第39話『ホテル301、喘ぎ声だけ残ってる』

「知ってるか? あそこのホテル301号室、

何年か前にカップルの心中事件があったって」


──「女だけ、死んだまま喘ぎ声が残ってる」

そんな噂話を、俺たちは笑いながら聞き流した。


でも──

その夜、笑えなくなった。



日曜の深夜、悪ノリで始まった“肝試し泊”。

俺と親友のカズは、酒と録音アプリを持って、

例のラブホテルにチェックインした。


フロントにあえて「301号室で」と告げると、

年配のスタッフが一瞬だけ黙って、

鍵を無言で差し出してきた。


部屋に入った瞬間、空気が変わった。

冷房もないのに、肌がじんわり湿るようなぬめり。


間取りは狭くない。

でも、なぜか**“声がこもるような作り”**になっていた。


壁の奥に、なにか詰まっているような──そんな圧迫感。


ふたりでベッドに腰を下ろし、

冗談まじりに録音を開始した。


「もし本当に声が入ってたら、バズるよな」

「深夜の喘ぎ声で再生回数稼ごうぜ」


──そんなことを言っていたのに。



明け方4時、カズが突然うなされて目を覚ました。


「……やべ、濡れてる。……え、下……?」


下半身だけがびっしょりと濡れていた。

俺も同じだった。


寝汗じゃない。

股のあたりだけ、じっとりと温かく、ぬるい液体に包まれていた。


しかも、下着の中に指が入りかけた痕のような感触が残っていた。


「なぁ……これ、誰に触られたと思う?」


カズが青ざめた顔で言った。


そして、録音データを再生した。



最初は俺たちの笑い声と、おふざけの会話。

でも、夜半を過ぎる頃──ノイズの中に、女の息遣いが紛れ始めた。


「……ん……やだ……そこ……あ……もっと……」


一人じゃない。

明らかに、ふたりが絡み合っているような“熱のある声”。


しかも、それが録音中のどの時間にも重なり続けていた。


「ねぇ……まだ、終わってないよ……」

「もっと……もっとして……」


俺たちの会話やいびきの裏に、

明確な“喘ぎ声”が何度も混じっていた。


それは、消せなかった。


削除しようとするたびに、スマホがフリーズし、

アプリが勝手に再生を始めた。


「つづけてよ……お願い……」

まるで、消されるのを拒んでいるようだった。



部屋を出ると、空はすっかり明るくなっていた。


だが、俺の耳にはまだあの女の声が残っていた。


シャワーを浴びても、

その音に**“あの喘ぎ”が混じって聞こえる。**


イヤホンで音楽をかけても、

サビの前に「ねぇ……私のこと、感じてるでしょ?」と囁く。


カズも同じだった。


ある日、LINEが来た。


「なぁ……もう俺、どの音にも“彼女”が混ざってる」

「声じゃなくて、音として──生活のすべてに、入り込んできてる」


それが、“残った声”の正体だった。


301号室で、身体を残せなかった彼女。

でも、声だけはずっと、ここにある。


耳から、皮膚から、機械から──

入り込んで、離れない。


今ではもう、

誰かの本物の声よりも、

あの女の息遣いのほうがリアルに感じる。


【完】

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