追憶:罪人を見送った日

 赤く染め上げられる大樹。

 燃え移り続ける赤い炎。

 草木を伝って広がる炎上。


 エルフたちにとって何よりも神聖で、何物にも代えがたい領域。

 彼・彼女らの信仰の対象であり行き着く先、信仰に絶対性を見い出すエルフたちにとって自らの命よりも大切だとしていた空間。

 誰であろうと無断で立ち入るのは罪であり、傷付けるなど一族郎党を根絶やしにする程の大罪となる、彼・彼女らにとっての神。


 その神が今、止める事も救う事も出来ない様相で燃えている。

 伸びた枝に舞う葉に火が点いたのではなく、神を覆う木々が燃え始めたのでもなく、神と崇められていた大樹そのものに火が点けられて燃えている。

 その火を消すことは叶わず、その火を止める事も叶わない。エルフたちが長きに渡って信仰していた神が失われようとしている。


 信仰に殉じるのであれば真っ先に燃える大樹に飛び込み大樹と死を共にするべきであろうが、命よりも大切だと吐き連ねていても明確に死ぬのが分かっている空間に飛び込むだけの情動は誰一人として持っていない。

 結局、信仰よりも自らの命を取ったのである。信仰を風習として残し、破ることを禁忌として破ったエルフを排斥或いは始末していた老人も含めて。



 それを成したのは、一人の老いたエルフ。

 大樹の信仰と共に生きるエルフたちを統率し、信仰の舵を握って信仰の根幹の全てを知っていた唯一のエルフ。

 最長老。最も歳を重ねたエルフであり、大樹に次ぐ信仰の相手として敬われ慕われていた唯一のエルフである。

 そんな彼が信仰の対象であった大樹に火を点けた。エルフたちが縋り付く存在だというのを、生きる目的にしているのだと誰よりも知っている彼が、それをエルフたちから奪い去りそしてただ一人大樹と死を共にしようとしている。



「よう、やっぱり下手人はあんただったんだな」

「……お主か。早く行け、巻き込まれても知らんぞ」

「今の俺は死なねぇから問題ねぇよ。生き埋めになったとしても、出るための手段は持ち合わせているしな」

「はっ……相変わらず、気に食わんガキだ」

「結構結構、俺はそういう人間だからな」


 大樹とその周囲の草花、そして空気を燃やして延々とその炎が絶える気配のない空間。その中央にある大樹から作り出された灰と炭の山、そこでエルフの長老たちからの呪詛と大樹から噴き出した炎による傷で、風前の灯と言ってもいいような状態でエルフの最長老は座り込んでいた。

 話し掛けた声に対して、変わらない気の強さが籠った声色で返事をしてくるが、声は震えているしついでと言わんばかりに飛んで来るはずの手足杖が無いのを考えるに、声を発することすらも限界なのだろう。


「あんた、分かってたな?」

「はんっ。お前が分かるような事を、分からん筈がないじゃろう」

「ま、そりゃそうか。で、結局あんたとしては納得がいく結果だったか? あぁ、若いエルフは全員生きて逃げ切ってるぞ。老人共は知らん、姿を見てねぇしな」

「言うと思っておるのか?」

「全く。死に際とはいえあんたが素直に話す訳ねぇだろ」

「分かっておるなら、さっさと行け」

「嫌に決まってるだろ」


 否定の意思を示すために、炎がまだ残る地面に腰を下ろして、死に逝く最長老の正面で最後の時間を共に過ごしていく。

 俺のではない、目の前の死ぬことが分かり切っていながらこんなことをした最長老 の、一人で過ごしていく筈だった最後の時間。


 ただの嫌がらせだ。死に掛けても素直にならないどころか、我を貫き通し続けるためだけに孤高であり続けたこの頑固爺へのな。


「貴様」

「どうせ長くねぇんだ、死ぬまであんたの前に居てやるよ」

「……もうよい、このクソガキが」

「クソガキじゃなけりゃこんなところには来ねぇよ。にしても、物の見事に燃え続けてんな、もっと大樹の水分で抑えられる気がするんだがね」

「……お主ならもう想像が出来ておるじゃろ」

「それを言うってことは、合ってんだな?」

「……そうじゃ。あれらが此処に来れた時点で大樹は既に死んでおる、エルフがあれらを知らずに生きて来られたのは大樹が生きておったからじゃ」

「正確には俺が、だろ? これだけ悪魔に汚染された奴が普通に村の中に入れた時点で、大樹は既に死んでいたという訳だろう?」

「……はぁ、分かっておるならさっさと出ていかんか」

「動けなかったし仕方ねぇだろ。恩返しも出来てなかったしな」


 草木にすら寿命があるというのに、ただ異常な成長を重ねているだけの大樹に寿命が存在していない訳が無い。

 エルフたちの平均寿命が千歳以上という話を聞いて、その上で魔族や邪神の眷属、悪魔といった連中を目の当たりにしていないという話から当たりを付けていたが、やはり大樹の存在が魔に属する連中を妨げていたということだ。

 それが丁度今の時代に寿命を迎えた。だからこそ、最長老は大樹に火を点ける選択を取ることが出来て、既に死した大樹は耐えることもなく点けられた火によって燃え上がっていったという訳だ。


 分かったとは思うが、最長老の目的は大樹を殺すこと。

 より正確に俺の推測が正しいという判断の上で語るのであれば、その目的はまだこれから先が長い若いエルフたちの未来を開かせたい。信仰に縛り付けられるのではなく、自分自身の選択が出来るようになって欲しいというのが目的だろう。

 そのためにも大樹には死んでもらわなければならなかった。


「あぁ、そうそう邪神の眷属共だけどな」

「死んだか」

「全然。ピンピンした様子で炎上しながら駆けずり回ってたぞ、何匹かはこっちに向かって来てたみたいだったけどな」

「そこまでは上手くいかんか」

「いく訳ねぇだろ。というか燃えるだけで殺せるなら、俺でも殺せるってことになるぞ」

「はっ」

「何だよ」

「お主が炎より強いとは笑わせてくれるな」

「……それは確かに否定出来ねぇな。炎の方が強いかもしれん」

「かもしれんではなく、確実にそうじゃ」


 ……勝てねぇ、勝てるとしたら言語能力の有無くらいしかねぇな。

 それも場合によっては無い方が良いし、その場合俺が炎に対して勝っている部分が何処にも存在しなくなるな。まぁ、今更良いんだけどよ。


 ………そろそろ限界か?


「おい、爺。遺言があるなら聞いてやるぞ、届けてやれるかどうかは定かじゃねぇけどな」

「……要らん。お主に任せるくらいなら、此処で叫んでやるわ」

「そうかい。ま、あんたが危惧してた何も知らないままエルフが全滅するなんて未来は訪れないだろうから安心しておくと良いだろうよ」

「……ふんっ。おい、クソガキ」

「なんだ、クソ爺」


 今更死ぬのが惜しくなったか? まだ生かしてやれるぞ?


「お主のそれは危険じゃというのを自覚しておけ」

「…………はぁ?」

「無自覚なんじゃな。じゃあ簡潔にだけ言ってやる、お主のその在り様はいつの日かお主の周りにいる連中の破滅を引き起こすじゃろう」

「………はぁ」

「死に逝く大して関わりの無いエルフを見送る、敵対した人間を呪縛から解放する、自らの命を投げ捨ててでも誰かの命を拾う。そうしたことを続けた先で、真っ先に壊れるのはお主ではなく周りの連中じゃ」

「…………いや、ねぇよ。そんなに弱くねぇだろあいつらは」

「……まぁ、儂は忠告したからな」


 …………いや、ねぇな。

 肉体的にだろうが、精神的にだろうが、あいつらは俺よりもずっと強いだろ。俺も多少は人より強いけど、無能な俺とは違ってあいつらはもっと強いだろ。

 だから、俺より先に壊れるなんてことは起きねぇだろ普通に考えてよ。その前に色んな物が全部終わって、俺が何処かの片隅でひっそりと眠る方が早いわ。



「ではな、クソガキ」

「おう。死後の人生、精々苦しめクソ爺」

「はっ、悪魔の手を取った奴に言われたくないわ」

「そりゃそうだ。だから、精々温めておいてくれ」

「断る。儂は自由に過ごさせてもらう」

「そうかい」



「感謝はせんぞ」

「要らねぇよ。じゃあな」

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