第5話『二股の彼女、二重の顔』
「……ユウトって、嘘つくとき、左眉が少し上がるんだよね」
そのとき、思わず息を呑んだ。
そんなクセ──誰にも言ったことがなかった。
知ってるのは、死んだ元カノだけだった。
*
彼女ができた。
名前はナツミ。細身で色白、肩までの黒髪に、年上らしい大人っぽさと甘さを持つ、魅力的な女性だった。
知り合ったのは、地元のイベントサークル。
いくつかの偶然が重なって、あっという間に親しくなり、付き合うまでに時間はかからなかった。
でも──何かが変だった。
最初の違和感は、ベッドの中でのことだった。
添い寝していたある夜、ナツミがふと俺の耳元で囁いた。
「……ユウトくんって、眠るときいつも、右足から動かすよね」
(……どうして知ってる?)
俺自身すら無意識だったクセ。気味が悪いほど、ピタリと当たっていた。
「元カノにでも聞いたの?」と笑って返したが、
ナツミは「ううん」と首を振った。
「……なんか、夢の中で見た気がするの」
そう言って笑った顔が、一瞬だけ、誰かに似ていた。
……いや、“誰か”じゃない。
──ミサキ。
俺の、死んだ元カノに、だ。
*
ミサキは二年前、事故で亡くなった。
夜道を一人歩いていた時に起こった、転倒と頭部強打。
傍らには、彼女のスマホと、送信しそこねたメッセージが残っていた。
「今日こそ言う。ユウトの、隣にいた女のこと──」
あの頃、俺は……少しだけ、二股をかけていた。
ナツミとは違う、当時の“もう一人の関係”を、ミサキは察していたんだろう。
でも、結局何も言わず、死んだ。
*
それからしばらく、俺は恋愛を避けていた。
でも、ナツミと出会って、変わっていった。
彼女は優しかったし、俺のことをよく理解してくれた。
……理解しすぎるほどに。
ナツミは、俺の好きな料理、アレルギー、部屋の鍵の隠し場所、寝言のクセ──全部、知っていた。
「なんでそんなに、俺のこと知ってんの?」
そう問いかけると、ナツミはクスクスと笑った。
「だって……ずっと、見てたから」
そう言った瞬間、彼女の瞳が、まったくの“別の人間”のものになった。
漆黒の中に、微かに赤みを帯びた、鋭く冷たい視線。
ゾクリと背中が凍った。
「……ナツミ……?」
呼びかけても、彼女は答えない。
数秒後、まるで意識が戻ったように、彼女はまばたきをして言った。
「どうしたの? 変な顔して」
まるで、何もなかったかのように。
*
その夜。
俺は夢を見た。
あの事故の日、ミサキがスマホを握りしめて走っている光景。
画面には、俺のLINE。
未送信のメッセージと、ナツミのSNSを開いたままの画面。
そして──ミサキが、誰かに押されたように道路へ転がる。
目を覚ましたとき、喉の奥がカラカラに乾いていた。
気づけばナツミが、俺の隣に寝ていた。
彼女は寝息を立てていたはずなのに──急に、目を開けた。
「ねえ、ユウト」
「……な、なに……?」
「私と……ミサキ。どっちが、好きだった?」
ぞっとした。
なぜ彼女の口から“ミサキ”の名が出る?
「……どうしてその名前を……?」
ナツミは、ゆっくりと笑った。
その口元が、ミサキそっくりだった。
「だって、あたしだもん」
*
翌日、ナツミの姿が消えた。
部屋には誰もいなかったが、ベッドには寝跡がくっきりと残っていた。
それから数日後、ナツミの部屋を訪ねた。
管理人は言った。
「……え? ナツミさん? 一週間前に、事故で亡くなったけど……あんた誰?」
俺の膝が崩れそうになった。
「嘘だ……先週も会ってた。泊まって……ずっと一緒にいた……!」
「……おかしいな……部屋ももう片付けたのに……」
気づけば、俺の手の甲に──口紅のキスマークがついていた。
見覚えのある色。
──ミサキがいつも使ってた、血のような深紅のルージュ。
それ以来、毎晩、夢の中に彼女が現れる。
ときにはミサキとして。
ときにはナツミの姿で。
「……わたしは、もうどっちでもいいんだ。
でもね、あなたが“ふたりにした”んだから、
ちゃんと、“ふたりぶん”愛してよね」
俺は、たぶん、もう正気じゃない。
でも──ベッドに横たわる彼女のキスを、拒めない。
今夜もきっと、どちらかが来る。
ミサキか。ナツミか。あるいは、その両方かもしれない。
【完】
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