない。
じゃあどうするかって?
もちろん「名前を与えてやればいい」。
人類が古来から行ってきた営みの延長だ。天地自然の法則、地震や洪水なんかの天災、果ては「死」や「老い」みたいな不都合な概念──そういう物を神と見なすことで、わけのわからない事象を「理解可能」で「制御可能」な存在に置き換える。
神符に刻まれた目では到底見えない細かな文字は、素粒子一つ一つを一時的に神として奉るための仮の名。
その微少な神格を束ね、統合して、神威を顕現せしめるのが量子神道の神事、「
狩衣の袖からスマホを取り出してアプリを起動する。人間の可聴域なんか無視して高圧縮された数万の
形を成すのは、僕の身長の三倍はある馬鹿でかい銃。
落下しながら手のひらを触れ、光で編まれた半透明の銃に名前を与える。
「──
太古の神産みにおいて
超高速で循環する爆発的な神性が、大気を加速してプラズマ化する。
西暦二一〇〇年の陰陽師は、もちろん荷電粒子砲くらいぶっぱなす。
「諸々の禍事、罪、穢有らむをば、祓え給い清め給え」
夜明けの朝靄を貫くのは、太陽よりも高温の熱線の槍。
大気を赤熱させて走り抜けた光が、影の蛇に身動き一つする隙を与えず、馬鹿でかい頭を一撃の下に消し飛ばす。
力を失った蛇の巨体が音も無く地面に倒れて動かなくなる。ゆらゆらと揺らめく巨大な影が表面から少しずつ拡散を始める。
「やぁ、お疲れさまだね」
いきなり足下に柔らかい感触。いつの間にか降下してきた先輩が、鴉の翼で僕を受け止める。
「見事な
「いや、先輩もちょっとは手伝ってくださいよ」
日本人形みたいな端正な顔を出来るだけ不満そうに睨んでみる。
先輩は「まあまあ」なんて手を振り、
「そんなにむくれないでおくれよ。バイト代は弾むし、帰りは寝ていてくれれば良いからさ」
しょうがないなあ、なんて頭をかく。バイト代って言っても手料理おごってくれるっていう話に決まってるんだけど、嬉しくないのかって言われたらものすごく嬉しいから断れない。
「安全運転でお願いしますよ。この鴉、毎回めちゃくちゃなスピードで落ちそうになるんですから」
僕は肩をすくめて、ちらっと眼下の平原に視線を向け、
──かすかな違和感。
頭部を失った影の蛇の巨体が、身じろぎするみたいに蠢いた。
*
とっさに先輩の体を抱きしめて飛ぶのと、轟音が迫るのが同時だった。
空中で身を捻って振り返る僕の目の前、柱みたいに突き出した巨大な影は、取り残された鴉の体を巨大な口で丸ごと呑み込んでいた。
無数の牙に砕かれたように見えた鴉が、光の紋様に解けて真っ黒な
先輩の体を柔らかい羽の上に降ろして、急いで眼下に視線を巡らせる。
地面からは次々に突き出す新たな影。
最初に倒したのを合わせて全部で八本。胴体の真ん中辺りで繋がり合った八つ首の蛇の影が、それぞれに鎌首をもたげて僕たちの周囲をゆっくりと取り囲む。
「なるほど! 道理だね!」
先輩が指さす先、眼下の施設を見下ろして思わず「うげっ」なんて声を上げてしまう。
影の蛇に吹き飛ばされて掘り起こされる形になった地面の下。
粒子加速器の巨大なリングからは、枝分かれした幾つもの支線が全部で八方向に突き出している。
「中央のリングだけじゃ加速器は作れない。粒子をリングに撃ち込むための射出ラインとか加速を終えた粒子を利用するための取り出し装置とか、複数の枝分かれが必要になる!」
「でも先輩、いくらなんでも八本は多すぎじゃないですか? あれじゃまるで」
「だね! まるで八岐大蛇だ」
「ですよね! 八岐大蛇」
二人で顔を見合わせて、「あっ」なんて声。
瞬間、巨大な蛇の影の内部で、爆発的な神性が膨れあがる。
影の蛇が見る間に形をなす。全長一〇キロはある巨体が緑の鱗に覆われ、八つの厳めしい頭に角とたてがみが生える。
もはや蛇とは呼べない、これは龍だ。
八つの谷、八つの峰にまたがる巨体を誇る、伝説の山神、あるいは水神。
「まったく困ったことをしてくれたね、御厨君」
「いや、最初に言ったの先輩ですよね?」
ぷいっと視線を逸らした先輩が両手の神符を複雑に動かすと、足下の大鴉が素早く動いて頭上から迫る顎をかわす。
そのまま僕たちを乗せて遙か上空まで飛び上がる鴉。
と、すっくと立ち上がった先輩がものすごく偉そうな顔で腕組みし、
「ま、これも作戦通りというやつだよ! 八岐大蛇ならウロボロスより遙かに御しやすい。何しろ、私たちの領分だ!」
「あ、やっぱりそういう感じになるんですね」
諦め半分で頬をかき、
「良いですけど、今度こそ手伝ってくださいよ?」
「人聞きが悪いよ、御厨君。さっきは君だけで十分だから見物させてもらっただけだとも」
先輩が巫女装束の袖を一振りすると、何千枚っていう数の神符が辺り一面に紙吹雪みたいにまき散らされる。
では、なんて気安い声。
立ち上がる僕の背中を手のひらで押して、先輩が諸共に鴉の上から飛び降りる。
「さあ! ショータイムの始まりだよ!」
叫んだ先輩が白い袖を一振りすると、周囲の符が寄り集まって銃を形成する。
銃身が身長の倍くらいある細身のライフル銃。
先輩が空中で旋回しながら次々に引き金を引くと、放たれた注射器型の弾丸が八つの首、凶悪な牙と牙の隙間に正確に滑り込む。
よしっ、なんて拳を握りしめた先輩がすぐに瞬きする。その目の前で大気が渦を巻き、真っ赤に裂けた龍の巨大な顎が細い体を丸呑みする寸前まで迫る。
だけど、そんなのは全部、計算通り。
細い腕をひょいっと掴んで背中にかばい、右腕を振り上げる。
「──須佐之男命!」
無数の符が寄り集まって瞬時に形を成す。鳴り響くすさまじい衝撃音。寸前で弾かれた龍の首が、紫色の血をまき散らしてたじろいだみたいによろめく。
目の前で形を成すのは、光で編まれた巨大な腕。
金属の装甲に隙間無く覆われた煌めく腕が、固く握った拳で龍の首を正面から殴打する。
肉がひしゃげる鈍い音。今度こそ後方に吹っ飛んだ龍の首が、その身を大きくたわめてゆっくりと体勢を立て直す。
続けて今度は左と後方、二つの首が襲いかかる。
先輩を抱きかかえて落下しながら、今度は右腕と右足をそれぞれの頭に向かって振り上げる。
金属の腕が首の一つを殴りつけるのに合わせて、空中に現れた同じく金属の足がもう一つの首を真横から蹴り飛ばす。爆発的な神性が閃光と衝撃をまき散らし、吹き飛んだ龍の首が遙か眼下の地上に叩きつけられておびただしい量の土砂を噴き上げる。
「良い調子じゃないか御厨君。──さあ、『神式駆動』開始だ!」
先輩が僕の背中に手を押し当てると、無数の符が次々に集まって人を模した巨体を形作っていく。
輝く金属の装甲に覆われた二本の腕と二本の足、太古の装束の面影を残した未来的なデザインの鎧。どこかすらりとして優美なシルエット。頭部を覆う仮面の奥に輝く二つの赤い目。
西暦二一〇〇年の陰陽師は、もちろん巨大ロボットくらい召喚する。
巨大な金属の手のひらが、僕と先輩の体をふわりと受け止めて肩に座らせる。
全長数百メートル。龍の頭より一回り大きな輝く巨人が、襲いかかる巨大な顎を次々に打ち据え、蹴り飛ばし、鼻先を掴んで轟音と共に地面に叩き落とす。
と、ゆっくりと鎌首をもたげた龍が、急におかしな動きを示す。
まるで平衡感覚を失ったみたいに、八つ首の龍はその場でふらふらと前後運動を始める。
「ようやく効いてきたね。
先輩がにやっと意地の悪い笑みを浮かべ、
「さ、御厨君。とどめの時間だよ!」
うなずいて手を伸ばし、周囲を漂う神符を素早く指でなぞる。
ゆっくりと息を吐き出し、柏手を一つ。
宙に舞った神符が須佐之男命の手の先に集まり、輝く巨大な剣を形作る。
「──
またの名を
たじろいだように身を引く八つ首の龍を前に、巨人は長大な剣を流れるように一閃する。
「諸々の禍事、罪、穢有らむをば、祓え給い清め給え──!」
光が爆ぜる。輝く刃が旋回するのに合わせて迸った光の奔流が、それ自体が巨大な刃であるかのように虚空を両断する。
たったの一太刀。流れる光の刃は逃げ惑う八つの首に次々に激突し、そのことごとくを一切の淀み無く斬り飛ばす。
瞬時に全ての首を失った龍が直立したまま動きを止め、瞬きの内に光に溶けて消える。
──静寂。
息を吐く僕の隣で、先輩がものすごいドヤ顔で胸を張った。
*
ばさばさと翼が羽ばたく音で目が覚めた。
ゆっくりと目を開ける僕に、先輩は「おや」と微笑んだ。
「お疲れ様、今回も見事な手並みだったね」
細い手がほわほわと髪を撫でる。それで気付いたんだけど、どうやら僕は先輩に膝枕されてるらしい。
ここは先輩が操る大鴉の式神の上。
家にたどり着くには、まだもう少しかかりそうだ。
「あんな大物が出てくるとは私も聞いてなかったんだけどね、おかげで上手くいったよ」
本当かなあ、なんて疑いの目で先輩を見る。そもそもこの人は大抵の問題は自分一人で片付けてしまえるんだから、僕をバイトに連れてきた時点でとんでもないのが出てくるのは織り込み済みだったんじゃないのか。
「む、なんだねその顔は。何か不満があるのかね」
「あるに決まってるじゃないですか。だいたい先輩はいつもいつも僕をろくでもない仕事に巻き込んで……」
言い終わるより早く、唇に柔らかい感触。
とっさに言葉を飲み込む僕を見下ろして、先輩が照れたみたいに笑う。
「……こんなんじゃ誤魔化されませんからね。ちゃんとバイト代払ってもらいます」
なんて口では言いつつも、今度は自分の方から先輩の首に両腕を回して顔を近づける。
ちょんと、もう一度唇に柔らかい感触。
「……今日の御厨君は意地悪だなぁ」
先輩はほんのり赤くなった顔で視線を逸らし、
「どうだろう。ここはすき焼きということで手を打つのは」
「国産牛。店で売ってる一番高いやつで」
「うわ、何て強欲なんだろう、この後輩は」
わざとらしく肩をすくめた先輩が、ふふっと小さく笑う。
僕も釣られて苦笑。
結局、何をどうやったって、僕はこの人には逆らえないのだ。
「それにしても、何だか懐かしいね」
先輩は遠くの空を見上げて目を細め、
「覚えているかい? きみと初めて会ったのも、ちょうどこんな空の上だったよね」
「もちろん覚えてますよ。……あの時の先輩、格好良かったなあ」
「おや、今は違うのかい?」
「え……そりゃ、今も格好いいですけど」
答えの代わりに手を伸ばして、白い頬をそっと撫でる。
微笑む先輩の向こうには、透き通った一面の青空。
僕は目を閉じ、一年と半年前のことを思い出していた。
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