へっぽこミステリアスガール



「そういえばゴールデンウィークはどうしましょう」

「日奈ちゃんが行きたいところなら月の裏側だろうと連れていくさ」

「そこまではさすがに」


 学校一の美少女が恥ずかしそうにはにかんだ。


 学校中を騒がせた『空色幽霊騒動』から早くも三日が経った。人の噂もなんとやら。てっきり一週間は持ちきりになると思っていたのに、連休の影がちらつくと煙すら立たなくなった。むしろ話題にしようものなら流行遅れだとバカにされる。


 空色少女と唯一遭遇した俺と日奈ちゃんは一躍時の人となった。休み時間になれば話を聞きたいと他学年のやつまでやってきた。最初の頃は聴きにくる人全員が熱心に聞いてくれたものの、あれからなにも進展がないから同じ話を繰り返すしかなかった。


 みんなには黙っているけど「幽霊が青春を取り返そうとしている」という俺の仮説はとうに崩壊していた。こっそりうちの担任に頼み込んで在籍記録を確認してもらったが、在籍中に落命した生徒は誰一人いなかった。


 結局三日にして日常は元通り。天使に食いつくもの好きな連中は飽きるのも早かった。


 まぁ、連休に想いを馳せる人間はここにも一人。ただ今回の連休は楽しみばかりではなく焦りもある。恥ずかしながら時々、日奈ちゃんの本心を見失ってしまうのだ。


 この前の秋葉原はお目当てのものを買えたり空色幽霊(仮)に遭遇したり嘘がバレたり……散々な目に遭ったけど「楽しかった」と喜んでくれた。だからまた喜んでもらえるようにと昨日は中野に行ってみた。でもあの時見た笑顔は見られなかった。

 思ってみれば日奈ちゃんの好きなことを知らない。なんとかってアニメのことも誰かと話しているところを偶然耳にしただけ。どこぞのアキバオタクほどではないにしろ、彼女も自分のことを語ろうとしないタイプ。だから連休のデートこそ彼女が本当に喜ぶ場所に連れていきたい。あわよくば四谷日奈子の彼氏としての自信をつけたい。


「いつにしよう」

「五日、以外なら」


 うぐっ、よりによってその日か。五月五日はお台場でイベントがある。グルメフェスに花火大会、デートのど定番だから欠かせないと思っていたのに。そんな失望が表情に現れていたのか、日奈ちゃんに「ごめんなさい」と謝られてしまった。


「その日はイベントがありまして」


 イベント? もしかして同じことを考えて……って、そりゃないか。だったら一緒に行こうと誘ってくれるはず。

 落ち着け、こんなピンチこそアイツのように鉄仮面に徹するべきじゃないか。


「ん、わかった。誰と行くの?」


 咄嗟に出た言葉がど真ん中のストレート。慣れないことをするもんじゃないと猛省する。


 聡明な彼女はこうなることを予期していたように、自分の鞄の中から綺麗に折り畳まれたポスターを取り出して机に広げる。

 広大な青空で灼熱の息を吐くドラゴン、緑緑しい平原を駆け抜ける白馬、迸る稲妻を切り裂かんとする堕天使。

 ゲームの宣伝だろうか。この手の話題に疎いのが自分の数少ない短所。こんな時アキバオタクがいてくれればな。


「ゲームのイベント、あっ、ゲームといってもぴこぴこじゃなくて、世界的に有名なトレーディングカードゲームです。何年か前にアメリカで火事があったの覚えてます? その影響でしばらく開発が止まってたんですけど、今年になってまた発売されるんです。あぁ、懐かしいな。小さい頃は男の子に混ざって公園で遊んでたな」


 こんなに目を輝かせる姿、初めて見た。意気揚々と開発が変わった経緯を教えてくれたけど俺にはさっぱり。でもそんなに楽しみにしているのなら黙って引き下がるのみ。きっと小学校の頃の友達と一緒に行くのだろう。たとえ俺がその場にいなくても日奈ちゃんが笑ってくれるなら本望だ。


 だったら別の日に、と云いかけたところで目の前の日奈ちゃんがつんと口先を尖らせているのに気づいた。


「……予定があるとは云いましたけど、なにも会わないとは云ってません。わ、私の大切な思い出を、今度は肇くんと共有したいなって。ダメ、ですか?」


 昼休みの喧騒でも日奈ちゃんの振り絞った声はハッキリと届いた。気づけば彼女の耳は真っ赤。

 そうか、日奈ちゃんも勇気を持って歩み寄ってくれるなら、俺が努力すれば済む話。ゲームのイベントなんてほんとはこれっぽっちも興味ないけど、未知の領域に踏み込んでみるのも面白いのかもしれない。

 

「そんなことない! うん、うん、一緒に行こう」


 真っ赤に染まった顔を恥ずかしそうに手で覆いながら小さく頷く日奈ちゃん。こんなやりとりでも順調に仲が深まっていることを実感できた。

 身の丈に合わない恋愛だと何度思ったことか。面識ないやつからすれ違い様に嫌味を云われたり下駄箱に悪戯されることも少なくなかった。そんな奴らを見返せるように、四谷日奈子の隣に相応しい男になるのが俺の夢だ。


「はっ、くだらない茶番だな」


 ほら、早速嫌味が飛んできた。

 でも裏でコソコソするよりか正面から冷や水をかけてくる方がマシだ。嫌味の出どころ一ノ瀬は本を片手にこちらを睨んできた。単に性格が悪いと片付けることもできる。けど嫌味を云いたくもなる気持ちも多少理解できる。むしろ嫉妬しない方がおかしい。


 けど俺だって文句を云いたい。ここ最近の一ノ瀬はずっとイライラしていて感じが悪い。授業中だって自分で消しゴムを落としておいて舌打ちするし。

 ま、不機嫌の元凶は格下だと舐めていた相手に完膚なきまでにボコボコにされたから。秀才にもこんな子供っぽい一面があると思えば憎めない。俺はコイツを嫌いにはなれない。


 でもそれも今日で終わり。俺に当たるなら兎に角、日奈ちゃんに危害が及ぶのであれば話は別だ。

 ここは慈悲深い淀橋肇様が積もり積もった一ノ瀬の苛立ちを消してみせよう。


「あれれ? そんな態度でいいのかなぁ? 俺知ってるんだけどな、お前の敗因」


 いつもの嫌味のお返し。意地悪してちょっと餌をちらつかせる。食いつきはどうだろう。けどクラス一の秀才が見えついた餌に飛びつくわけ——


「ほ、ほんとか! 教えてくれ、後生だ、頼むっ」


 あまりに食い付きぶりに仕掛けた本人が尻込みしてしまう。冷静沈着な彼がこんなに感情を露わにするとは考えもしなかった。これには静かに様子を見守っていた日奈ちゃんも目を丸くしている。

 ジャブのつもりが想定外な反応だけに断るに断れず。しょうがない、ここは目の前を転がっている友情を拾うとしよう。でも一ノ瀬が大声を出したせいで教室中の視線を集めてしまったから場所を変えるか。


「ごめん、ちょっくら片付けてくる」


 大切な彼女との時間を捨てて友情を取るなんて、あぁ、俺ってなんて男らしいんだ。でも「私よりこのメガネを選ぶわけ?」と怒られるかも。


「だったら私も聞きたい」


 これもまた意外だった。日奈ちゃんってアキバオタクに興味あったんだ。

 ま、アレとは程々の関係が適切だ。長い付き合いの俺がいうのだから間違いない。ただ、一ノ瀬が負けた理由を知りたいだけかもしれないけど。



    ◇



「えぇー、本日はアインシュタインの再来と謳われる淀橋肇の特別講義を——」

「御託はいい」

「バカと天才はなんとやら、ですね」


 ちぇっ、ちょっとくらいいいじゃないか。秀才二人を差し置いて偉そうにできる絶好の機会なのに。

 

 賑やかな教室から一転、ここは足音すら反響する閑静な廊下。内緒話をするにはうってつけの、忌々しい因縁もある場所。

 重要な話をする時はその場の空気感が大切。相対性理論だって渋谷の交差点じゃただの雑音だ。真面目な話をするには聴衆の協力が必要不可欠なのだ。


「……ま、いっか。先に結論から云おう。一ノ瀬の敗因は——鳥越葵に勝負を挑んだこと。異次元の強さを持つ化け物の正体を見抜けなかった。それが敗因」


 それを聞いた瞬間、張り詰めていた一ノ瀬の顔がほろりと綻んだ。


「は、はぁ、じゃあなんだ。あの地味っこが大富豪の世界王者とでも?」

「大富豪に限った話じゃないんだよな。ババ抜き、神経衰弱、ポーカー、いろんなゲームをやったけど一度だって勝てなかった」

「それはお前が弱すぎるからでは?」

「あー肇くん、ゲーム全般クソザコですもんね。じゃんけんでも必ず最初はパーですし」

「ひ、日奈ちゃん?」


 なぜ傾聴する立場なのに攻撃してくるのだろう。それにクソザコって……ちょっと傷つく。そんなに俺って弱い?


「……ま、なんとでも云えばいいさ。アイツの実力は否定できないし。なぁ?」

「うぐぅ」


 あの敗北から一ノ瀬は変わった。以前ならアガサ・クリスティーとかコナン・ドイルとか、俺でも知ってるようなミステリー小説を好んでいたのに、今では小難しい数式が並んだ確率論とか雀士の自伝書を読むように。きっと彼なりに敗北した理由を求めていたのだろう。敗北に向き合えるだけ常人より賢い。それゆえシンプルな答えから遠ざかってしまったのだ。ゼロコンマ以下の確率を素知らぬ顔で引き合えてる化け物がいる事実から。


「実力差は否定しないさ。でも化け物とか云われても困る」

「そりゃそうか。だったらあの日、ゲームが終わったあとのアイツを思い出してみろ」

「俺、見てない」

「あぁ、そうだった。なら日奈ちゃんが証人だ。あの時の葵はどうだった?」

「どうと聞かれても……おかしなところはどこも」

「そう! 日奈ちゃんでさえ記憶が曖昧なんだ。それって印象に残らないってことだろう」

「あの子のことバカにしてないか?」

「してないしてない。考えてもみろ、大貧民からの逆転なんて一生の自慢にしたっていいのに、アイツは終わったあとも眉一つ動かさなかった。それっておかしくないか?」


 その疑問を前に二人は考え込む。現実を真っ当に生きている一ノ瀬にはさぞかし辛いだろう。しかし日奈ちゃんは突拍子もなく真実を云い当てる。


「あの逆転劇は葵さんにとって造作もなかった、と?」

「バカな! あんなの奇跡だ! 狙ってできるものじゃない。きっと驚きで声が出なかっただけだ」

「なら視点を変えてみろ。あの勝負が葵の想定通りに進んでいたとしたらどうだ。大富豪一ノ瀬が無警戒で同じ数字を渡してくると読んだから勝負を受けたんだ」

「そんなの結果論だ。弱者にはわからないと思うが、弱いカードを捨てるのがセオリーってものだろう」

「そうだな、お前は俺より賢いからこそ定石通りに動くんだ。逆に気を衒う一手は仕掛けてこない。互いに腕前がわからないあの状況なら尚更な」


 正解は本人に聞いてみないとわからない。でもあながち間違っていないはずだ。

 鳥越葵と付き合うのは大変だ。極度の面倒くさがりで人の輪に入ろうとしないアウトロー。会話が苦手なのかと思えば話し始めると嬉しそうにする変なやつ。見てくれはそこまで悪くないのに中身がへっぽこだから勿体ない。変わり者が多いこの学校でとびきりの変わり者。キラキラした言葉で例えるならミステリアス。だからあの写真も、本当に天使と話していたんじゃないかって思ってる。

 それに時々感じるのだ。アイツの言動と心のズレを。あの矛盾こそ鳥越葵の魅力なのかもしれない。

 この仮説をどう受け止めるかは一ノ瀬次第だ。


「……どう考えても完敗だ。だって俺はあの子の実力を見抜いていたんだから」


 ま、今回は納得してくれたみたいだ。その後、敗者はブツクサと独り言を呟きながらひと足先に教室に戻った。

 反面、真実を云い当てた方は不服そうにしている。


「ね、どうして本人に訊かないの?」

「どうせ教えてくれないさ」


 捻くれ者の葵が素直に教えてくれるとは思わない。それに俺は別に白黒ハッキリさせたいわけじゃない。

 異常な強さも不思議性も矛盾も、わざわざ纏っている魅力を暴こうとするなんて野暮だろう。


 それに万が一、アイツが本当に化け物だった場合、心地よい今の関係を保てる自信がない。下手に踏み込んで手痛い代償を払うよりか、のらりくらりと友情を続けた方が得策だ。

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