第36話『幽霊タクシー、後部座席にご指名』

「夜中にタクシーの後部座席に乗ると、

助手席が空いてるときだけ、**“誰かに後ろから舐められる”**んだって」


──そんな噂を、誰かが話していた。


酔っ払いの与太話か、

あるいは都市伝説系のまとめサイトか。

本気で信じるほどでもない。

ただ、その話を聞いたあと、妙に気になってしまった。


そして、その晩。



終電を逃した帰り道。

新宿の雑踏から抜けて、

空車表示のタクシーをつかまえた。


「◯◯まで」


そう告げて、後部座席のドアが音を立てて閉まる。

助手席は空いている。


車内は少し蒸していて、

ほんのり女物の香水の匂いが残っていた。


クーラーの風が回る中、

背中に汗ばむような違和感を覚える。


(……誰か、乗ってたのか?)


と、思った瞬間。


首筋に、**舌のような“濡れた感触”**がふれた。


ゾクリとした悪寒。

首をすくめ、後ろを振り返る。


──誰もいない。


でも、明らかにそこに**“女”がいたような湿度**と、

じっとりとした体温が残っていた。


運転手は気づいていない様子で、

前方を見たまま無言で運転していた。


「なぁ、誰か乗ってた? 女の人とか」


試しに訊ねると、

運転手はミラー越しに小さく笑った。


「後ろには……あんたしかいませんよ」


……その“言い方”が、引っかかった。



その夜、部屋に帰ってから、

スマホの録音アプリがなぜか起動されていた。


自分の音声記録──確認してみると、

車内での俺の呼吸音と、

もうひとつ、**“女の喘ぎ声”**がはっきりと入っていた。


「……っ……ん、あぁ……あったかい……」


微かに舐めるような音、

耳元でかすかに漏れる甘い息。


(これ……まさか……)



次にタクシーを使ったときも、

後部座席は、しっとりと濡れていた。


晴れていたのに。

乗客もいないはずなのに。

座った瞬間、内ももがひやりと濡れた。


そしてまた、

**耳元で“息を吹きかけるような音”**が聞こえた。


「今日も、乗ってくれてありがとう……」


視界の端、

助手席のヘッドレストの影から、

誰かの長い髪が垂れて揺れているように見えた。



以後、どのタクシーに乗っても──

後部座席が濡れている。


じんわりとした湿気が背中に吸いつき、

スーツが微かにぬめる。

そして、数分後には

首筋や耳の後ろに**舌の跡のような“ぬくもり”**が残るようになる。


録音アプリをオンにすると、

必ず再生される音がある。


──男の息づかいと、女の喘ぎ声。

そして最後に、甘く囁かれる。


「次は、どこまで乗ってくれるの……?」



もう、誰にも言えない。

同乗者はいない。

だけど、確実に**“ご指名”されている。**


タクシーに乗るたび、

あの女が、後ろからそっと忍び寄ってくる。


今ではむしろ、

後部座席が乾いていると、どこか物足りないとすら感じてしまう。


【完】

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