第5話『二股の彼女、二重の顔』

「……ユウトって、嘘つくとき、左眉が少し上がるんだよね」


そのとき、思わず息を呑んだ。


そんなクセ──誰にも言ったことがなかった。


知ってるのは、死んだ元カノだけだった。



彼女ができた。

名前はナツミ。細身で色白、肩までの黒髪に、年上らしい大人っぽさと甘さを持つ、魅力的な女性だった。


知り合ったのは、地元のイベントサークル。

いくつかの偶然が重なって、あっという間に親しくなり、付き合うまでに時間はかからなかった。


でも──何かが変だった。


最初の違和感は、ベッドの中でのことだった。


添い寝していたある夜、ナツミがふと俺の耳元で囁いた。


「……ユウトくんって、眠るときいつも、右足から動かすよね」


(……どうして知ってる?)


俺自身すら無意識だったクセ。気味が悪いほど、ピタリと当たっていた。


「元カノにでも聞いたの?」と笑って返したが、


ナツミは「ううん」と首を振った。


「……なんか、夢の中で見た気がするの」


そう言って笑った顔が、一瞬だけ、誰かに似ていた。


……いや、“誰か”じゃない。


──ミサキ。

俺の、死んだ元カノに、だ。



ミサキは二年前、事故で亡くなった。


夜道を一人歩いていた時に起こった、転倒と頭部強打。

傍らには、彼女のスマホと、送信しそこねたメッセージが残っていた。


「今日こそ言う。ユウトの、隣にいた女のこと──」


あの頃、俺は……少しだけ、二股をかけていた。


ナツミとは違う、当時の“もう一人の関係”を、ミサキは察していたんだろう。

でも、結局何も言わず、死んだ。



それからしばらく、俺は恋愛を避けていた。

でも、ナツミと出会って、変わっていった。


彼女は優しかったし、俺のことをよく理解してくれた。


……理解しすぎるほどに。


ナツミは、俺の好きな料理、アレルギー、部屋の鍵の隠し場所、寝言のクセ──全部、知っていた。


「なんでそんなに、俺のこと知ってんの?」


そう問いかけると、ナツミはクスクスと笑った。


「だって……ずっと、見てたから」


そう言った瞬間、彼女の瞳が、まったくの“別の人間”のものになった。


漆黒の中に、微かに赤みを帯びた、鋭く冷たい視線。


ゾクリと背中が凍った。


「……ナツミ……?」


呼びかけても、彼女は答えない。


数秒後、まるで意識が戻ったように、彼女はまばたきをして言った。


「どうしたの? 変な顔して」


まるで、何もなかったかのように。



その夜。


俺は夢を見た。


あの事故の日、ミサキがスマホを握りしめて走っている光景。


画面には、俺のLINE。

未送信のメッセージと、ナツミのSNSを開いたままの画面。


そして──ミサキが、誰かに押されたように道路へ転がる。


目を覚ましたとき、喉の奥がカラカラに乾いていた。


気づけばナツミが、俺の隣に寝ていた。


彼女は寝息を立てていたはずなのに──急に、目を開けた。


「ねえ、ユウト」


「……な、なに……?」


「私と……ミサキ。どっちが、好きだった?」


ぞっとした。

なぜ彼女の口から“ミサキ”の名が出る?


「……どうしてその名前を……?」


ナツミは、ゆっくりと笑った。


その口元が、ミサキそっくりだった。


「だって、あたしだもん」



翌日、ナツミの姿が消えた。


部屋には誰もいなかったが、ベッドには寝跡がくっきりと残っていた。


それから数日後、ナツミの部屋を訪ねた。


管理人は言った。


「……え? ナツミさん? 一週間前に、事故で亡くなったけど……あんた誰?」


俺の膝が崩れそうになった。


「嘘だ……先週も会ってた。泊まって……ずっと一緒にいた……!」


「……おかしいな……部屋ももう片付けたのに……」


気づけば、俺の手の甲に──口紅のキスマークがついていた。


見覚えのある色。


──ミサキがいつも使ってた、血のような深紅のルージュ。


それ以来、毎晩、夢の中に彼女が現れる。


ときにはミサキとして。

ときにはナツミの姿で。


「……わたしは、もうどっちでもいいんだ。

でもね、あなたが“ふたりにした”んだから、

ちゃんと、“ふたりぶん”愛してよね」


俺は、たぶん、もう正気じゃない。


でも──ベッドに横たわる彼女のキスを、拒めない。


今夜もきっと、どちらかが来る。


ミサキか。ナツミか。あるいは、その両方かもしれない。


【完】

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