第3話『呪われた下着』

それは、冗談のつもりだった。


ふざけ半分、ノリ半分。

だけど──あの夜、彼女は変わった。


俺の知らない顔で、俺の名を呼んだ。



「……ねぇ、これ、ちょっと変わってない?」


部屋に遊びに来た彼女・ミナが、下着姿でそう言った。


俺の目の前には、セミシースルーのレースショーツ。色はワインレッド。フロントには小さな五芒星の模様と、「永縁成就」と書かれたチャームが縫い付けられていた。


「ネットでさ、買ったの。なんか“運命の相手と繋がる”って呪術師が売っててさ。レビュー欄、意外とガチだったよ?」


そう言って笑うミナの姿があまりに無防備で、俺は思わず生唾を飲み込んだ。


彼女とは付き合って半年。今日、ようやく“そういう雰囲気”になった矢先だった。


「かわいくない?」


ミナはくるりと回ってヒップラインを見せつけてくる。


その姿があまりに艶やかで、理性が崩れかけた──そのときだった。


「……けんじ、って言ったよね?」


「え?」


「あなたの名前……ケンジ、だったよね?」


俺は息が詰まった。


なぜなら、俺の名前はユウスケだったからだ。


「ちょっと、ミナ……?」


けれど、彼女は不思議そうに小首をかしげた。


「……ごめん、なんで間違えたんだろ」


そう言って笑う顔は、確かにミナだった。


だけど、声がほんの少し、低くなっていた。


その夜の彼女は──やけに積極的だった。


いつもは恥じらいながら目を逸らす彼女が、俺の目をじっと見つめ、腰を密着させながら「触れて」と言った。


いつもは小さく震えていた指が、俺の頬を撫でてくる。


そして──耳元で、こうささやいた。


「……ずっと……探してたのよ、ケンジ……」


俺は混乱していた。


快感と違和感が混じり合って、頭が痺れていく。


けれど、もう一度確かめようとした。


「……なぁ、ミナ。俺の名前……ほんとに、なんて言った?」


すると、彼女は唇を俺の耳に寄せて、ねっとりとこう言った。


「ユウスケ、でしょ?」


……それは、正しい名前だった。

だけど、その瞬間──背筋にゾクリとした寒気が走った。


なぜなら、彼女の声がまるで、男のように低くなっていたからだ。



翌朝。ミナは何事もなかったかのようにベッドで眠っていた。


だけど、昨夜あれほど気に入っていたはずの下着が──


丸められて、ゴミ箱に捨てられていた。


(どうしたんだ?)


不思議に思って拾い上げたそのとき、気づいた。


下着の裏地に、ペンでなにか書いてある。


消えかけた文字。けれど、読み取れた。


「着けたら最後、離れられない」

「その男を殺したいほど、好きだった」

「ケンジ──あんたも、一緒に堕ちて」



それから、ミナの様子は少しずつ変わっていった。


寝ているときに「ケンジ……」と寝言をつぶやく。

急に俺を見つめて、「お前、誰?」と聞く。


ある夜、彼女は、鏡の前で──


自分の喉に両手をかけて締めようとしていた。


「……止めなきゃ……殺しちゃう……また……」


その声は、間違いなくミナのものではなかった。


俺は震えながら、彼女の肩を抱いて叫んだ。


「やめろ! お前はミナだろ! ケンジなんて知らないだろ!」


そのとき──彼女は、にたりと笑った。


「……知ってるよ。だって、あなたがケンジだから。」



後日、俺はネットオークションの履歴を調べた。


“永縁成就の呪符下着”。出品者名は削除され、出品履歴ごと消されていた。


ただ、購入者レビューの一部が残っていた。


「彼が急に、私に触れてくれなくなったので……」

「私を抱いてくれるのが、彼女じゃなくて“私”になりますように」

「ケンジのことは、誰にも渡さない」

「ケンジは、もう死んだのに──」



今も、ミナは俺の隣にいる。


笑い方も、口調も、少しずつ変わってきた。

けれど、彼女が夜中、ふいに俺の首筋に爪を立てるようになってから──


……俺は、ミナのことを“ミナ”と呼べなくなった。


だって、夜中に彼女は囁く。


「ケンジ、死ぬときは……いっしょよ?」


それでも、俺はミナを手放せない。


……たとえ、その中身が、もうミナじゃなかったとしても。


【完】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る