『夜、肌に触れるのは君じゃない ――第四夜:北国の口づけは冷たくて長い』

第41話『雪女荘では裸で眠れ』

道東、峠を越えた先にぽつんと建つ、古びた一軒宿──

その名は「雪女荘(ゆきおんなそう)」。


冬季休業直前の11月、

一人旅の男・片瀬は、最終客としてそこに宿泊することになった。


案内された部屋には古い炬燵と一組の布団。

ストーブの音が乾いた部屋に微かに響く。


女将が布団を敷きながら、ふいに言った。


「うちはね……裸でお休みいただく決まりなんですよ。」

「そのほうが、湯冷めもしませんし……あの子も、寂しがらない。」


あの子?


聞き返す前に、女将はにこりと笑って部屋を出た。



湯は良かった。

硫黄の香りが心地よく、

ぬるめの湯温が身体にじわじわと沁みた。


露天風呂には誰もおらず、

しんしんと雪が降る音だけが響いていた。


(……悪くない)


風呂上がり、言われた通り、何も身につけずに布団へ入る。


布団はふかふかで、ほのかに熱を残していた。


まるで──誰かが、先に寝ていたかのように。



深夜、ふと寒気を覚えて目を覚ました。


布団の中で足先が冷えている。

……いや、違う。冷たいのは、何かが這い上がってきている感触。


ぬるり、と。

足首からふくらはぎ、膝、太もも──

冷たい舌のようなものが、脚の内側を這ってくる。


(……誰かいる……?)


動けない。

息が詰まり、喉が凍える。


その“舌”は、やがて腹部に、胸元に、首筋に。

そして、全身に誰かの裸の体がぴたりと重なる。


冷たい。

だけど、確かに女の肌のやわらかさがあった。


耳元で、吐息。


「……あったかい……」


男の腰が、勝手に反応していく。

指が絡まり、舌が胸を舐め、脚が絡まる。


でも──顔は見えなかった。


ただ冷たく、

ただ淫らに、

身体だけが“ひとりでに”果てていく。



朝。

目を覚ますと布団の中は冷えきっていた。


床の間には、雪のような白い髪が一本、落ちていた。


あの夜のことを話そうと、フロントへ行くと、

女将はいなかった。


代わりに、宿の古びたパンフレットが目に入った。


その裏にはこう書かれていた。


「雪女荘では、必ず裸でおやすみください。

あの子が、肌を求めております。」


そして最後に、赤い筆でこう付け足されていた。


「布団に入ったあの子は、今夜からあなたの体温を憶えます。

二度と、離れません。」



あれから数日。

自宅のベッドに寝ていても、

体温が下がるたび、誰かがぴたりと重なってくる。


シャワーのあと。

冷えた布団。

冷房の効いたオフィス。


──体温が下がる場所なら、どこでも、

「あの肌」が現れる。


裸で抱かれ、舐められ、

いつのまにか果ててしまう。


そして朝、目を覚ますと、

どこかに濡れた白い髪が落ちている。


(今夜も、来る……)


それが怖いのか、

心地よいのか、

もうわからない。


【完】

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