第36話『幽霊タクシー、後部座席にご指名』
「夜中にタクシーの後部座席に乗ると、
助手席が空いてるときだけ、**“誰かに後ろから舐められる”**んだって」
──そんな噂を、誰かが話していた。
酔っ払いの与太話か、
あるいは都市伝説系のまとめサイトか。
本気で信じるほどでもない。
ただ、その話を聞いたあと、妙に気になってしまった。
そして、その晩。
*
終電を逃した帰り道。
新宿の雑踏から抜けて、
空車表示のタクシーをつかまえた。
「◯◯まで」
そう告げて、後部座席のドアが音を立てて閉まる。
助手席は空いている。
車内は少し蒸していて、
ほんのり女物の香水の匂いが残っていた。
クーラーの風が回る中、
背中に汗ばむような違和感を覚える。
(……誰か、乗ってたのか?)
と、思った瞬間。
首筋に、**舌のような“濡れた感触”**がふれた。
ゾクリとした悪寒。
首をすくめ、後ろを振り返る。
──誰もいない。
でも、明らかにそこに**“女”がいたような湿度**と、
じっとりとした体温が残っていた。
運転手は気づいていない様子で、
前方を見たまま無言で運転していた。
「なぁ、誰か乗ってた? 女の人とか」
試しに訊ねると、
運転手はミラー越しに小さく笑った。
「後ろには……あんたしかいませんよ」
……その“言い方”が、引っかかった。
*
その夜、部屋に帰ってから、
スマホの録音アプリがなぜか起動されていた。
自分の音声記録──確認してみると、
車内での俺の呼吸音と、
もうひとつ、**“女の喘ぎ声”**がはっきりと入っていた。
「……っ……ん、あぁ……あったかい……」
微かに舐めるような音、
耳元でかすかに漏れる甘い息。
(これ……まさか……)
*
次にタクシーを使ったときも、
後部座席は、しっとりと濡れていた。
晴れていたのに。
乗客もいないはずなのに。
座った瞬間、内ももがひやりと濡れた。
そしてまた、
**耳元で“息を吹きかけるような音”**が聞こえた。
「今日も、乗ってくれてありがとう……」
視界の端、
助手席のヘッドレストの影から、
誰かの長い髪が垂れて揺れているように見えた。
*
以後、どのタクシーに乗っても──
後部座席が濡れている。
じんわりとした湿気が背中に吸いつき、
スーツが微かにぬめる。
そして、数分後には
首筋や耳の後ろに**舌の跡のような“ぬくもり”**が残るようになる。
録音アプリをオンにすると、
必ず再生される音がある。
──男の息づかいと、女の喘ぎ声。
そして最後に、甘く囁かれる。
「次は、どこまで乗ってくれるの……?」
*
もう、誰にも言えない。
同乗者はいない。
だけど、確実に**“ご指名”されている。**
タクシーに乗るたび、
あの女が、後ろからそっと忍び寄ってくる。
今ではむしろ、
後部座席が乾いていると、どこか物足りないとすら感じてしまう。
【完】
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