16. 決戦の前日


いよいよ明日が決戦の日。出たとこ勝負と腹を括った以上はやることはない。

 一応は催涙スプレーとかスタンガンとか対人装備を用意することも考えた。が、よくよく考えると最近のイベントって危険物を持ち込ませないように手荷物チェックがあるんじゃないか。いくらこちらの正当性を訴えたって武器となりうる物を持ち込んだのはわたし。出禁で済めばマシな話だ。だから用意するのは困難に立ち向かう些細な勇気だけ。


 ただ運命を左右する日を迎える前にやり残したことがある。最後の一日になるかもしれない貴重な時間は恋焦がれる後輩のために使うことにした。


「日奈子が風邪だって」

「えっ、珍しい。元気が取り柄だって自慢してたのに」

「……神様はなにを考えてあの子を健康にしたんだろう。もう少し欠点を増やしてもいいのに」


 乗りなれた電車とはまた違う振動が足元に伝わる。ギラギラと輝く高層ビルの間を抜けたと思えば東京のシンボルマークの一つ、レインボーブリッジが顔を見せた。列車は徐々に加速して並走する車を追い越す。


 東京生まれ東京育ちのわたしですら都会を感じる。これぞ「シティ」、どこぞの混沌とはわけが違う。


「……懐かしい」


 お目当ての場所が見えてくると思わず声が漏れた。ここに来るのもちょうど三年ぶり。あの世界大会以来だ。

 駅を降りれば有明に聳え立つ逆三角形が出迎える。ゴールデンウィークだけあって家族連れが多く、人混みも上々。わたしが参加したようなゲームの大会はもちろん、年に二度開催されるあの戦争の聖地。東京に来てしばらくの小日向も来たことがなかったようだ。


「ここがビッグサイト」


 惚れ惚れとした反応が新鮮だった。なんせわたしの周りには歴うん十年の古参兵がたくさんいたのだから。


「なにか思い出す?」

「んんっと……ごめんなさい。なにも」


 しばらく様子を窺ってみたけれどピンとくるものはないようだ。


 実は今日は急遽決まったお出かけ。ビッグサイトに行くことは幕張に行った時点で決まっていたけれど連休中に行くより、来週開かれるホビーショーに行こうかと話をしていた。けれど明日のこともあって無理を云って時間を作ってもらった。前回の幕張の時のようにのんびりする時間は互いにない。


 もしもわたしが明日を乗り切ることができたなら、今年の夏の戦場に連れてくるのもアリだろう。会場の混雑を経験すれば思い出すこと可能性だって十分にありえる。本音をいえばそこまで時間をかけたくないが、こればっかりはわたしの裁量でどうにかできるわけじゃない。




「やっぱり東京ってすごいですね。画像で見るより迫力があります」


 滞在時間は一時間程度ほど。むしろ移動時間の方が長かったかもしれない。互いに謝りだすとキリがないと学習したわたしたちは、適当な感想を呟きながら切符を購入した。

 東京湾に面したこの場所は時折強い海風が吹く。いつものデニムを履いていたわたしは全く気にかけなかったが、おしゃれした女子高生には天敵だった。きゃあと小さな悲鳴をあげて靡くスカートを抑える様に「ははぁ、これが世間一般のリアクションなのか」と感心した。今度真似してみようか。また一つ「普通」を学べた。


「その、先輩。あまりジロジロ見ないでください」

「——っと、ごめん、つい可愛かったから」


 同性の女の子に可愛いと伝えるのはどうなのか、と云ったあとに思った。

 その直後、再び強い海風に煽られる。反射的に動いたおかげで今回はパンツは隠せたが、買ったばかりの切符が風に流されていく。だが『もんもん』での日々のおかげでうまく拾い上げることができた。


「はい、どうぞ……目にゴミでも入った?」


 渡そうとすると何度も目をぱちくりとする小日向。あぁ、そんなに目を擦ったらせっかくの化粧が崩れるじゃないか。大丈夫だと云われるが、それから車内でも口数が少なくなって心配だ。列車はまもなく新橋に到着する。


「センパイはゲームが上手いと聞きました。その、センパイも大会とかに出たことあるんですか」


 心配から一転、厄介なことになった。誤魔化すべきか本当のことを云うべきか。

 嘘をつくのは人間関係で最低な行為だって自覚している。わたしが本当に秘匿にするべき秘密は天使の存在、次点でアレキシサイミアであること。

 前者については今更説明するまでもない。世界の危機がかかっている。

 後者は……誰かを傷つけないため。

 だって今日みたいに仲のいい子と出かけて「なにも感じない一日だった」なんて云えるわけがない。わたしの笑顔も喜びも、全部演じていたものと知ったら彼女は傷つく。

 これはどんな医療を用いたって治らない。生涯ずっと付き合っていかなければいけないし、誰かとの思い出は全て虚構となる。


 アキハの存在を知ったことで序列が下がった「世界王者」という秘密に関しては二つに比べると知っている人は多い。家族、沼津店長、それから『もんもん』の常連さんたち。別に仲のいい人には教えてもいいと思うかもしれない。けど鳥越葵は面倒くさがりでツマラナイ日陰者という設定。それを崩すことはやっぱりアレキシサイミアがバレることに繋がる。いくら小日向が信頼できたとしても、わたしは自分の過去を打ち明けないと決めていた。


 だからごめんね。せっかく慕ってくれているのに嘘つきで。


「——実はわたしも小日向と似たような経験があるの。お父さんに連れてこられて、ここでゲームの世界大会を見学したことがあるの」

「え、それってどれくらい前の話ですか」

「三年くらい前……あ、でもね、その日はずっと会場にいたけど小日向がいうような男の子はステージに上がらなかった。それは断言できるし家でも調べた。期待させたならごめん」

「いえいえ! あたしたちって家族に振り回されるところとかそっくりなんですね」


 小日向は頬の筋肉をぎこちなく動かして笑っている。しかし感情のスペシャリストであるわたしは、笑顔の裏に隠された失望は見逃さなかった。


 今日、小日向と会えてよかった。沼津店長の夢を続けるため、そして小日向の人探し。

 これで生きる理由が二つできた。どうとでもなれと半ば破れかぶれだったのが、明日を絶対に乗り越えようという心構えになれた。

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