第25話 退学届とホテル

 土曜日の夜に中本ありさ先生に呼び出される。

 ぼくの退学届けを中本先生が持っている。

 退学になってしまったらお母さんが悲しむ。

 ぼくは母親を悲しませることができなかった。

 それに小説の勉強になる、とぼくは思ってしまったのだ。

 先生の人間性がキャラクターのアイデアになるかもしれない。

 それに、した事もない経験は物語の幅を広げる。

 経験として学んで小説が面白くなるのなら、ぼくは何だってする。

 

 夜。ぼくは靴を履いて玄関を出た。

 財布には手持ちのお小遣いを全て入れていた。

 何があるかわからない。女性に恥ずかしい思いをさせてはいけない。

 


 指定された都会の駅で中本ありさ先生を待っていた。

 先生はロングスカートに白いシャツを着て現れた。

 ボブヘアーは緩く波打ち、近づいて来ると微かにバラの香りがした。


「こんばんは」とぼくが言う。

 先生はニッコリと笑った。


「こんばんは」


「ちょっと待ってください」

 ぼくはリュックからマスクとサングラスを取り出して装着する。


「なにそれ?」と先生が笑う。

「夜にサングラスってヤバい人よ」


 だから先生に会うまで付けなかったのだ。


「もし誰かに見られたら先生が嫌な思いするでしょ?」


「私のことを考えてくれてるの?」


 ポクリとぼくは頷く。

 もしかしたら学校関係者と出会う事もあるかもしれない。

 知ってる人と出会ってしまったら先生の立場が悪くなる。

 ぼくが顔を隠していたら生徒ではない別の誰かだ、と言い張る事もできるだろう。

 ぼくは生徒で彼女は教師である。


「こんな時間にうちの生徒はいないと思うけど」


「教師達がいるかもしれません」


「……ありがとう」


 そう言って、先生はぼくの手を握った。

 指と指が絡み合う。

 彼女に引っ張られて付いて行く。


 歩く。

 やっぱりホテル街に向かっているようである。いつかの夜の続きだろう。


「体育の教師、消しといてくれた?」と先生が尋ねた。


「消しときましたよ」

 とぼくは嘘をついた。


「でも昨日も晩御飯に誘われたよー?」


「あれは屍です。晩御飯っていうのもネズミの死体です」


「行かなくてよかった。通りで臭いわけだわ」

 彼女がクスクスと笑った。

「君はこれから何するかわかってるの?」


「わかってますよ。好きな女性に脅迫されてエッチな事をする」


「私のこと好き」


「大好きです」

 とぼくは言ったけど、たぶん好きじゃない。世界一面白いモノが書けるなら、なんだってするってだけだった。


「本当?」


「本当」


「そんなこと誰にでも言ってるんじゃないの?」


「先生だけです」 

 先生が怪しんでいる目でぼくを見る。


「君は色んな人に好きって言えるタイプなんだよ」


「どうして?」


「だって好きって言っても耳が赤くなってない」


「後で耳を叩いて赤く染めときます」


 クスクス、と彼女が笑う。


「叩かなくていいよ」


「ココ」と先生が指差したホテルはシンデレラ城みたいなラブホだった。

 ホテルの中に入ろうとした。


 ぼくのスマホが鳴る。

 スマホを取る。


「お兄ちゃん、どこ行ったの?」

 と不安そうな妹の声が聞こえた。

「1人で怖いから早く帰って来て」


 家で泣いている中学生の妹が浮かぶ。


「わかった。すぐに帰る」

 とぼくは言ってスマホを切る。


 ぼくは先生を見た。

「すみません。妹が泣いてまして。帰ります」


 先生が悲しそうな顔をする。

「……退学届はお預けね」

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