第4話 青春、先生がもらってあげる
多目的ルーム2の扉が開いて誰かが入って来た。
その誰かのせいでいすずとうさぎの喋り声がピタリと止み、ぼくの隣にいたはずの伊賀京子が離れて行った。
男を誘惑するような甘い香水の匂いが微かに匂った。
ぼくの隣に誰かが座る。
香水の匂いが、さっきよりも強く鼻をくすぐった。
ぼくの脳内は別の世界に行っている。言葉の表現をどうしたらいいか悩みながら、言葉を紡ぐようにパソコンのキーボードを叩いていた。
小さい頃から慣れ親しんだ言葉。それらの組み合わせなのに、組み合わせが少しズレただけで脳内の映像がグニャ〜とねじ曲がってしまう。
「金木ハイジくん」
と声が隣から聞こえた。
小さな猫をあやすような声にも聞こえる。優しいというよりも、支配したいって感じの声。
ぼくは言葉探しに夢中で書いては消し、書いては消しを繰り返している。
「本当に小説を書いてるんだね」
と隣で声が聞こえた。
無視する気はないけど、意識が物語没入モードに入っていて、耳栓しているように外の声が聞こえない。
「先生は、もっと人生を楽しんだ方がいいと思うな」
と隣で誰かが言っている。
「こんなことを言っちゃ、君は傷つくと思うけど、青春を無駄にしてる」
「先生」といすずが言う。
「なにしに来たんですか?」
冷凍して忘れていたご飯みたいに冷たい声でいすずが尋ねた。
「私、ここの顧問なんですけど」
「顧問って? ココ何部ですか」
「知らな〜い」
「知らないんですか。それじゃあ教えてあげましょうか。金木ハイジがバイトに行くまでに小説を書くために部室を借りているだけの部」
「なにそれ〜」
と言って、先生は笑った。
だけど他の部員は誰も笑ってない。
「先生は」と中本ありさが言う。
「もっと金木ハイジくんに人生を楽しんでほしいだけ」
「何かを真剣に向き合うことが、人生を楽しむことじゃないんですか?」
といすず。
ハハハ、と中本ありさ先生が笑う。
「でも頑張って書いても、ほとんどの人間が作家にもなれないじゃん」
「先生みたいに?」
といすずが尋ねた。
「……」
ぼくがキーボードを叩くパチパチという音だけが多目的ルーム2に鳴り響く。
「……誰から聞いたの?」
「何をですか? あっ、もしかして、先生が大学の時に作家を目指していたことですか?」
「チェ」と舌打ちが聞こえた。
「別に目指してたわけじゃないし」
「結構、頑張ってたみたいじゃないですか。大学の文芸部で冊子まで作ってたらしいですね」
「だから誰から聞いたの?」
「意外と調べるって簡単なんですよ。スマホがあるんで先生の大学に電話することもできるし。あっ、名探偵いすずちゃんの検索方法から教えた方がいいですかー?」
「そんなことまでするなんて、……キモっ」
「学校に香水までつけて来て、男子生徒を誘惑しようとするアンタの方がキモいわ。先生が小説を書いてたことで時間を無駄にしたと思うのは勝手だけど、ハイジの邪魔をするな」
「アンタが書かせているのね。いつか金木ハイジくんはアンタを憎むわよ」
「私が書かせているわけじゃない。自分の意思でしか書けないことぐらい先生も知ってるんじゃないですか? 男を漁るぐらいなら、自分のシワを数えとけばいいのよ」
「教師に向かって、なんていう口の聞き方をするの」
「……」
「もし過去に戻れるなら、私は書かない。それより青春を楽しんでほしいだけ」
「ハイジは十分楽しんでると思いますよ」
「ハイジくん」と中本ありさは唇を舐めてぼくに囁いた。
「青春を先生が奪っちゃおうかなぁ〜。なんちゃって」
彼女はそれを言って、去って行った。
ぼくは何も聞かず、ただ物語と向き合い、パソコンのキーボードをパチパチと鳴らしていた。
ちょうど章の終わりまで書き上げる。
そこで、ようやくぼくは顔を上げた。
みんな各々が好きなことをやってる。いすずとうさぎは裁縫。伊賀京子はネタを書き、一条なぎさはダンボールで工作している。
バイトまでに時間はあった。少し寝よう。そういえば昨日も徹夜だった。
机に伏せて目を瞑ると、すぐに睡眠の世界に入る。
眠っていると急に誰かに首を絞められた。
息をしようと必死に酸素を吸ったけど、「うっ、うっ、うぅ」と音しか出ない。
このままじゃあ、マジで死ぬ。
「ハイジ先生起きろ」といすずの声が聞こえた。
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