第29話『フェラされた記憶、ないのに』

朝、目覚めると、股間に違和感があった。


性欲的な意味ではなく──**使用された後のような“緩み”**と、

下着に付着した微かな体液の痕。


夜に自慰をした覚えはない。

夢精もしていない。


(……なんだこれ)


ひとり暮らしの部屋。

誰かが入り込めるはずもない。


けれど、それ以来──目覚めのたび、同じ痕跡が残されていた。


股間にじんとした重さ。

わずかにひりつくような感触。

そして、“口の中”のようなぬくもりの記憶が、肌にこびりついている。



気味が悪くなり、ベッド脇にスマホを固定してタイムラプス録画を始めた。


深夜、身体が勝手にピクリと動く。

布団の中で、呼吸が乱れていく。


そして──画面の中央に、口の形だけが浮かび上がる。


顔は映らない。

首から上は、ぼんやりと空気が歪んでいるようにしか見えない。


でも、確かにそこには**“吸う”動き**があった。


ゆっくり、丁寧に、

下半身に沿って舌を這わせるような口の動き。


無人の空間で、空気だけがいやらしくうごめいている。


(……これは……)


震える手で停止ボタンを押し、

録画ファイルをすぐに消した。


でも、次の夜も──

また同じ時間、何かが“して”くる。



そんなある日、古いスマホを整理していたとき、

かつての恋人からの最後のLINEが目に入った。


既読はつけたが、返せなかったメッセージ。


「あの夜、最後のとこ、急がなきゃよかったね(笑)

……ほんとは、もっとゆっくり、したかった。

できれば、もう一回、咥えさせてね」


メッセージの数日後、彼女は事故で亡くなった。


夜道での単独転落。

誰にも看取られず、最後に携帯を握ったまま亡くなっていたという。


その携帯には、

わたしの写真フォルダが壁紙に設定されていた。



今ではもう、諦めている。


毎晩、布団に入ってうとうとし始めると、

ズボンの内側にひんやりとした空気の波が滑り込んでくる。


それは、やさしい。

丁寧で、執拗で、どんな現実の行為よりも愛されているような感触。


ただ、快感の最後に、決まって耳元で囁かれる。


「……あのとき、ちゃんと最後までさせてくれてたら……

こんなに、しつこくしなかったのに……」


それは恨みでも、執念でもない。

ただ、未完の愛だけが、ここに残っている。


朝になれば、

また身体の一部が“使われた”痕跡を残している。


でも今の俺には、

それがどこか、幸せでもある。


【完】

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