陰日向

大隅 スミヲ

第1話

 蝉時雨が鬱陶しかった。しかし、公園内に日陰はここしか無く、蝉も日差しを避けるためにこの木へと集まって来てるのだろうと自分を納得させることにした。

 児童公園ではあるが、遊具で遊ぶ子どもの姿はどこにもなかった。自分が子どもだった頃は、夏休みといえば朝一番でラジオ体操に通い、午前中は学校のプールへ行ったり、友人たちと公園で遊んだり、虫網を持って蝉取りなどに勤しみ、真っ黒に日焼けしていたものだ。しかし、いまの子どもたちはどうだろうか。日差しの強い日はクーラーの効いた室内にこもり、学校もプールすらも暑すぎて中止になるという。確かに、あの頃とは暑さが違うかもしれない。しかし、だからといって、まったくもって外に出ず、冷えた部屋の中だけで過ごさせるというものどうなのだろうかなどということを柄にもなく思ったりしていた。

「あのう――」

 声を掛けられたことで私は顔をあげた。目の前には、日傘をさした白いワンピース姿の女が立っていた。歳は二〇代後半から三〇代といったところだろうか。私は彼女のことを上目遣いで見上げながら、口を開いた。

「田中さん?」

「ええ。車を待たせてあるので、お話はそちらで」

 田中という女はそう言うと、公園の外に止めてある黒塗りの車を指差した。

 ベンチから立ち上がると、私は田中と一緒に車へと向かった。車は国産の高級車であり、運転席から降りてきたスーツ姿の男が後部座席のドアを開け「どうぞ」と私に乗るように促してきた。

 後部座席に私が乗り込んだことを確認すると、運転手が反対側のドアを開けて、田中を乗り込ませる。

 車内は冷房が効いており、シートの座り心地もとても良かった。先ほどまでいた公園のベンチとは大違いである。

「出して」

 田中が運転手に告げると、運転手は無言で頷き、車を走らせた。

 しばらく走ったところで、田中が再び口を開いた。

「こんな回りくどいやり方をして何になるのか、そう思うでしょうね」

 私は田中の言葉には何も答えず、車窓を眺めながら次の言葉を待った。

「でもこのくらいしないと、わたしの気が済まないの。ごめんなさいね、付き合わせてしまって」

 田中はそう言ってハンドバッグの中から封筒を取り出して、私に渡してきた。

 封筒の中身、それは一枚の写真だった。

 浴衣を着た男女が並んで写っている。ひとりは田中であり、もうひとりは十代後半くらいの少年だった。ふたりともカメラに向かって笑みを浮かべながら写っている。写真の中の田中は、いまとそんなに変わらないことから写真は最近撮られたものだということが想像できた。

「これは?」

「息子よ。二十二の時に産んだの。いまは十七歳」

 私は横目でちらりと彼女の顔を見た。三十九歳という実年齢に比べ、かなり若く見える。きっと美容にかなり気と金を使っているのだろう。そんなことを思いながら、写真へと目を戻す。

「この写真は、去年の夏。隅田川で花火大会があったでしょ。その時に撮ったものらしいわ。これがわたしが最後に見た息子ってわけ」

「連絡は?」

「無いわ。中学から息子は寮生活なの。毎年お正月には帰ってきていたけれど、今年のお正月は帰ってこなかった。学校を勝手に辞めて、寮からも追い出されて、携帯も番号を変えているみたい」

「彼はいま、どうやって暮らしている?」

「少し前まではクレジットカードの家族カードが定期的に使われていたわ。でも、それも今は使われていないわ」

 答えになっていない。そう思ったが口には出さなかった。

 車は環七を葛西方面に向けて走っていた。どこへ向かっているのかはわからない。ただ、話が終わるまで走り続けているだけかもしれないし、どこか目的地があるのかもしれないが、私には何もわからなかった。

「それで、どうしたいんです」

「息子を見つけ出して、連れ戻してほしいの」

「もし本人がそれを拒否をしたら」

「それでも構わないわ。連れ戻してちょうだい」

「わかりました」

 私が承知をすると、女はハンドバッグの中から新しい封筒を取り出した。それは銀行のロゴが入った封筒であり、分厚い何かが入っていた。

「これは手付金。経費とかで足りなかったら言ってくれれば、出すわ。もちろん、息子を連れ戻したら成功報酬もあるから」

 差し出された封筒を私が取ろうとすると、女は強く封筒を掴んで私の目をじっと見つめてきた。

「お願い、絶対に息子を連れ戻して」

 その目は母親の目なのか、それとも別のモノの目なのか、その時の私には判断ができなかった。

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