第2話  釣りとサシ

夏の終わりの釣堀で、兄やんは短い竿を手に持ってきた。


「坊、今日は魚を釣るぜ。鯨じゃねえけど、すげえやつだ!」


彼が作った仕掛けは「ツインヘッド」と名付けられ、赤いアカムシが小さな針に揺れていた。


「静かに水に落として、浮きが沈んだら竿を立てるんだ。」


兄やんの言葉通り、浮きが沈むと、クチボソって小さな魚が釣れた。


煮干しみたいだけど、僕には宝物だった。


「兄やん、僕、百匹釣った!」


「はは、十匹だろ! でも、坊は最高だ!」


兄やんは僕の頭を撫でて、目を細めた。


その時、遠くで中学生たちが自転車で通り過ぎながら、兄やんを指さして笑った。


「アイツ、いつもガキと遊んでんな!」


兄やんは聞こえないふりで、竿を振った。


でも、僕にはわかった。兄やんの笑顔が、ちょっとだけ固くなった。


次の日、兄やんは「今日は特別な場所だ」と、休耕田のため池に連れて行ってくれた。


そこには、「パンツの悪魔がいる」と笑いながら兄やんは話した。怖くて不思議な場所だった。


水面は浮き草で緑の絨毯みたいで、葦がそよぐ向こうに何かいる気がした。


「坊、今日はサシって餌だ。でっかい魚を釣るぞ!」


兄やんが見せた白いウニウニ動くサシは、気持ち悪かったけど、どこか蜂の子に似ていて平気だった。


ポチャリと水に落とした瞬間、竿がグイッと引っ張られた。


「河童だ! 僕、引きずられる!」


パニックになった僕を、兄やんは笑いながら竿を支えてくれた。


釣り上がったのはフナだったけど、緑の浮き草にまみれて、まるで怪物みたいだった。


「坊、すげえだろ! 怪物退治だ!」


兄やんは笑ったけど、僕は何か怖くて、竿を握る手が震えた。


その時、兄やんが独り言みたいに言った。


「サシはな、ほっとくとハエになるんだ。ちっちゃいのに、すげえ変化だろ?」


僕は「兄やんもハエになるの?」と聞くと、彼は笑って、


「オレはトンボだ。ヤゴからトンボになるんだよ。」


その言葉が、なぜか胸に引っかかった。


兄やんの笑顔の奥に、薄い暗幕みたいなものが揺れてる気がした。

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