アキハ
地上にはいつも驚かされる。ほんの少し目を離せば緑が駆逐され、土地が活気で満ち、天に聳える摩天楼が乱立している。地上の発展は祈りの増加に繋がるから天界としては喜ばしいこと。でもボク個人としては手放しに喜べなかった。
だってせっかく未知を散りばめた冒険の舞台を用意したんだ。地上に住まう人間には世界中を練り歩いてワクワクを堪能してもらいたい。じゃなきゃ大切な約束を反故にして感情を手に入れた意味がない。
ちょっと遅めのティータイム。前から気になっていた喫茶店に来てみた。会場から離れたこの店なら面倒くさがりの葵に見つかることもないだろう。それに今はあの子の顔を見たくない。
風が吹き抜けるテラス席は心地いい。陽射しもポカポカと暖かいし運がいいことに周りに誰もいない。隠れ家みたいでロケーションは最高。でもハーブティーの味はイマイチ。おそらくここにはもう来ないだろう。
葵、今頃怒ってるかな。いつも怒りの感情を剥き出しにするくせ、口調は穏やかだからボクでも恐ろしいと感じる時がある。どうしてもこれから会うやつと葵を会わせたくなかった。
苦渋の決断の末、「アキハ」より「ボク」を優先した。
にしても……遅い。
まぁ、待ち合わせをしているわけではないのだけれど、めざといアイツならボクの誘いに気づくと思った。あれほど不味いと思った紅茶もすでに空。たまにはアイツが淹れてくれた紅茶も飲みたいな、なんて。
っと、ボクとしたことがうっかりしていた。葵に借りたコレ、返すタイミング、なくなっちゃった。今から会ったらボクの決心が揺らいじゃう。かといって葵のありったけの感情が込められたものを他の誰かに託したくない。
しょーがない。アイツも来ないようだし葵の家に置きにいこう、と思った矢先、目の前に湯気が立ったティーカップが現れた。鼻腔を蕩かすフルーティな香りは何年経とうと変わらない。ちょうど飲みたいなって思ってた。
「久しぶり。元気してた?」
ご自慢のブロンドヘアーは今日も輝いている。昔と変わらず手入れを欠かしていないようだ。ボクなんかよりずっとずっと身体が大きくて天界で一番「男」に近いくせ、ボクより几帳面で手先が器用。湯上がりのボクにいつも生乾きを注意してくる。
だけど髪を拭うだけボクはまともだ。「彼」が風呂上がりの葵を見たら卒倒するかもしれない。
「こうしてお会いするのはいつ以来でしょう」
「さぁ、ボクも覚えてないや。今回ばかりはきみに助けられた。今日は無礼講でいいよ」
そうはいっても「彼」は肩の力を抜かず、堅苦しい雰囲気を纏っている。ボクの出方を窺っているのかもしれない。ならいつもどおり、ボクはボクで話を進めよう。
「にしてもあの賛美隊は優秀だね。思ったより到着が早かった」
「摂理の崩壊への対策は天界の最優先事項ですから。天界を留守にしている方はお忘れでしょうけど」
……あれ、言葉に棘があるような。
ま、まぁ、無礼講といった手前、引っ込めるわけにはいかない。
「摂理の崩壊が生じたと思われる現場に急行しましたが駆けつけた時には崩壊は消失し、地上では感情が暴走しておりました。直ちに賛美隊を派遣して現在は沈静化。引き続き摂理の崩壊との関係性の調査を——」
「ん、この件からもう手を引いていいよ。ボクが全部把握してるから」
「で、ですが」
まぁ端からこれで納得してくれるとは思っていなかった。
「……せめて私には本当のことを教えてください。今回の件と、あの少女のことも全て」
「あの子のこと知ってたんだ」
正直意外だった。気づけば必ず葵に接触すると思っていた。
「ここひと月に渡り、天界では不規則な天使の存在を何度も検知しております。その残滓を調査したところ天使の格好をしたあなた様、それとあなた様と仲良く談笑する少女を発見いたしました」
「なら天界は全部お見通しってわけね」
「いいえ」 「彼」はかぶりと振る。
「この調査は私一人で行いました。本来であれば積年の恨みに則って天界に報告したでしょう。ですが私の独断で様子を見ることに」
積年の恨みなんてとんでもない。それではボクが悪代官みたいじゃないか。
それはさておいて「彼」の瞳は嘘をついていない。ボクには確信がある。毎晩、葵がお風呂に入っている間に服の匂いを嗅いで天使の残り香がないか確認してたんだ。他の天使が接触していたら気づいていた。
「ん、きみを信じるよ。で、ボクたちを観察してどう思った? ラブラブだったでしょう」
ここまで冷静に事を進めていた「彼」だが、とうとう苛立ちが爆発した。
「いいですか! 私は天界を裏切っているのです。ならばせめて知る権利があってもいいではありませんか」
「わぁかったよ、全部教えたげる」
天使が天界の意思に反するなんて禁忌に等しい行為。遅かれ早かれ天界が知るのであれば、報酬としての価値がある今、包み隠さずぜーんぶ話すのが最善に違いない。
原罪から免れた少女と出会い、大切な名前をもらってから共に歩んだ日常を話した。
葵ってしょっちゅうボクに文句を云うけれど、あの子だってだらしない。本人は鳥越葵の設定だからと云い張るが、あれは絶対「素」だ。それこそ髪を乾かさずに寝るし意外とケチで偏食で、人付き合いが面倒だと云いながら話しかけられると嬉しそうに話す。盤上遊戯は負け知らずでも電子になると下手くそだったり。
それからえっと、なんだろう。これまで生きてきた時間に比べれば刹那なのに葵との思い出は尽きない。続きは天界で、最後は葵に隠していたボクの推理で締めた。
「——つまり先ほどの摂理の崩壊は『原罪を背負わない人間が感情に従って動いた』から起きたと?」
「厳密にいうと葵にもちゃんと感情はあるんだけどね。感情が共わない行動は原罪の範囲外と見做されるみたい。初めてのことだからボクも疲れちゃった。下手なことをいえば葵に悪影響が出るかもしれないからアドリブで誤魔化して、なるべく地上に干渉しないように配慮して、おまけにハッピーエンドを導いて、おかげでもうへとへと。しばらく家に引きこもるね」
「では天界にお戻りで?」
「うん! もう満足した」
そう、満足した。十分満喫したと自分に云い聞かせる。
形は変われど人間の根本が変わらないとわかっただけで安心——
「あぁ! いたいた。もう、連絡もなしに抜け出して」
——はぁ、やっぱ葵はすごいな。一番会いたくない時に現れるなんて。これも黙って別れようとしたボクへの罰なのかな。
「誰かと話してた? アキハが迷惑かけてごめんなさい」
ボクが迷惑かけた前提で進められるのはちょっと心外。行く先々で迷惑を振り撒く問題児みたいだ。
葵は天使の「彼」にも一切動じず、深々と頭を下げた。しばらくボクと過ごしたせいで葵には天使も人間もそう変わらないのかもしれない。
葵とは対照的に初めて葵と対峙する「彼」は目を丸くしている。そりゃそうだ。天使を認識できることさえ異常事態なのに人間の少女が順応しているのだから。
「疑っていたわけではありませんが、本当に天使が見えるのですね」
その言葉ってハッとした葵は慌てて手櫛で前髪を整え、鳥越葵の真骨頂、よそ行きの仮面を被った。
「わたし、鳥越葵といいます。えっと、さっきは助けてくれてありがとうございました。天使さんの歌声に感動しました」
「あ、あぁ」
「やっぱり! アキハより神々しいので偉い天使さんなのかなって」
仕切り直しにさらに深く頭を下げる。これにもまた「彼」は戸惑う。
原罪を背負わない人間は矛盾した存在。同時に天界が警戒する摂理の崩壊を引き起こす爆弾。今回はたまたまうまくいっただけで次も成功する保証はない。いわば天界の敵。そんな相手が他の人間と同様に敬意を向けてくれば「彼」も困惑するのも当然だ。
さて、「彼」はどうする? ボクの予想では敵視する。
でも意外にも警戒心を解いた。どころか「彼」もまた人間相手に敬意をもって話しかける。
「葵様はこの方……いえ、このちんちくりんをアキハとお呼びで?」
ち……ちんちくりん、だと? 無礼講とは云ったけどさ、そこまで云うとただの暴言だ。
ほ、ほら、葵も困ってるじゃないか。お得意の作り笑いで大人の対応してる。これじゃどっちが子供かわかんない。
「えと、そうです。わたしの大切な場所にあやかって『アキハ』と……あ、それとも名前がありますか? この子に天界のこと訊いてもはぐらかすんですよ」
「なんとでも呼んでもらって構いません。ですがこの方は天界の——」
——おっと、そこまで。それ以上の真実は「アキハ」にいらない。
「え、どこに行った?」
「さぁ? 一足先に戻ったんじゃない?」
「それは残念」
紙一重だった。「彼」が怒ってたらあとで謝ろう。
秘密を守れたと胸を撫で下ろしたのも束の間。訝しげな視線を飛ばしてくる人間が一名。その目といい。滲み出る「疑心」といい、やっぱどこかで覚えがあるんだよな。
……あ、そっか。誰かに似てるなと思ったら、最初にボクの暇つぶしをしてくれたあの子にそっくりなんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます