第39話『ホテル301、喘ぎ声だけ残ってる』
「知ってるか? あそこのホテル301号室、
何年か前にカップルの心中事件があったって」
──「女だけ、死んだまま喘ぎ声が残ってる」
そんな噂話を、俺たちは笑いながら聞き流した。
でも──
その夜、笑えなくなった。
*
日曜の深夜、悪ノリで始まった“肝試し泊”。
俺と親友のカズは、酒と録音アプリを持って、
例のラブホテルにチェックインした。
フロントにあえて「301号室で」と告げると、
年配のスタッフが一瞬だけ黙って、
鍵を無言で差し出してきた。
部屋に入った瞬間、空気が変わった。
冷房もないのに、肌がじんわり湿るようなぬめり。
間取りは狭くない。
でも、なぜか**“声がこもるような作り”**になっていた。
壁の奥に、なにか詰まっているような──そんな圧迫感。
ふたりでベッドに腰を下ろし、
冗談まじりに録音を開始した。
「もし本当に声が入ってたら、バズるよな」
「深夜の喘ぎ声で再生回数稼ごうぜ」
──そんなことを言っていたのに。
*
明け方4時、カズが突然うなされて目を覚ました。
「……やべ、濡れてる。……え、下……?」
下半身だけがびっしょりと濡れていた。
俺も同じだった。
寝汗じゃない。
股のあたりだけ、じっとりと温かく、ぬるい液体に包まれていた。
しかも、下着の中に指が入りかけた痕のような感触が残っていた。
「なぁ……これ、誰に触られたと思う?」
カズが青ざめた顔で言った。
そして、録音データを再生した。
*
最初は俺たちの笑い声と、おふざけの会話。
でも、夜半を過ぎる頃──ノイズの中に、女の息遣いが紛れ始めた。
「……ん……やだ……そこ……あ……もっと……」
一人じゃない。
明らかに、ふたりが絡み合っているような“熱のある声”。
しかも、それが録音中のどの時間にも重なり続けていた。
「ねぇ……まだ、終わってないよ……」
「もっと……もっとして……」
俺たちの会話やいびきの裏に、
明確な“喘ぎ声”が何度も混じっていた。
それは、消せなかった。
削除しようとするたびに、スマホがフリーズし、
アプリが勝手に再生を始めた。
「つづけてよ……お願い……」
まるで、消されるのを拒んでいるようだった。
*
部屋を出ると、空はすっかり明るくなっていた。
だが、俺の耳にはまだあの女の声が残っていた。
シャワーを浴びても、
その音に**“あの喘ぎ”が混じって聞こえる。**
イヤホンで音楽をかけても、
サビの前に「ねぇ……私のこと、感じてるでしょ?」と囁く。
カズも同じだった。
ある日、LINEが来た。
「なぁ……もう俺、どの音にも“彼女”が混ざってる」
「声じゃなくて、音として──生活のすべてに、入り込んできてる」
それが、“残った声”の正体だった。
301号室で、身体を残せなかった彼女。
でも、声だけはずっと、ここにある。
耳から、皮膚から、機械から──
入り込んで、離れない。
今ではもう、
誰かの本物の声よりも、
あの女の息遣いのほうがリアルに感じる。
【完】
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