第3話『呪われた下着』
それは、冗談のつもりだった。
ふざけ半分、ノリ半分。
だけど──あの夜、彼女は変わった。
俺の知らない顔で、俺の名を呼んだ。
*
「……ねぇ、これ、ちょっと変わってない?」
部屋に遊びに来た彼女・ミナが、下着姿でそう言った。
俺の目の前には、セミシースルーのレースショーツ。色はワインレッド。フロントには小さな五芒星の模様と、「永縁成就」と書かれたチャームが縫い付けられていた。
「ネットでさ、買ったの。なんか“運命の相手と繋がる”って呪術師が売っててさ。レビュー欄、意外とガチだったよ?」
そう言って笑うミナの姿があまりに無防備で、俺は思わず生唾を飲み込んだ。
彼女とは付き合って半年。今日、ようやく“そういう雰囲気”になった矢先だった。
「かわいくない?」
ミナはくるりと回ってヒップラインを見せつけてくる。
その姿があまりに艶やかで、理性が崩れかけた──そのときだった。
「……けんじ、って言ったよね?」
「え?」
「あなたの名前……ケンジ、だったよね?」
俺は息が詰まった。
なぜなら、俺の名前はユウスケだったからだ。
「ちょっと、ミナ……?」
けれど、彼女は不思議そうに小首をかしげた。
「……ごめん、なんで間違えたんだろ」
そう言って笑う顔は、確かにミナだった。
だけど、声がほんの少し、低くなっていた。
その夜の彼女は──やけに積極的だった。
いつもは恥じらいながら目を逸らす彼女が、俺の目をじっと見つめ、腰を密着させながら「触れて」と言った。
いつもは小さく震えていた指が、俺の頬を撫でてくる。
そして──耳元で、こうささやいた。
「……ずっと……探してたのよ、ケンジ……」
俺は混乱していた。
快感と違和感が混じり合って、頭が痺れていく。
けれど、もう一度確かめようとした。
「……なぁ、ミナ。俺の名前……ほんとに、なんて言った?」
すると、彼女は唇を俺の耳に寄せて、ねっとりとこう言った。
「ユウスケ、でしょ?」
……それは、正しい名前だった。
だけど、その瞬間──背筋にゾクリとした寒気が走った。
なぜなら、彼女の声がまるで、男のように低くなっていたからだ。
*
翌朝。ミナは何事もなかったかのようにベッドで眠っていた。
だけど、昨夜あれほど気に入っていたはずの下着が──
丸められて、ゴミ箱に捨てられていた。
(どうしたんだ?)
不思議に思って拾い上げたそのとき、気づいた。
下着の裏地に、ペンでなにか書いてある。
消えかけた文字。けれど、読み取れた。
「着けたら最後、離れられない」
「その男を殺したいほど、好きだった」
「ケンジ──あんたも、一緒に堕ちて」
*
それから、ミナの様子は少しずつ変わっていった。
寝ているときに「ケンジ……」と寝言をつぶやく。
急に俺を見つめて、「お前、誰?」と聞く。
ある夜、彼女は、鏡の前で──
自分の喉に両手をかけて締めようとしていた。
「……止めなきゃ……殺しちゃう……また……」
その声は、間違いなくミナのものではなかった。
俺は震えながら、彼女の肩を抱いて叫んだ。
「やめろ! お前はミナだろ! ケンジなんて知らないだろ!」
そのとき──彼女は、にたりと笑った。
「……知ってるよ。だって、あなたがケンジだから。」
*
後日、俺はネットオークションの履歴を調べた。
“永縁成就の呪符下着”。出品者名は削除され、出品履歴ごと消されていた。
ただ、購入者レビューの一部が残っていた。
「彼が急に、私に触れてくれなくなったので……」
「私を抱いてくれるのが、彼女じゃなくて“私”になりますように」
「ケンジのことは、誰にも渡さない」
「ケンジは、もう死んだのに──」
*
今も、ミナは俺の隣にいる。
笑い方も、口調も、少しずつ変わってきた。
けれど、彼女が夜中、ふいに俺の首筋に爪を立てるようになってから──
……俺は、ミナのことを“ミナ”と呼べなくなった。
だって、夜中に彼女は囁く。
「ケンジ、死ぬときは……いっしょよ?」
それでも、俺はミナを手放せない。
……たとえ、その中身が、もうミナじゃなかったとしても。
【完】
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