第26話 中本ありさの敗北
金木君のことを見ていると先輩のことを思い出す。
私が通っていた大学には有名な文芸サークルがあった。
有名っていっても、私がいた時は有名じゃなかったけど……。
そのサークルは小説を書くために作られたサークルだった。大学の一室を借りることが出来ればクーラーも完備されているし、バイトまでの時間を小説に打ち込める、みたいなことで設立されたらしい。
サークルを創立した先輩はプロの作家になり、そして後輩に自分の技術や色んなことを教えた。そして幾人かのプロの作家を排出して有名なサークルになっていった。
今では作家志望者が集まり、切磋琢磨して腕を磨いているらしい。サークルの伝統でプロの作家になったら、後輩に技術や作家になるための心構えを教える。師匠がいる環境なので、才能ある人はぐんぐんと才能を伸ばしているらしい。
そんなサークルの創立メンバーとして私はいたのだ。
先輩に誘われたのは、たまたまだったと思う。
私の地元は都会から離れた田舎だった。
入学した頃の私は芋っぽく、垢抜けていなかった。
好きなのは小説だった。ホラーも好きだったしラノベも好きだったし純文学も好きだった。
一度も染めたこともない髪は真っ黒で、いつも文庫本を持ち歩いていた。
サークルに入る勇気もなかったし、友達もいなかったので、いつも本を読んでいた。食堂でも本を読んでいたし、授業が始まるまでの時間もベンチに座って本を読んでいた。
今では考えられないけど本から顔を上げるのが怖かった。
みんな楽しそうにしているのが怖かった。
その輪に入れないのが怖かった。
そんな姿を先輩は見ていたんだと思う。
「君」
と誰かが私に喋りかけてきた。
本から顔を上げると、男性がコチラを見ていた。
「サークルを一緒に作らない?」
彼は言ったのだ。
サークルに入らない? ではなくてサークルに一緒に作らない?
当時の先輩は長髪でパーマなのか癖毛なのかわからないけど髪がクルンクルンで、黒縁メガネをかけていた。
おしゃれなシャツを着て、どこでもいるような大学生に見えた。
私が芋っぽすぎてみんなオシャレに見えているだけ、というのもある。
「えっ? 私を誘ってますか?」
と私は尋ねた。
「そうだよ」
と先輩が言った。
話を聞けば部屋を借りるためだけのサークルを彼は作ろうとしている。落とし文句がクーラー完備の部屋で誰にも邪魔されずに本が読めるだって。彼は、そこで小説を書くらしい。
「小説書くんですか?」
ポクリ、と先輩が頷く。
「ずっと書いてる」
「いつからですか?」
「小学六年生から」
「成果は?」
「成果? 新人賞とか?」
「はい」
「受賞経験なんて無いよ。頑張って最終候補止まり」
「なんで書くんですか?」
「結果を求めていたら書けないよ。内容を求めるんだ。もっと面白くなりたい、もっと面白いモノを書いたい、俺にできるのはそれだけ。……少し話がズレたけど、それでサークルを一緒に作ってくれる?」
なんとなく、この人となら友達になれそう、と私は思った。
初めの頃は、そこに恋はなかったと思う。
サークルを作るために5人の部員を先輩が集めて来た。そこには男の子もいたし女の子もいた。彼等はサークルに来たり来なかったりした。彼等にとっては部屋で涼しむだけの部活なのだ。
私はサークル活動として貸し出された部屋で本を読んでいた。
本は先輩が持って来たモノだった。ラノベもあったし文芸もあったしホラーもあったしミステリーもあったし漫画もあった。
夏はクーラーがつき、冬は暖房がついた。
先輩はずっと小説を書いていた。
彼が小説を書いている時は声をかけても答えてくれず、バイトの時間が来るまで夢中になって書いていた。
そんな後ろ姿を見ながら私は本を読んでいただけだった。
どこで先輩に惹かれたのかは私にもわからない。
ずっと彼のことを見ていて、勝手に好きになったんだと思う。
夢中になって小説を書いている先輩がカッコ良かったのかもしれない。
先輩に近づきたくて私も小説を書いてみた。
一作品、書くまでに半年ぐらいかかった。
それで新人賞に送ってみた。
一生懸命書いたモノは一次審査も通らなかった。
こんなのやってられない、と私は思った。
こんなやってられないことを先輩は文句も言わず永遠にやり続けている。
頭がおかしいんじゃないか? って私は思う。
先輩は書いて書いて書いて書き続ける。
先輩は部活で書いて、バイトが終わってから家で書いているらしい。
「なんで、そこまで書くんですか?」
と私は聞いてみたことがある。
「なんでなんだろう?」
と彼は首を傾げた。
こんなに夢中になってやっていることなのに、理由すら明確ではないらしい。
「たぶん、前にも言ったと思うけど、面白いモノが書きたいんだと思う。それだけなんだと思う」
「それだけで、こんなに時間を無駄にできるんですか?」
「時間の無駄」
と彼は言って笑った。
「彼女とか作らないんですか?」
「……俺に彼女? できねぇーよ。だって小説しか書いてないもん」
と彼は言って笑った。
「私とかはどうですか?」
「俺なんか彼氏だと嫌でしょ」
と彼は笑う。
いいですよ、と私が言った声は小さすぎて彼の耳には届かなかったらしい。
私はメガネをやめてコンタクトレンズにした。
ノートパソコンで小説を書いている先輩の気を引きたかったんだと思う。
でも先輩は、誰にも評価されていないのに小説を夢中に書いていて私を見てくれなかった。
私は髪を切り、オシャレな服も頑張って着た。
だけど、先輩は書き続けた。
この人は青春を無駄にするんだろうなぁ、って思った。
この人は私が隣にいることも気づかないんだろうな、って思った。
私はサークルに行く回数が減って、何人かの男の子と付き合った。でも頭の中に、小説を書いている先輩がいた。
久しぶりにサークルに行くと、先輩は同じ机で同じパソコンでキーボードを打っていた。ずっと彼はそこにいて一歩も動いていないように思えた。
先輩が書き終わるのを待ち、私は彼に声をかけた。
「先輩」
「あぁ、中本さん来てたんだ」
と先輩が相変わらずの笑顔で返事した。
「私、可愛くなったと思いません?」
「だいぶ可愛くなったね」
「そうでしょう」
と私は言う。
私、先輩に何を言いたいんだっけ?
小説を書くのをやめて私を見て、って言いたかったんだっけ?
「あっ、そうだ。中本さん」
と先輩は何かを思い出したように言った。
「この前、新人賞を受賞したんだ」
「へーーー」
と私は言った。
それ以上、私は何も言えなかった。
この人に小説を書くのをやめさそう、と私は思っていたのだ。
次の新入生が入って来た頃にサークルには人が増えた。
プロの作家がいるサークル、ということで彼のファンや作家志望書が入って来たのだ。彼は後輩に熱心に指導していた。自分が時間をかけて理解したモノをあっさりと教えていた。
その年からサークルで冊子を作るようになって、私は最初の冊子だけ参加してサークルをやめた。
その冊子に書いた小説も、新人賞で一次も受からなかったモノの一章分だけ乗せたのだ。あれだけ頑張って書いたのだから成仏してくれ、みたいな気持ちもあったし、私も書いていたことを残したかった、という気持ちもあった。
それに先輩に書いていたことを認知してもらいたかったんだと思う。
サークルをやめてからも、私の脳内には先輩が小説を書いている後ろ姿だけが残ってしまった。
私はただ先輩のことが好きだったらしい。小説を書くのをやめて一緒にどこかに行きたかったらしい。でも夢中に何かをする彼に惚れていたのだ。
その矛盾が私の中にはあって、小説を書く先輩を止めることも、私を振り向かせることも、彼と並んで歩くこともできなかった。
そして私は高校教員になって、金木ハイジと出会った。
彼は私の生徒である。
金木君はバイトに行くまでの時間、教室を借りて小説を書く部を作った。
その顧問が私である。
どうしても金木君と先輩が被って見えてしまう。
ずっと思い出さなかったのに金木君と出会ってから先輩の夢を見てしまう。
夢の中でも先輩はノートパソコンで小説を書いて、私は後ろから彼の姿を見ていた。
小説じゃなくて、私は先輩に見てほしかった。
私は小説に負けたのだ。
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